【2011年3月には、定年で退職ですが・・】
私が大学の専任教員となったのは、1986年です。45歳。
それから、現在の大学まで、いろんないきさつがあって、私立大学を5つ変わりました。それで、大学の事情には少し詳しいです。
ブログでは、実名を明かしていますから、あまり赤裸々なことはお話できませんが、木曜・金曜の夜に、博士課程の学生の中間報告を聞きましたので、少し一般化してお話します。
【何故博士号なのか?】
私の勤務態度があまりテキトウなためか、上品にいえばあまり楽しそうにみえるせいか、どの大学でも学部学生から「大学の先生になるにはどうすればよいのか?」と聞かれました。
大学設置基準 文部省令
に、大学教授の資格が決められています。(第14条)
(教授の資格)
第十四条 教授となることのできる者は、次の各号のいずれかに該当し、かつ、大学における教育を担当するにふさわしい教育上の能力を有すると認められる者とする。
一 博士の学位(外国において授与されたこれに相当する学位を含む。)を有し、研究上の業績を有する者
二 研究上の業績が前号の者に準ずると認められる者
三 学位規則(昭和二十八年文部省令第九号)第五条の二に規定する専門職学位(外国において授与されたこれに相当する学位を含む。)を有し、当該専門職学位の専攻分野に関する実務上の業績を有する者
四 大学において教授、准教授又は専任の講師の経歴(外国におけるこれらに相当する教員としての経歴を含む。)のある者
五 芸術、体育等については、特殊な技能に秀でていると認められる者
六 専攻分野について、特に優れた知識及び経験を有すると認められる者
一番最初に、博士号を持っていること、研究業績をもっていること
とありますね。
博士号が大事なのは、この第14条第1号があるためです。
*ちなみに、私は、この第1号にも、第4号にも該当しないので、第2号あるいは第6号によって教授に選任されたわけです。
【教授といってもランクがある】
岩清水日記(11/26)に、国会議員にも4つのランクがある・・という興味ある叙述がありました。
大学の教授にも世間には知られていませんが、幾つかの階層があります。
そのことについて、どこにも明確には書いてないですね。
一番重要なのは、
・普通の教授(一般的には「准教授」からの昇格審査を経る)
・大学院修士課程を担当する教授
・大学院博士課程を担当する教授
の区分です。最近「○○大学大学院教授」という」肩書きがテレビなどでもでていますね。
多くの大学では、修士課程担当になると、学部教授の給与の8%増し
博士課程担当になると、12%増しなどと規定していて、家計にも影響ある仕組みです。
【マル合教授】
さらに詳しく言うと、
・大学院博士課程では博士論文を審査・指導できる教授
・大学院博士課程で、講義を担当できる教授
・大学院修士課程で、修士論文を審査・指導できる教授
・大学院修士課程で、講義をできる教授
の4ランクに分かれていて、それは、それぞれの大学院創設時に、文部科学省の審査を経て決定されます。
この審査は、厳密に行われ、「博士マル合」といった風に大学の世界でのみ通用する業界用語で呼ばれます。申請したが、認められなかった・・という情報は極秘なのですが、結局は、学生募集の印刷物などをみれば、このランクはわかる仕組みです。
【審査のシーズン】
写真は、私の研究室のある6号館(大学院棟)の昨夜の光景。
博士課程の第1期生(3年生)の論文提出期限が、11月30日になっていて最後の追い込み中ですね。
木曜日(11月26日)は、博士課程1年生の研究計画の発表
昨日、金曜日(11月2日)は、博士課程2年生の中間報告会
が行われました。
【博士論文を審査できる教授】
というわけで、
私がいま所属している研究科では、「博士論文を審査できる教授」は、5人だけです。
ところが、先の国会議員のランクではないですが、この中にもさらに実質的なランクがありますね。
1 博士号をもっている教授(さらに授与された大学によって「格」が違う)
2 博士論文を指導した経験・本数
私は、
上記第14号第2号の教授である(博士号をもっていない)、
それどころか修士号すらもっていない
そもそも学部の(法学部なので)卒業論文も書いていない
・・というわけなので、「○○大学で博士をとった」「△△大学で10人の博士論文を指導した」という大先生方と同席の会合ではおおいにストレスを感じますね。
ですが、
私には「失うものがない」のと「素人の立場、市民の立場」とかいって毎度いいたいことをいって進行役の先生の顰蹙をかっています(失笑)
【教授になるのは運である】
私が大学の先生になったのは、いくつかの偶然からです。
かのマックス・ウエーバーですら、「職業としての学問」のなかで
「私が教授のなったのは偶然だ。もっと優秀な人で教授にならなかった人が多い」
といっていますね。
*P 0183 の3項に、私が「博士課程マル合教授」の審査で合格(1994年1月)したときの業績リストをアップしています。
私が大学の専任教員となったのは、1986年です。45歳。
それから、現在の大学まで、いろんないきさつがあって、私立大学を5つ変わりました。それで、大学の事情には少し詳しいです。
ブログでは、実名を明かしていますから、あまり赤裸々なことはお話できませんが、木曜・金曜の夜に、博士課程の学生の中間報告を聞きましたので、少し一般化してお話します。
【何故博士号なのか?】
私の勤務態度があまりテキトウなためか、上品にいえばあまり楽しそうにみえるせいか、どの大学でも学部学生から「大学の先生になるにはどうすればよいのか?」と聞かれました。
大学設置基準 文部省令
に、大学教授の資格が決められています。(第14条)
(教授の資格)
第十四条 教授となることのできる者は、次の各号のいずれかに該当し、かつ、大学における教育を担当するにふさわしい教育上の能力を有すると認められる者とする。
一 博士の学位(外国において授与されたこれに相当する学位を含む。)を有し、研究上の業績を有する者
二 研究上の業績が前号の者に準ずると認められる者
三 学位規則(昭和二十八年文部省令第九号)第五条の二に規定する専門職学位(外国において授与されたこれに相当する学位を含む。)を有し、当該専門職学位の専攻分野に関する実務上の業績を有する者
四 大学において教授、准教授又は専任の講師の経歴(外国におけるこれらに相当する教員としての経歴を含む。)のある者
五 芸術、体育等については、特殊な技能に秀でていると認められる者
六 専攻分野について、特に優れた知識及び経験を有すると認められる者
一番最初に、博士号を持っていること、研究業績をもっていること
とありますね。
博士号が大事なのは、この第14条第1号があるためです。
*ちなみに、私は、この第1号にも、第4号にも該当しないので、第2号あるいは第6号によって教授に選任されたわけです。
【教授といってもランクがある】
岩清水日記(11/26)に、国会議員にも4つのランクがある・・という興味ある叙述がありました。
大学の教授にも世間には知られていませんが、幾つかの階層があります。
そのことについて、どこにも明確には書いてないですね。
一番重要なのは、
・普通の教授(一般的には「准教授」からの昇格審査を経る)
・大学院修士課程を担当する教授
・大学院博士課程を担当する教授
の区分です。最近「○○大学大学院教授」という」肩書きがテレビなどでもでていますね。
多くの大学では、修士課程担当になると、学部教授の給与の8%増し
博士課程担当になると、12%増しなどと規定していて、家計にも影響ある仕組みです。
【マル合教授】
さらに詳しく言うと、
・大学院博士課程では博士論文を審査・指導できる教授
・大学院博士課程で、講義を担当できる教授
・大学院修士課程で、修士論文を審査・指導できる教授
・大学院修士課程で、講義をできる教授
の4ランクに分かれていて、それは、それぞれの大学院創設時に、文部科学省の審査を経て決定されます。
この審査は、厳密に行われ、「博士マル合」といった風に大学の世界でのみ通用する業界用語で呼ばれます。申請したが、認められなかった・・という情報は極秘なのですが、結局は、学生募集の印刷物などをみれば、このランクはわかる仕組みです。
【審査のシーズン】
写真は、私の研究室のある6号館(大学院棟)の昨夜の光景。
博士課程の第1期生(3年生)の論文提出期限が、11月30日になっていて最後の追い込み中ですね。
木曜日(11月26日)は、博士課程1年生の研究計画の発表
昨日、金曜日(11月2日)は、博士課程2年生の中間報告会
が行われました。
【博士論文を審査できる教授】
というわけで、
私がいま所属している研究科では、「博士論文を審査できる教授」は、5人だけです。
ところが、先の国会議員のランクではないですが、この中にもさらに実質的なランクがありますね。
1 博士号をもっている教授(さらに授与された大学によって「格」が違う)
2 博士論文を指導した経験・本数
私は、
上記第14号第2号の教授である(博士号をもっていない)、
それどころか修士号すらもっていない
そもそも学部の(法学部なので)卒業論文も書いていない
・・というわけなので、「○○大学で博士をとった」「△△大学で10人の博士論文を指導した」という大先生方と同席の会合ではおおいにストレスを感じますね。
ですが、
私には「失うものがない」のと「素人の立場、市民の立場」とかいって毎度いいたいことをいって進行役の先生の顰蹙をかっています(失笑)
【教授になるのは運である】
私が大学の先生になったのは、いくつかの偶然からです。
かのマックス・ウエーバーですら、「職業としての学問」のなかで
「私が教授のなったのは偶然だ。もっと優秀な人で教授にならなかった人が多い」
といっていますね。
*P 0183 の3項に、私が「博士課程マル合教授」の審査で合格(1994年1月)したときの業績リストをアップしています。
コメント有難うございました。
実際には
先生の方法と自分の方法とが違って
うまくいかない場合がありますね。
おおきな声で言えませんが
「相性」ということもあるようです。
先ごろなくなられた動物学者の日高先生は東大の大学院の院生の頃主任教授と研究のことで意見が違い苦労されたことを読みました。
なんと、後日、院生であった日高先生の方が正しかったことが判明するのです。