介護福祉は現場から 2007.02.22-2011.01.25

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4 ニューヨークの2週間(1990年)

2008-04-30 06:44:38 | 鹿児島
富山県で高校までを過ごし
東京での大学生活と社会人としての生活
東京にいることは、日本各地の人と会うこと
若い時期はそこから「日本」を理解した。

30歳代と60歳代に
故郷に近い金沢で働き
北陸が自分の原点であることを確認した。

1979年からのドイツ滞在は
世界から日本を考える機会を与えた。

今日は、アメリカ。
写真は、1990年、ニューヨークに2週間いたときのもの。

ニューヨーク市立大学医学部(マウントサイナイ大学)の
ロバート・バトラー先生(アメリカの国立老年学研究所の創設者で初代所長)
からの招待で、60分の講演を行った。
(バトラー先生の司会。30分の講演と30分の質疑)
*講演テーマは、日本の高齢者ケア政策でした。会場からの質問が厳しかった。
報酬として2000ドルをもらった。小切手の換金が大変だった。

アメリカへは
若い時期に都合10回は行っています。
5年間連続して夏季期間にでかけたミシガン大学(アナバー)の大学都市も忘れがたいのですが
やはり2週間夫婦で滞在したニューヨークのことが忘れられません。

写真はブルックリンから夕方、対岸を展望したもの。
摩天楼の右奥に2本同じビルが見えますか?
その後、飛行機がぶつかって倒れたツインタワービルです。
そのアメリカの歴史の転換期となったビルが写っているためにこの写真は貴重だと思いこうして飾っています。

ニューヨーク市立美術館。
中央公園。
ウォール街。
5番街。
世界の文化と経済の中心街を歩き、「世界」を実感しました。

5番街のメインの大通りのよこの道にはホームレスがいました。
韓国の人が行く総菜屋で食事を買いました。
中華街に案内してもらい中国の人達と一緒に食事をしました。
大学のゲストハウスにとまったのですが
夜の間、警察のサイレンと救急車の叫びが絶えることはありませんでした。

ゲストハウスは、中央公園の前にあって、朝、大学へ行く僅かの距離の間に沢山の精神障害の人に会いました。

ヨーロッパに3年いて東京に戻り
そのあとのアメリカでした。
日本は、アメリカと戦争して負けたせいか
外交・経済・文化・スポーツとアメリカの圧倒的な影響のもとにあります。
最近では、ニューヨークの治安は良くなったというのですが
1990年のニューヨークは、いまでも私のアメリカ像の原点です。
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1 コメント

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右側に見えるのは? (genesislife)
2008-04-30 11:41:19
 右側に見えるのは、もしかしてツインタワーですか?

 だとしたら、お2人にとってだけではなく歴史的にも貴重な写真になりますね。

 あの頃は10年後にツインタワーが攻撃されるとは思いもしませんでしたし。

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