介護福祉は現場から 2007.02.22-2011.01.25

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第3764号 若い人との読書会で本格的な歴史研究書を紹介

2010-06-28 09:54:46 | ネットの世界
写真は、昨日の会場となった、天文館七味小路のMouffe Cafe。

昨日、6月27日、妻は、日帰りで大隅半島の義母のところへでかけた。
午前中は、このところ、定例的に出席している鹿児島市内の若い人の読書会にでかけた。

TenDoku

昨日は、6名の参加でした。人数は少ないが、常連を中心にがっちりした内容でした。その模様は、上記サイトにアップされると思いますから、以下、私が持っていった本のことを書きます。

資料編 P 5481

この本は、685ページという大冊ですが、読書会での報告時間は90秒です。このあと、5分間のフリートークが続くのですが、この本の内容に詳しく触れる時間はありません。
それで、これまで、このブログで書いた5回の記事の内容から抜粋して、1つの記事としました。

これまでの本書に関する自分の記事をまとめて読み返してみて、
① 日本近代史における薩摩の役割と現代の鹿児島での市民生活を考え直すきっかけ
② 自分のメインテーマである「介護専門職」の勉強も、行政や研究者の文献ではなく、正式の記録としては注目されないようなもの(介護従事者のブログやtwitter)を基礎資料としている

という点を確認できました。


【一生かけた仕事を一冊の本に】

2007年、日本学士院賞を受けられた九州大学名誉教授の
秀村選三先生の
『幕末期薩摩藩の農業と社会ー大隅国高山郷士守屋家をめぐって』
(2004年、創文社。685ページ+索引38ページ。13,000円+税)
*今日現在では、この本は、創文社HPにはアップされていない。


【鳥の目と虫の目】

日本社会経済史の分野では、この研究のように、一つの家族の記録・一つの集落の記録を丹念に読み込んだ作業をしたものは少ないということです。

人生の半ばから社会福祉の分野について学ぶこととなりましたが、日本の普通の生活では人々の暮らしはどうなのか、そして社会はどのように立ち向かったのか
の記録が欲しいと思ってきました。

『老人生活研究』(今は廃刊)という雑誌を読むことによって、日本の介護職の日常を知ることができました。まだ、十分に調べてはいませんが、介護職の方のブログによって、日本の現状がより明らかになると思います。
*ブログにならないような、文書にも残らないようなことが重要かとも思いますが、鹿児島に来て2年半、いままでの作業では、そのようなドキュメントにはなかなか遭遇できません。

秀村先生は、第1編の序説の末尾部分で・・
「(先生が大隅半島の1郷・1家を舞台に行ってきた)研究はきわめて微視的ではあるが、しかし何よりもビィビッドな具体性を持ち、それは今日、論理の空転により沈滞した(先生の専攻されている)従属労働史に対してなにかを寄与しうるのではないであろうか。」p.6
といっておられる。


【研究の特色】

○ 日本経済史において、西南辺境地域の研究は著しく立ち遅れている。
○ 研究者は著しく少ない。
○ 基礎的な研究が一つ一つ重ねられねばと思う。
○ はじめはよそ者にとっては、なかなか入りにくい環境だった。
○ 1952年から大隅国高山郷に限定してモノグラフを作成することにつとめた。

【特に印象に残った箇所】

○ 薩摩藩においては藩権力に対する抵抗運動は純然たる百姓一揆ではなく、郷士・百姓の一揆として特徴がある
○ 民俗学の成果も多い地域だが、社会経済史との連絡・交流が少なかった。
○ 支配体制、社会・経済構造、民衆の生活慣行にいたるまで、従来の日本史研究の通説に種々の反省を促すものがあるのではないか。   p.16


【薩摩藩の特色】

3 西南辺境型藩領国の特質 pp.31-45
○ 旧戦国大名の体制をそのまま受け継いだ
○ 地方地行を続けた
○ 郷士制度が続いた
○ 封建的小農民の自立度が弱い→タイトルの「百姓一揆」が少ないはこの項の記述から。
○ 武士の開拓による地主制の形成
○ 農民的貨幣経済は未発達
○ 琉球貿易・藩貿易の展開
○ 浦町の発展 特権的船持商人


【薩摩藩の社会経済的な特質】
① 江戸幕府は、薩摩藩について、(江戸から)遠隔・辺境のため、独自の体制を容認さざるを得なかった。
② 石高は72万8000石。(後に77万国)
 *単位や対象に差がある。
③ 支藩は、日向国佐土原藩のみ。
④ 郷士・家来は、各郷の「麓」(武士集住地)に屋敷を持ち、小城下町をなした。
明治4年の平民・士卒の比: 73.6 vs 26.3 → 全国比率の6倍
⑤ 外城102(後に113)といわれる各郷に郷士が多数居住した。
⑥ 郷士の下層は小高、無高も多く、職人、小作、日雇いをして生活した。
⑦ 郷=麓+在(村)+野町+浦
⑧ 農民の自生的力は弱かった。百姓一揆はほとんど起こらず、たとえあっても「下級郷士らの主導するもの+農民」 という構図
⑨ 土地の開発は武士が特権的に行う。
⑩ 野町・・日常雑貨の売買にとどまる。浦町は発展。
⑪ 特産物多い。ことに砂糖。専売制度。領外通商への積極的進出。
⑫ 琉球の対中国貿易を内分に管理支援
⑬ 領国の北には「二重鎖国」。南方には開かれた海洋国家。
 イギリスへの留学生派遣。パリ万国博覧会には幕府とは別に出品。
⑭ 藩主導の「上からの近代化」 軍事的近代化が顕著で倒幕の主力になりえた。


【隅の首石】
○ 領主権力の強大 農民の自立度の低さ
○ 農民支配の先端としての郷士の存在形態を明らかにしたい
○ 農民側史料が少ないので、郷士の側面から村落の解明をしたい
○ 大隅国・高山郷士・守屋家 のモノグラフを克明に描く
○ その視角から薩摩藩郷村の一局面を少しでも具体的に把握できれば・・

「・・確実な定点を据えておけば、今後南九州・西南日本の研究が広く展開する時に「隅の首石」の一つとのなればという願いを秘めている。」 p.50


【その後の章から】

* 第3章から第15章までの主な章から。
この後半部分こそ、この本の特色といえますが、特に興味のあった章のタイトルを掲げるにとどめます。江戸時代後期の鹿児島県における日常と今日との連続性に驚かされます。

第6章 守屋家における下人

第9章 守屋家の「親類中」(親族組織)

第11章「舎人日帳」より見たる守屋家の年中行事

第13章 高山郷における宗門手札改と一向宗禁制


《2868字》
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