今日、11月6日、午前に南さつま市で野崎耕二展をみました。
昭和12年(1937年)旧加世田町万世に生まれる。
昭和58年(1983年)、難病の「肢帯型筋ジストロフィー症」となる。
1983年11月6日、結婚式の招待を断り、その代わりにかねて胸に秘めていた「一日一絵」をこの日から始めた。そして、今日まで27年。1日たりとも休んだ日は無い。
この作者のことは、
第3881号(2010.08.25)
で、『からいも育ち』の著者として紹介しました。
twitter仲間のsandanshikomiさんに教わった本です。
南さつま市市制5周年記念行事として昨日から1週間の予定で開催されています。
車を持たない私はこの展覧会をあきらめていたのですが、偶然、今日の午後、加世田に用事ができて、同僚のT先生の車で出かけました。
会場についたのは11時ごろ、すでに、人だかりで一杯でした。
認知症の調査のことでお世話になった体育のN先生(鹿児島県体操協会副会長)がお見えになっていて、直接野崎先生に紹介いただいた。
私は、折あらば・・・と用意していった上記のブログ記事で「からいも育ち」を読んだこと、万世飛行場の工事のくだりや竹田神社で特攻隊兵士を送った図のことなど感想をお話した。いまはこの本を手に入れることはできないが、カラー版での企画があることをお聞きしました。
見終えて、「一日一絵」第1集(絶版) を買いました。*第10集まで刊行されている。
先生からご署名をいただいた。(写真)
*この写真については、先生のお許しをいただいた。絵については著作権の関係でご紹介できないのが残念です。天才としか言いようが無い。吉永小百合や森繁久弥からの書状で絶賛されています。
昭和12年(1937年)旧加世田町万世に生まれる。
昭和58年(1983年)、難病の「肢帯型筋ジストロフィー症」となる。
1983年11月6日、結婚式の招待を断り、その代わりにかねて胸に秘めていた「一日一絵」をこの日から始めた。そして、今日まで27年。1日たりとも休んだ日は無い。
この作者のことは、
第3881号(2010.08.25)
で、『からいも育ち』の著者として紹介しました。
twitter仲間のsandanshikomiさんに教わった本です。
南さつま市市制5周年記念行事として昨日から1週間の予定で開催されています。
車を持たない私はこの展覧会をあきらめていたのですが、偶然、今日の午後、加世田に用事ができて、同僚のT先生の車で出かけました。
会場についたのは11時ごろ、すでに、人だかりで一杯でした。
認知症の調査のことでお世話になった体育のN先生(鹿児島県体操協会副会長)がお見えになっていて、直接野崎先生に紹介いただいた。
私は、折あらば・・・と用意していった上記のブログ記事で「からいも育ち」を読んだこと、万世飛行場の工事のくだりや竹田神社で特攻隊兵士を送った図のことなど感想をお話した。いまはこの本を手に入れることはできないが、カラー版での企画があることをお聞きしました。
見終えて、「一日一絵」第1集(絶版) を買いました。*第10集まで刊行されている。
先生からご署名をいただいた。(写真)
*この写真については、先生のお許しをいただいた。絵については著作権の関係でご紹介できないのが残念です。天才としか言いようが無い。吉永小百合や森繁久弥からの書状で絶賛されています。
うらやましい(笑)
吉永小百合さんや森繁久弥さんから絶賛されていたってのは、知りませんでした。
私も見に行きたいけど、無理だと思うので、
先生から感想をお聞きするのを楽しみにしています。
「からいも育ち」を
教わった私のほうが
サインをもらったり
写真を撮ったりでした。
てーぶるに
その「からいも育ち」を置いておられた。
原画コーナーも見ました。
子どもの頃の記憶を詳しい絵に書く
それをいまでも鮮明に記憶されている
常人の記憶ではないと思いました。
あくまでも謙虚な方で
なるほど一流の人物(歴史に残る・・)
は、ちがうな
と感服したのでした。