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「現代語訳・西鶴 日本永代蔵(暉峻康隆)」という本はとてもオススメ!

2015年10月30日 01時00分00秒 | 
「現代語訳・西鶴 日本永代蔵」の購入はコチラ

 日本永代蔵という本は、江戸時代の井原西鶴(いはらさいかく)が、元禄元年(1688年)正月の47歳の時に、富を築くことを目的とする町人、特に若者に対して、その目的を遂げた人々の生きざまについて教訓となるよう書かれたものです。

もちろん富を築きながらも没落した人々やその理由についても書かれています^_^;)

 永代蔵とは「長続きする堅固な蔵」という意味で、そういう財を入れた蔵を永く持つことを目的としたものです。

 この日本永代蔵という本の構成は、巻1~6まであり、それぞれ5つ話があるので、6×5=30の逸話から成り立っています。

この日本永代蔵(6巻30章)が、大坂の森田庄太郎を筆頭に、京都の金屋、江戸の西村が加わった三都版で、当時華々しく出版されたようです。

 しかもこの作品は西鶴の全作品の中で、もっとも広く長く読まれ、早くも元禄元年5月に大坂で西沢太兵衛版の「永代蔵」が出て、そのほか初版の森田系統のもの5種類が、幕末の文政から天保に改題して飽きもせず出版されたようで、かなり人気だったようです。

 このように江戸時代末まで人気だったのは、教訓性と実用性があったからのようです。
特に、親譲りの財産をあてにせず、独立独歩で一代で勝利を勝ち取る内容が多いので、そういう貧しい若者たちが激励されたのだとも思います。

 そのほか個人的には、この日本永代蔵には全国各地の様子や習わし等がたくさん書かれていて、興味を惹き立てたのだとも思います。

 この日本永代蔵の30章を整理すると、肯定的な致富談を肯定的に描いた章が約2/3、残る1/3は否定的な致富談を否定的に描いたもので、坊主や遊女や顧客をあざむいて儲けた連中や、好色とぜいたくを戒め没落に対する警告の説話などが描かれています。。
 金のためには悪徳をあえてする町人の存在を認めながらも、それを許すことのできないモラリスト西鶴が垣間見えます。

 この本の主な内容をピックアップすると以下となります。
現代でも参考となる内容だと思います^_^)

・大坂の金持ちは代々続いているのではない。丁稚が成り上がる。奉公はよい主人を持つのが第一の仕合せである。
・三井九郎右衛門は初めて現金売りで掛値なしと定め、一品で売ることも可能とし、即座に仕立てて渡せるようにし大繁盛
・家業のほかに、銭や小判、米、薬、呉服、綿、酒の相場などを記録し、京都中の重宝となる
・娘は遊ばせず、躾ること
・金持ちの処方は、早起き5両、家業20両、夜なべ8両、倹約10両、健康7両。そのほか、毒断ちが必要なものは美食や好色、絹物の普段着、女房の乗物外出、娘の琴や歌がるた遊び、鼓や太鼓などの息子の遊芸、夜歩き、博打、仲裁や保証人、食事ごとの酒・煙草好き、役者遊びと郭通い、月息8厘より高い借金等。
・人は若い時に蓄えて年寄ってからの慈善が大切
・世渡りの種を大事にせよ
・ぜいたくは没落、千丈の堤も蟻の穴から崩れる
・利息というものは、積もれば相当な額になる
・仕事は工夫すること
・朝夕油断なく働き、工夫して発明すること
・好きな道は器用といわれその身の仇になる。家業にい勤しむこと
・妻の焼き餅は家のためになる
・子どもに対する厳しい躾はその子のためであり、甘いのは仇
・金銀は儲けにくくて減りやすいもの、朝夕算盤に油断してはいけない
・工夫、知恵が長者になる
・人の家業は急流の水車のように休みなくいつも油断してはならない。人間の一生は長いようだが短いもの
・欲しい物は買わず、惜しい物を売るのが商いの心掛け
・金持ちになるには、心を山のように大きく持って、よい手代を持つことが第一の条件

 日本永代蔵は、江戸時代の古典ながらも、商売だけでなく人生をより良く生きるポイントが満載で、とてもオススメです!!
特に本社は現代語訳なので、読みやすくて良いですね!

以下はこの本のポイント等です。

・天道は何もいわずに、国土に深い恵みを与えている。ところが人間は誠実でありながらも、偽りがちである。というのも人の心は本来空虚なもので、外物に反応して善とも悪とも形を現すが、外物が去ればまたもとの空虚に帰してしまうものだからである。そうした善と悪との間をゆれ動く人の世に在って、政道正しい今の御代を豊かに生きている人は、まことに人の中の人であって、凡人ではない。人間にとって一生の一大事は、生きていくための職業である。だから士農工商はもとより、僧侶や神主に至るまで、倹約の神様のお告げどおりに働いて金銀を溜めるがよい。これこそ両親を外にしての命の親である。もっとも人の命というものは、長いものと思っていても、翌朝はどうなるかわからないし、短いものだと思えば、早くもその日の夕方に終わる。だからこそ中国の詩人李白も、「天地は万物を宿す旅宿、歳月は永遠に過ぎ去り行く旅客、まことに人生は夢まぼろしである」といっているのである。まことに人の命は、あっという間に煙となってしまう。死んでしまえば金銀は何の役に立とう。瓦石にも劣るものだ。あの世で役には立たない。とはいうものの、残しておけば子孫のためになるものである。ひそかに思うに、世にあるほどの願いは、なんにもよらず金銀の力でかなわぬ事が天下にあろうか。ままならぬのはたった一つ、地水火風空の生命だけであって、それよりほかにはない。とすれば、金銀にまさる宝のあろうはずはない。見たこともない島の鬼が持っている宝という、かぶれば姿が見えなくなる隠れ笠や隠れ蓑を手に入れても、にわか雨の役には立たないのだから、夢のような願いを捨てて、手っ取り早くそれぞれの家業を励むがよい。福徳は堅固な身持ちについてまわるものだ。常に油断してはならない。ことに世の道理に従い、神仏をまつるがよい。これこそ日本の風俗(ならわし)である。

・いったい世の中に、借金の利息ほどおそろしいものはない。その男の住所は、武蔵の国江戸で、小網町の下手の船着場で船問屋をしていたが、しだいに繁盛するのを喜び、掛硯に仕合丸と書きつけて、水間寺の銭を入れておいて、漁師の出船の時にわけを話して、百文ずつ貸してやった。借りた人は、思いがけない幸運に恵まれるという噂が、遠い漁村まで伝わって借りにきたので、その返済する銭が先の分から毎年集まり、一年二倍の勘定で、十三年目にはもと一貫の銭が8192貫にかさんだ。

・この二、三日は気分が悪くて引きこもっている、と見世の者がせわしそうにいうので、手紙を渡しそびれて帰りしなに、思いがけない浮気がおこり、「もともとこの金はおれの物じゃない。一生の思い出に、この金ぽっきりということにして、今日一日だけ遊び、老後の話の種にでもしよう」と決心したが、一歩では揚屋町で遊ぶことなど思いもよらない。出口の茶屋に行って、藤屋彦右衛門という家の二階に上がり、昼間の揚代9匁の鹿恋女郎を呼んでもらい、呑みつけぬ酒に浮かれた。これを遊びの手習いはじめとして、女郎と恋文のやりとりも覚え、しだいに遊びの格があがって、太夫を片っぱしから買いはじめた。折もおり、都の太鼓持四天王とよばれる願西弥七、神楽庄左衛門、鸚鵡吉兵衛、乱酒与左衛門の四人に仕込まれ、まんまとこの道の達人となり、後にはお洒落な道楽者の身形も、この男をまねるようになった。扇屋の恋風様とおだてられて散財し、人のなりゆきはわからないものだ、目にとまってから4、5年のうちに、二千貫目の財産は塵も灰もなくなり、火を吹く力もなくなって、残った家名にゆかりの古扇一本を元手に門付とん、「ひとたびは栄え、ひとたびは衰うる」と、わが身の上を謡うその日暮らしの身の上となってしまった。そのなりゆきを見るにつけ、聞くにつけ、「今時はもうけにくい銀(かね)を、よくもまあ!」と、身持ちの堅い鎌田屋の何某という金持ちが、子どもらのいましめに語ってきかせてあという。

・世渡りの道は、草の種のようにいくらでもあるものだ。冬の初め、北浜に九州米を水揚げする際、こぼれたままになっている筒落米をはき集めて、その日を暮らしている老女がいた。器量が悪いので、23で後家になったが、二度目の亭主になってくれる人もなく、一人の倅を行く末の楽しみにして、悲しい年月を送っていた。ところがいつのころであったか、諸国の改免が行われて米が出回り、この港にも大量に回漕され、昼夜ぶっ通しでも水揚げしきれず、借蔵もいっぱいになって、俵の置き所もない有様であった。あちこちとたくさんの俵をおき直すごとにこぼれ落ちる米を、この老女が塵と一緒にはき集めたところ、朝夕食べてもなおひと月に1斗4、5升も残った。それから欲が出て倹約して溜めたところが、はや1年のうちに7石5斗まで増やして、こっそりと売り払い、あくる年はなおまた増やしたので、毎年かさんで20年あまりの間に、へそくり銀が12貫5百目になった。それから倅も遊ばせておかず、9つの年から小口俵の捨ててあるのをひろい集めさせ、それをほぐして銭さしになわせ、両替屋や問屋に売らせたところが、人の思いもよらぬ金もうけして、自分の腕で稼ぎ出した。後に倅は、身元の確かな人へ小判の日貸しや、はした銀の当座貸しをはじめたが、それから思いついて、今橋のほとりに銭店を出した。すると田舎から出てきた人が両替におしかけたので、明け方から暮れ方までわずかの銭や銀を店に並べ、丁銀を細銀に替えたり、小判を細銀に替えたりして秤にひまなく掛けるようになり、毎日毎日のもうけが積もって、10年たたぬうちに両替仲間の一流となった。ほうぼうへ貸し出すばかりで、自分のほうへは借りることがなく、両替屋の手代もこの男に腰をかがめ、機嫌をとるほどになった。毎日の小判市も、この男が買い出せばにわかに上がり、売り出せばたちまち下がりめになるのであった。自然と人々はこの男の意見を尊重し、皆々手をさげて旦那旦那とうやまった。中にはこの男の先祖のあらさがしをして、「なんだ、あんな奴に頭をさげて世渡りするのは、いかにも残念だ」と我が立てる者もいたが、急場にはさし当たって困り、その男もまた無心するのであった。まったく金銀の威勢である。後には大名相手の金融をもっぱらとし、あちこちの蔵屋敷に出入りするようになったので、昔の事をいい出す人もなくなった。倅は格式の高い家と縁組みして、家蔵も数多く建て、母親の持たれた筒落はきのわらしべほうきと、それに渋団扇は貧乏をまねくと世間ではいうが、この家にとっては宝物だと、方角のよい乾隅におさめておいた。諸国をまわってみたが、今でもまだ稼ぎがいのあるところは大阪北浜だ。ここにはまだ流れ歩く銀もあるという。

・三井九郎右衛門という男は、手持ちの資金に物をいわせて、家康が鋳造させた駿河小判も思い出される駿河町に、間口九間に奥行き四十間という棟の高い長屋を造って新店を出し、すべて現金売りで掛値なしと定め、40余人の利発な手代を思うままにさばき、一人に1品を受け持たせた。たとえば金欄類1人、日野絹・郡内絹類に1人、羽二重一人、紗綾類1人、紅類1人、麻袴1人、毛織類1人というふうに手分けして売らせた。おまけにびろうど1寸4方、どんすを毛貫袋になるほど、緋じゅすは槍印になるだけの長さでも、竜門は袖覆輪の片方分だけでも、求めに応じて売り渡した。ことに奉公口の決まった侍が、にわかに主君にお目見えす際の礼服の熨斗目や、急ぎの羽織などは、その使いを待たせておいて、数十人もかかえた職人が居ならび、即座に仕立てて渡してやる。そんなふうだから家が繁盛し、毎日百五十両ならしの商売をしたという。世の調法とは、この店のことである。この亭主を見ると、目鼻手足があって、ほかの人と変わったところはないが、ただ家職にかえてかしこいだけである。大商人の手本といってよかろう。

・藤市は利口者で、自分一代でこれほどの金持ちになったのである。何よりも人間は、心身ともに堅実であることが世渡りの根本である。この男は家業のほかに反古で帳面を綴じておいて、いつも店に居て筆を離さず、両替屋の手代が通ると、銭や小判の相場を聞いて書きつける。米問屋の手代には、米の相場を聞き合わせ、薬屋や呉服屋の手代には、長崎の様子をたずね、繰綿や塩・酒の相場は、江戸の出店からの書状のとどく日を待ち合わせて記録するというふうに、毎日万事の相場を書きつけておくので、わからなくなった事はこの店にたずね、京都中の重宝となった。

・何よりもわが子の成長を見るほど、おもしろいものはない。藤市も娘が年ごろになったので、嫁入り屏風をこさえてやったが、京都の名所づくしを描いてやったら、まだ見ていない所を歩きたがるだろうし、「源氏物語」や「伊勢物語」の絵では浮気者になるだろうからと、多田の銀山の出盛りの有様を描かせた。こういう考えから、娘のしつけを読みこんだいろは歌を自分で作って読み習わせ、寺小屋へも通わせないで、家で手習いを教え、とうとう京で一番のかしこい娘に育てあげた。娘も親の倹約なことを見習って、手習いはじめの8歳から墨で袂をよごさず、桃の節句の雛遊びをやめ、盆にも踊らず、毎日髪も自分ですいて丸髷に結い、身の回りのことはいっさい人の世話にならない。引き習った真綿も、着丈の縦横いっぱいになるように仕上げるのであった。とかく女の子は遊ばせておいてはいけないものだ。

・長者丸という妙薬の処方を御伝授しましょう。早起き5両、家業20両、夜業(よなべ)8両、倹約10両、健康7両、この50両の薬を細かにくだき、秤目にちがいのないように気をつけて調合に念を入れ、これを朝晩飲んだら、長者にならぬということは、まずありますまい。けれどもこれには大事な毒断ちがあります。美食と好色と絹物のふだん着、女房の乗物外出、娘の琴や歌がるた遊び、鼓や太鼓など息子の遊芸、蹴鞠、楊弓、香会、俳諧、座敷普請、茶の湯道楽、花見、舟遊び、日風呂入り、夜歩き、博打、囲碁、双六、町人の居合い抜きと剣術、寺社参詣と後生を願う心、諸事の仲裁と保証人、新田開発の出願と鉱山事業の仲間入り、食事ごとの酒、煙草好き、あてのない京のぼり、勧進相撲の金主、奉加帳の世話焼き、家業のほかの小細工、金目貫の収集、役者遊びと郭通い、揚屋への出入り、月息8厘より高い借金、まずこの通りを斑猫やひそう石よりもおそろしい毒薬と心得て、口に出すことはもちろん、心に思ってもいけません。

・この人も、一生を通じてけちであったら、富士を白銀にして持っていたからとて、つまりは武蔵野の土となり、橋場で火葬の煙となってしまう身であることを悟って、かしこくも老後の費用を蓄えておき、ありとあらゆる楽しいことをして暮らしたのである。88歳の時には、世間の人が伝え聞いてあやかろうと、枡掻きを切ってもらったり、子どもの名付け親を頼んだりした。こうして人に重宝がられ、飽きるほどほめられて亡くなったが、その葬礼のりっぱなことといったら、まるでそのまま仏にでもなられるのかと思われるほどで、後の世でもさぞかし仕合わせなことだろうと、人々はうらやむのであった。人は若い時に蓄えて、年寄ってからの慈善がたいせつである。とてもあの世へは持っていけないものだが、とはいえこの世でなくてはならぬ物は金だ。金の世の中とはよくいった。

・三弥は小判蔵の鍵を受け取って、思うままにぜいたくを始めた。豊後の水質は硬いと言い出し、とにかく都の水にまさるものはあるまいと、清水寺の音羽の滝水を毎日くませ、幾樽も順ぐりに遠い海上を運ばせて、わが家の内に設けた蒸風呂や据風呂を毎日たかせた。昔、塩釜ともいう奥州千賀の浦の景色を京都六条の邸宅にうつしたので、塩釜の大臣とよばれた左大臣源融の例がある。この三弥は京都の水を豊後の風呂桶にうつしたというので、風呂釜の大臣と世間ではいいふらした。これでは、おっつけ暮らしも立たなくなるだろうと見守っていると、思ったとおりある年の暮れに年間の収支決算をしたところが、5千貫目余の収支に、1匁3分だけ元銀に不足が生じた。それからはしだいに穴が大きくなって、千丈の堤も蟻の穴から崩れるというたとえの通り、その身に災難が重なって、ついには罪を犯して命まで失い、あとに残った物は他人の宝となってしまった。

・商売が左前になった呉服屋忠助という男がいた。昔は、駿河府中の本町に軒を並べていた商家の中でも、花菱の大紋を暖簾に染め抜き菱屋という屋号をあらわした豪商であった。駿河の国はもとより、東国や北国にも多くの手代に出店を持たせたのえ、しだいに人手がふえていった。家内のにぎやかさとはいえば、飯を炊く大釜には富士山のように煙がたえず、水瓶には湖水をたたえ、朱椀は竜田の紅葉を散らしたようであり、白箸は武蔵野に立つ霜柱のようであった。そうした朝の繁盛が夕べに消え、こうもまたなり果てるというのも世の習いであり、時世時節とはいうものの、つまるところは亭主の心がけがわるいからである。忠助の親の代には、わずかの身代であったが、安倍川紙衣に縮緬皺をつけることを工夫し、また、さまざまは小紋をつけることもはじめ、この土地の名物となって諸国に売り広めた。はじめはこの人ひとりの専売だったので、30年あまりのうちに千貫目の身代になったといわれている。この親の子にしてはできがわるく、忠助が家を継いでから30年あまりというもの、収支の決算もせず帳面にもつけないという無鉄砲なやり方であった。だから算盤の玉をはじいても締めくくりのつくはずはなく、春の柳が風に乱れるように家計は乱れ放題、日向の氷のように、またたくまに元の水にかえってしまい、湯をのもうにも薪さえない有様となった。これほどまでに衰えるということは、めったにないことである。いったいに金もうけはむつかしく、減るのも早いものだ。忠助も財産をすってしまった今となってこの事を悟っても、もはや手遅れである。

・何事でも積もれば、大願も成就するものだ。この九助は、この心がけでしだいに家が栄え、田畑を買い求め、ほどなく大百姓となった。季節季節の農作物に肥料をほどこし、田の草を取り、水をかいて手入れするので、おのずから稲が実って房ぶりがよく、木綿もたっぷりと花咲き実り、人より多くの収穫があるというのは、けっして天然自然の結果ではない。朝夕油断なく、鍬鍬のちびるほど働くからである。九助は万事に工夫の深い男で、便利な物をいろいろと発明した。鉄の爪を植え並べて、細ざらえというものをこしらえたが、土をならすのにこれほど人の助けになるものはない。このほかに唐箕や千石通しも発明した。またそれまでは、麦の穂をこく仕事も手間がかかったのに、尖り竹を植えならべ、これを後家倒しと名付けた。昔はこき竹を使って二人がかりで穂先をこいでいたものだが、これは力を入れずに、しかも一人で手早く使えるように工夫したのであった。さらにその後、女の綿仕事をまだるっこく思い、ことに綿打ちは小さな竹弓を使って、ようよう一日仕事に5斤しかこなせないことに目をつけて工夫し、中国人のやり方を調べて、鯨の筋を弦にした唐弓という道具をはじめて作りだした。それを世間に内緒で、弦を横槌で打ってみたところが、一日に三貫目ずつもはかどったので、雪山のように繰綿を買い込み、多くの人を雇って打たせ、打綿の荷を数かぎりなく江戸に積み出すようになった。4、5年のうちに大金持ちとなって、大和で知らぬもののない綿商人となった。平野村、大坂京橋の綿市場、同じく大坂の綿問屋の富田屋、銭屋、天王寺屋などに、毎日何百貫目と限りもなく、摂津・河内両国の綿を買い取って送りだし、秋から冬にかけてのわずかの間に毎年もうけて、30年あまりに千貫目の身代となった。その財産を遺言状にしたためて、その身一代は楽をするということもなく、子孫のためによいことをして、88歳で亡くなった。

・「めいめいの家業を怠って、諸芸を深く好んではならない。これらの浪人たちも、日ごろすきな道で世を渡る身の上となってしまった。人にすぐれて器用といわれる事は、必ずその身の仇となるものだ。公家は歌道を、武士は弓馬の道を励み、町人は算用をこまかにして、天秤のはかり方を間違わないようにし、手まめに売上帳をつけよ」と小金が原の長者が、大勢の子どもに申し渡された。

・この跡取りが、金のあるにまかせてすこし浮かれだし、妾をさがしたり、旅回りの陰間を相手に遊んだりしたところが、例の嫁は見込んだとおり焼餅をやいてわめき立てるので、世間体をはばかっておのずから色遊びをやめ、酒を呑んで宵から寝るよりほかはなかった。亭主が家を出ないので、まして手代どもはあんどんの陰にすわって慰みに帳面を繰り、丁稚は地算を習うよりほかなう、万事家の治まる事ばかりである。最初のうち笑っていた御内儀の焼餅が家のためになることを、今になって皆々思いあたるのであった。すべて親が子に対して寛大すぎるのは、家を乱すもとである。ずいぶんきびしく仕向けても、たいていは母親が腹を合わせて抜け道をつくり、身分不相応なむだ遣いをさせるものだ。厳しい躾はその子のためで、甘いのは仇になる。

・親仁が40年かかって稼ぎだした身代を、息子は6年で使い果たしてしまった。だから金銀というものは、もうけにくくて減りやすいものだ。朝夕算盤に油断してはならない。すべて店構えのよしあしについていえば、鮫皮、書物、香具、絹布など、上品な商いは、店飾りのゆったりとしているほうがよい。質屋や食い物商売は、小さい家でじだらくなのがよいということだ。「久しく商売を続け、客の出入りしつけた商人の家を改築してはいけない」とは、さる見識ある長者の言葉である。

・このように万事に気をつけて、後には、思いがけない知恵を出し、船着場の船頭どもの便利をはかった行水船を工夫したり、刻み昆布をつくって秤にかけて売り出したり、さてはチャン塗りの油皿、縮緬紙の煙草入れなど、ほかの人のしない事で、15年もたたないうちに3万両の金持ちになり、霊岸島に楽隠居して、二人の養い親に孝をつくした。いかに繁盛の土地だからといって、人並の働きで長者になることはできない。

・人の家業は急流の水車のように休みなく、いつも油断してはならない。瀬々の流れの速さは、一昼夜に75里と計算してあるが、その水の行く末さえ限りのあるように、人間の一生も長いようだが短いものだ。ほどなく額に老いの波が立ってしまう。

・ある長者の言葉に、「欲しい物は買わず、惜しい物を売れ」とある。この心掛けで稼いで奢りをやめたら、よい結果を見るにきまった事だ。だから商いの心掛けは、資本を強固にして、気を大きく持つことが肝要である。

・金持ちになるには、その心を山のように大きく持って、よい手代を持つことが第一の条件である。大坂の港にも、江戸へ積み出す酒を造りはじめて、一門が栄えている者がおり、銅山に手を出してにわか成金になった者もいる。吉野漆の問屋をして、人の知らない大金を貯えている人もおれば、小早という江戸通いの三、四百石積みの快速船を造りだし、船問屋として名をあげた人もある。家屋敷を抵当にとる金貸しをして富貴になった人もあり、鉄山の採掘を請け負ってしだいに金持ちなった人もある。これらは近代の成り上がり商人で、30年ことのかたの成功者である。町人の住むべき所は、京・大坂・江戸の三都以外にはない。遠国にも金持ちは多いが、世間の噂にのぼらぬ人が多い。

良かった本まとめ(2015年上半期)

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川万(神奈川県平塚市)のウナギはとてもオススメ!

2015年10月28日 01時00分00秒 | 外食
神奈川県のJR平塚駅近くで、食べログで検索すると老舗の川万が、良さそうなので行ってみました!


↑店構え

昭和3年創業で、昭和39年には天皇皇后両陛下が近くに来られた際にウナギの蒲焼を献上したようで、好評だったようです。
すごいですね。


↑天皇皇后両陛下へ献上

さっそくメニューを見て注文します。


↑メニュー

ウナギ高騰の昨今、うな重1750円は安いと思いましたね!
また、川万一番人気「きも焼き」420円というのは、そそられて注文しました^_^;)

さっそく、その「きも焼き」が運ばれますが、おぉぉ結構身がたっぷりで、ほどよく焼かれて、たっぷり甘いタレに漬かっていて、旨そう!
少し苦味がありますが、これは歩き疲れた身体が癒されます!
美味しい!
さすが一番人気の「きも焼き」です!


↑きも焼き

そして、うな重と、肝吸い、漬物が運ばれます!


↑うな重など

小骨はありますが、ウナギはしっかりフワフワに焼かれていて、そして甘いタレが適度でこれは美味しいです!
1750円でこのボリュームは十分かと思います!
また肝吸いはアツアツで、これまた旨い!
漬物もうな重に合いますし、ウナ重アンサンブル!!

それから、店員さんもこまめにお茶を注いでくれて優しくて良かったですね^_^)

老舗の川万は、リーズナブルに美味しいうな重を堪能でき、とてもオススメです!!

美味しかったものまとめ(2015年上半期)

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川万うなぎ / 平塚駅

夜総合点★★★☆☆ 3.5

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東海道五十三次 街道をゆく 藤沢宿~平塚宿 (2)源義経首洗い井戸~弁当

2015年10月26日 01時00分00秒 | イベント・外出
 前回に引き続き、阪急交通社が企画する「東海道五十三次 街道をゆく」の第6回目の藤沢宿~平塚宿(2)源義経首洗い井戸~弁当編について紹介したいと思います。

 それから源義経首洗い井戸へ行きました!

源義経は、兄の頼朝に追われて1189年に奥州平泉で自害した後、43日かけてその首が鎌倉まで運ばれ、腰越の浜で首実験され、そして片瀬の浜へ打ち捨てられたようです。

 それが、潮に乗って境川をさかのぼり、この辺りに漂着したのを里人がすくい上げ、この井戸で洗って清めたとのことです。

そんな伝説があるとは知りませんでしたね。

義経の首が浜へ打ち捨てられていたというのも驚きですが、潮に乗ってさかのぼったというのも驚きました。


↑説明板の左奥が源義経首洗い井戸


それから、白旗神社へ行きます。
この日は10月にも関わらず晴天で猛暑でしたね^_^;)
かなり暑い!
そんな感じが写真から伺えます^_^;)


↑白旗神社

 ここでも地元の方によるガイドがありました。
白旗神社は、もともとは寒川比古命を祀っていましたが、源義経の霊を弔い、祭神としたとのことです。
伝承では、義経と弁慶の首は首実験が腰越で行われ、夜の間に二つの首は、この神社に飛んできたとのことです。
このことを鎌倉の源頼朝に伝えると、白旗明神としてこの神社に祀るようにとのことで、それ以来義経を祭神として、後に白旗神社と呼ばれるようになったとのことです。
7月の夏祭りには義経・弁慶神輿が練り歩くようです。


 それから少し歩くと、見附跡がありました。
これも宿場町では毎度のことですが、ここで藤沢宿は終わりということになります^_^)


↑見附跡

それからしばらく歩くと、「おしゃれ地蔵」があるのには驚きました!


↑おしゃれ地蔵

女性の願いごとなら、何でもかなえ、満願のあかつきには、おしろいを塗ってお礼をすると伝えられているようです。
地蔵の顔が化粧されていましたので、願いが叶った方が結構いるのでしょう^_^)
なかなか全国的にも珍しい地蔵だとおもいます。
なお、形態的には地蔵ではなく、道祖神のようですが、土地の言い伝えを大切にして、地蔵ということになっているようです^_^;)


 それから大山道標(四谷不動)がありました!


↑大山道標

 東海道と大山道が交差する四谷辻に建てられていたお堂と石造りの不動明王がある道標で、1676年に江戸横山町の講中が建てたものとのことです。
この道標は浮世絵にも描かれているようです。
またこの辺りには茶屋がたくさんあり、大山参詣の参詣客を誘ったようです。

大山道方面には、一の鳥居が立っていました。


↑一の鳥居

それから江戸の日本橋から13番目の一里塚跡がありました!
13番目なので、日本橋から約52kmということになりますね。
結構遠くまで来ました^_^)


↑一里塚跡

そして二ツ家稲荷神社がありました。
昔、二軒の茶屋があったのでその名前となったようです^_^;)


↑二ツ家稲荷神社

当時、江戸時代では江戸から江ノ島への3泊4日の旅がブームだったようです。
1泊目は保土ヶ谷に泊まり、2日目は藤沢を通って江ノ島の手前で泊まり、3日目は江ノ島や鶴岡八幡宮、神奈川八景を楽しんで川崎で泊まり、4日目は川崎大師で参拝して江戸へ帰ったようです。

それから、ようやく弁当タイムです!
今回は少し遅めの13時過ぎの食事でした!
お茶でのどを潤わせ、おいしく弁当を頂きます!


↑弁当

次は、(3)牡丹餅立場~馬入の一里塚です。

お勧めなお話(2015年上半期)
自動車保険を安く!

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「成功はゴミ箱の中に(レイ・クロック(マクドナルド創業者)自伝)」という本はとてもオススメ!

2015年10月23日 01時00分00秒 | 
「成功はゴミ箱の中に」の購入はコチラ

 「成功はゴミ箱の中に」という本は、米国のマクドナルド創業者であるレイ・クロックの自伝です。

 レイ・クロックは、マクドナルドを世界的チェーンにした人で、1954年に52歳だった時にミルクセーキ用のミキサーを売るために全米を旅していました。
 そんな彼がロサンゼルス東部のサンバーナーディノで出会ったのがマクドナルド兄弟のハンバーガー・レストランだったのです。
 清潔な店内、シンプルなメニュー構成、標準化された調理手順、セルフサービスによる効率化などに感心したクロックはチェーン化したいという望みを抱きます。
 以後、クロックはマクドナルドを大きくするために事業に取り組み、現在のような全世界的チェーンをつくり上げたのです。
52歳からの遅いスタートでしたが、彼は大きな成功を収めることができました。

 面白いのは、彼の前半生は、紙コップのセールスマン、ラジオ局のピアノ弾きなどを経てミルクシェイクを作る機械、マルチミキサーの会社を立ち上げていたことです。

 ここで見過ごせないのは彼が飲食業のプロではなかったことです。
アウトサイダーとしての客観的な目で事業の将来性を見抜いたことがポイントだと思います。

 また、前半生も一所懸命下積みの仕事をした結果、52歳からの成功を得ることができたのだと思います。

 いろんな苦しい時期を乗り越えながらも、正直に一所懸命生きて成功する姿はとても勇気づけられ、良い本だと思います。
とてもオススメです!

 ちなみに僭越ながら、現在マクドナルドは経営が苦境に陥っているようですが、創業当初のように美味しいものを安くメニューを絞って売ることも大切かと思います。強みを鍛え、品質、サービス、清潔さ、そして付加価値に力を入れることが創業以来のマクドナルドの考え方とのことです。

 なお、巻末にはユニクロの柳井正さんやソフトバンクの孫正義さんの対談や解説もあり楽しめます。

以下はこの本のポイント等です。

・これが資本主義の中で居場所を確保するための、私の最初の正念場だった。この苦しい時期があったからこそ、マクドナルドを成功させることができたと思う。この経験なくして、後に迎える、想像を絶する膨大な債務を背負った苦境を乗り切ることは不可能だったろう。

・この時期、問題に押し潰されない方法を私は学んだ。一度に一つのことしか悩まず、問題をズルズル引きずらない。毎晩眠りに就く前に、独自に開発した自己催眠法を行った。とにかく自分なりにアレンジしたスタイルで、平穏な気持ちで眠りに就く方法を編み出したのだ。これがなければ、翌朝、明るく新たな気持ちで接客することなどできなかっただろう。まず頭の中に黒板をイメージする。緊急のメッセージで埋め尽くされているが、黒板消しを持った手が、それを端から消してきれいにしていく。頭の中をこれで空っぽにした。途中で雑念が生まれたら、大きくなる前に消し去った。次に身体をリラックスさせた。首の後ろから下がっていき、背中、肩、腕、足、そして指先まで。終わる頃には深い眠りに就いていた。慣れるに従って、一連の手順を短時間でできるようになっていった。私が一日12時間から14時間働いた後に、客の接待を夜中の2時や3時まで続け、翌朝早起きして客に会いに行くことに驚く人は多かったが、秘訣は、1分の無駄もない、質の高い睡眠にあった。4時間しか寝られない日もしょっちゅうあったが、質の高い睡眠をとるよう心がけた。

・ジューンの魅力は、仕事に対するプロ意識と金銭に対する無頓着さだった。彼女の直感力も特筆に値すべきものだった。時には霊的な効力を発揮することもあり、彼女自身も無邪気に自分の能力を信じて疑わなかった。勤務初日、それはすでに現れた。その日、ジューンに銀行に振り込みに行くように頼んだが、そのとき彼女の所持金は、帰りの電車代の20セントばかりだった。通りの角で、救世軍の演奏に耳を留めた彼女は、心の声に従って20セントを鍋に投げ入れたのだ。会社に戻ってきたとき、彼女は興奮状態だった。「クロックさん、今日はなんて素晴らしい日なんでしょう!仕事を得ることもできたし、実は今日は息子の誕生日でもあるんです。牧場にいる息子にプレゼントを買ってやろうと思っていたんですが、もちろん無理な話でした」。そして所持金全額の20セントを寄付した後の話をした。銀行を出て会社に戻る途中、歩道の隙間にヒールを取られそうになったので、慌てて下を見ると、なんと足元に20ドル紙幣が落ちているではないか!「すぐに銀行に返して、落とし主がいるか聞いてみたんですが、それらしい人はいないとのことでした。銀行の方が、それはもらっても構わないと言ったんです。こんな幸運なことって信じられます?」

・ジューンの身の回りではこうしたことがよく起きた。幸運な人が周りにいれば、私も恩恵を受けられるかもしれないと思い、事実彼女の力と思えるような幸運な出来事が幾度も起こった。マクドナルドが軌道に乗り、社員が大勢になってからも、皆はジューンを「マザー・マルティーノ」と呼んで慕った。ジューンは全員の家族のプロフィールを詳細に把握していた。誰々の妻が出産予定だ、この人は家庭の問題を抱えている、今日は誰々の誕生日といったことまで・・・。みんなにとって、会社を居心地の良い場所にしてくれていたのはジューンだった。

・マクドナルドの店内に、公衆電話、ジュースボックスやいかなる自動販売機も置かない、というルールを敷いたのも私だ。オーナーたちは副収益を得る目的で、これらを導入したいと考えており、反対の声は強かったが私は譲らなかった。こうしたものは、お金にならない客を店に入れることになる。注文もせずに店内にとどまられても文句が言えない状況を自ら生み、ひいては不良のたまり場ともなりやすい。マクドナルドの家族団らんのイメージからも程遠いので、断固拒否することにした。また、当時、自動販売機には犯罪組織が絡んでいた場合がおおく、無用のトラブルを回避したかったことも大きい。

・オーナーから怒りの電話がかかってきた。「私を破産させる気か! 一ヶ月で、こんなに大量の肉やパンをさばけるわけがないだろう!」彼の怒りはすさまじかった。だが、1956年5月24日、オープン初日から店は大盛況で肉が足りなくなり、エドはデスプレーンズ店へ週末用の肉をもらいに行くほどだった。オーナーは結果に大満足し、前言を撤回したが、地主は20年間、契約条件を変更できないことに対し、私にまんまとだまされたと考えた。マクドナルドの大成功を目の当たりにし、こうなると最初から知っていたら、あのような契約には同意せず、もっと大儲けできたのにと悔しがった。しかし私は、この土地で、ここまでマクドナルドが成功するとは思っていなかったのだ。私は、契約にはつねに誠実な気持ちで臨んだ。相手が私をだまそうとしているときでさえい。だからこそ、脇目もふらず、片時も休まずにこの道を走り続けてこなければならなかった。世間知らずなところともあったかもしれない。私はその人の口から発せられる言葉をそのままに信じる人間だ。契約書を書かず、握手だけで商談を終わらせたこともあった。財産は何度も底を突きかけ、ひねくれた考えにとりつかれかけたこともあった。けれども、私には生まれ持っての明るさがあり、いつまでお皮肉屋でいることはできなかった。

・私は最初からその男の本質を見抜き、正しい評価を下していたが、それはどうでもいい。重要なことは、お互いが努力した時間は結果として無駄となり、さらに彼にとっては、人生の一部を袋小路で過ごし、それは取り返しのつかない時間のロスとなってしまったということである。もっと早く彼を解雇したら、彼は適職を探し、もっと良い結果が得られただろう。彼にとってもマクドナルドにとっても不幸なことだったが、このとき、洞察力のある判断は、下す本人以外には独断的に映るとわかった。

・フレッドが製品取り扱いについてのアイデアを出すたびに、私は納入業者と実行に至るまで話し合いを重ねた。これらの交渉には、私の長年にわたるペーパーカップとマルチミキサーのセールスマンとしての経験が役立った。人々は、私がマクドナルド経営を52歳という年齢で始めたにもかかわらず、瞬く間に成功を収めたことに驚嘆するが、実際にはショービジネス界の人々のように、そこにたどり着くまで30年もの長い下積み生活があったのである。

・マクドナルドのハンバーガーに使用される肉のパティは、見た目はほかのレストランが出すパティと同じだが、いくつか相違点がある。まず第一に、マクドナルドのパティは100%牛肉からできている。ほかの種類の肉が混ざっていることはいっさいない。パティの脂肪分は19%になるよう厳格に管理されている。マクドナルドのハンバーガー用パティだけに限っても、肉のひき方、冷凍方法、表面から肉質を判断する方法など、技術的な改良が数多くあった。

・マクドナルドのレストランは、アメリカの中小企業の最たるモデルであり、夫妻で協力し合うのは我々の基本原則であった。主として、夫が経営やオペレーションに注意を払い、妻が帳簿をつけ人事を取り仕切る、といった相互利益の仕組みは会社の全レベルにも応用できる。だから私は、常にオーナーの夫人たちには夫の仕事には関わるよう勧めている。彼が汗水たらしてハンバーグを焼く担当であろうと、高級机の向こう側で書類を相手に仕事していようと、一人より二人のほうがよいに決まっているのだから。

・マクドナルドは誰にでも成功を授与するわけではない。ガッツとそれを持続させる力が我々のレストランで成功するためには必要だ。特別な経験や才能は必要ない。常識を持ち、目標に向かっていく強い信念と、ハードワークを愛せる人物なら誰でもできるのだ。そして、私は大勢のオペレーターの前に立ち、マクドナルドの店を持ち真剣に働くものは、誰もが成功し、間違いなく億万長者になるだろうと強調した。どんな小さなビジネスにもつきものの、リスクも落とし穴ももちろんある。数店は何年も小さな規模のままである。しかし、こうした店もいつかは成長できる。

・我々のビジネスには広告とPRに関して二つの態度がある。一つは広告に使われた1セントまで、厳しく経費として取り扱う「がめつい」人間としての態度だ。私の見解はプロモーターと等しい。私は広告に出費することに何の躊躇もない。なぜなら、それがすべて利子とともに自分の元へ返ってくるからだ。もちろん返ってくる形は様々で、だからこうしたタイプの人間にあまり感謝されないのかもしれないが。そういう人たちの視野は狭く、収入をレジに入っている現金としてしか考えられていない。私にとっての収入とは、ほかの道から来るものだ。いちばん良いのは、満足した顧客の笑顔として返ってくること。この価値は非常に大きい。その顧客は必ずリピーターとなり、戻ってきたときには友人を連れてくるからだ。我々のテレビCMが好きな子供は、両親にせがんで来店し、マクドナルドには客がもう二人増えたことになる。これは広告費から来る直接的な利益だ。しかし、心が狭い人間にはこれがわからない。

・「競争相手のすべてを知りたければゴミ箱の中を調べればいい。知りたいものは全部転がっている」私が深夜二時に競争相手のゴミ箱を漁って、前日に肉を何箱、パンをどれだけ消費したのか調べたことは一度や二度ではない。私は競争相手とは正々堂々と戦う。強みを鍛え、品質、サービス、清潔さ、そして付加価値に力を入れれば、我々についてくることができずに競争相手は消滅していくだろう。実際、過去に何度も目にしてきたことだ。

・この国を素晴らしい国にしたのは、競争社会だ。政府の力を借りて今回の決着をつけたら、我々はおそらく破産するだろう。だがもっとましな15セントのハンバーガーを、迅速なサービスを、もっと清潔な場所を提供することができないのなら、明日破産して、別のビジネスを最初から立ち上げたほうがましだ。

・大企業の上に立つ者には、背負わなければならない十字架がある。そこに上り着くまでに、多くの友人を失うことになる。トップは孤独だ。これをもっとも痛烈に感じたのは、ハリー・ソナボーンが私との口論の後に、会社を去っていったときだ。この状況を思い起こすと、チャイニーズボックスを開けるような気持ちになる。一つの箱を開けるとすぐに次の箱が現れ、最後の箱を開けると、空箱があるばかりだ。そして喪失感で胸がいっぱいになる。

・創業以来、15セントのハンバーガーは我々のポリシーとして大事にされてきた。しかし、どんなに仕入れオペレーションに手を入れても、インフレには歯が立たなかった。社内には18セントでなく、20セントに値上げすべきだという意見もあったが、それには強固に反対した。彼らの主張は、お客は数セントの違いは気にしないだろうし、釣り銭を出すのに店員の手間がかかるということだったが、顧客の立場に立ち、厳しい目で物事を見ると、1ペニーの大切さがわかる。18セントは20%の値上げである。こうして、最終的に私が勝ち、価格を18セントに設定し、売上高と客数が我々の予想通りとなるか、固唾をのんで見守った。ゲリー・ニューマンはセント単位の価格別に、需要の縮小を示す経済曲線を作成した。過去の経験から、我々は最初、常連客が多数来店し、高い値段を払うことによる売上高の急騰を期待した。そして常連客がライバル店へ移ることによる急激な下落が続くと思っていた。さらいその後には、ライバル店が我々に続いて値上げし、常連客が戻ってくることによって売上高が一定に上昇すると予測した。そして実際、その通りになった。一月、売上高は22%上昇し、過去最悪を記録した2月がそれに続いた。客数は9%落ち込んだ。彼らは戻ってきてくれるだろうか?戻ってくるという自信はあったが、この最悪の時期にフレッド・ターナーに経営させたくはなかった。客足が戻るのには、ほぼ1年かかった。2割の商品の価格を20%上げることにより、直営店からの収益が増加したので1967年度は非常に大きく利益を上げて終えた。もちろん、フランチャイズ加盟店にも損害はなかった。

・マクドナルドが成功した理由は、低価格でバリューの高い商品をスピーディかつ効率的に、清潔で居心地のよい空間で提供することだ。メニューの種類は少ないが、そのほとんどが北米で認知された人気の高い商品である。これらが、ほかのレストランのように経済の変動に左右される心配が少ない要因だ。

・ダウンタウンシカゴの開発を始めると決めたときはうれしかった。私の古巣へ戻ってこられたのだ。市の候補地のことなら知り尽くしている。そこへ行く輸送路、歩行者数など。たいていは、誰が所有者で何年所有しているのかも知っている。ディストリクトマネジャーのジャック・オライリーに言ったように、35年も同じ街でペーパーカップとマルチミキサーを売り歩いていたら、たいていのことは覚えるというものだ。自分の客に、より良いサービスを行う気があるのなら、地下のレイアウトや、脇道のアクセスがあるのかなど微細に至るまで調べるのが普通だろう。そういう人たちいは在庫のさばき方や、物流のアイデアを教えてあげられるかもしれない。それが私がいつもしてきたことで、詳細な知識の結集となり、それはマクドナルドに還元できている。自分の仕事にこのような姿勢で向かえるのなら、人生に打ちのめされることはない。これは取締役会長から皿洗い長に至るまで、すべてのビジネスマンにいえることだ。「働くこと、働かされること」を楽しめなければならない。

・独立宣言にもあるように、唯一できることは、その人に幸福を追う自由を与えることだ。幸福とは約束できるものではない。それはどれだけ頑張れたか、その努力によって得られる、その人次第のものなのだ。幸せを手に入れるためには失敗やリスクを超えていかなければならない。床の上に置かれたロープの上を渡っても、それでは決して得られない。リスクのないところには成功はなく、したがって幸福もないのだ。我々が進歩するためには、個人でもチームでも、パイオニア精神で前進するしかない。企業システムの中にあるリスクを取らなければならない。これが経済的自由への唯一の道だ。ほかに道はない。

・失敗とどう向き合うかは大切です。成功者を見ていると、レイ・クロックに限らず、誰もが事業の失敗をちゃんと受け止め、そうして前進している。マイクロソフトのビル・ゲイツは「You must worry」と強調している。これは「悩みなさい」という意味でしょう。つまり、社員一人ひとりが悩み、壁にぶつかってみなければ成長はないということを言っていのです。「ひょっとしたら自分の仕事は失敗の範疇に属するのではないか、いまやっていることよりもさらにいい方法があるのではないか」と常に自らに語りかけながら仕事をしていかないと進歩も成長もありません。自分が達成した少しの成功に甘んじていたらそこでおしまい。「オレの仕事は間違ってない」と盲信したり、「自分はビジネスでは連戦連勝だ」とうそぶいている人たちは成功の基準が低いんですよ。だから、失敗していることに気づいていない。それこそ問題です。

・マクドナルドに新しく投入された商品がどれだけあるか、フィレオフィッシュやビッグマック、ホットアップルパイに、エッグマックマフィンなどを見ればそれは明白だ。興味深いのはこれらがフランチャイズオーナーのアイデアから生まれた商品だということだ。

良かった本まとめ(2015年上半期)

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並木藪蕎麦(東京 浅草)はとてもオススメ!

2015年10月21日 01時00分00秒 | 外食
 東京(江戸?)の藪蕎麦(やぶそば)御三家とは「かんだやぶそば」、「並木藪蕎麦」、「池之端藪蕎麦」と言われているようですが、今回は東京の浅草にある並木藪蕎麦へ行ってみました!

「かんだやぶそば」は行ったことがあるので、残りの「池之端藪蕎麦」にはぜひ行ってみたいですね。

並木藪蕎麦は、食べログでもTOP5000に選ばれる人気店です。

平日の13時ごろ到着したのですが、観光客やスーツ姿のサラリーマン等で行列ができていました。
さすが人気店です。

店構えは、白色を基調として清潔感を感じますね。
美味しいオーラを発していると思います^_^)
また店内は、少しでも店の回転をよくするために、相席をお願いしていましたね。


↑店構え

20分ほど待って席に着き、壁に貼ってあるメニューを見て注文します。
メニューは結構シンプルですね。
この日は暑かったので、天ざる(1800円)を注文しました!


↑天ざる

しばらくして天ざるが運ばれますが、天ぷらがエビがほとんどとは驚きました!
天ざるの天ぷらといえば、普通は野菜も揚げられたものが多いのですが、この店はシンプルにエビなんですね^_^)
まあ「ししとう」は1つ載ってますけどね^_^;)

もちろん、エビの天ぷらはサクサクアツアツで美味しいし、蕎麦も歯ざわりがよく、そしてつゆは少し濃い目でしょうか。
出汁が効いていて美味しいです!
江戸で粋に蕎麦を食べるって感じですね^_^)
目の前の格好いいサラリーマンも姿勢よく、粋に天ざるを食べていました!

並木藪蕎麦は、美味しい蕎麦を堪能でき、とてもオススメです!!


美味しかったものまとめ(2015年上半期)

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並木藪蕎麦そば(蕎麦) / 浅草駅(東武・都営・メトロ)田原町駅浅草駅(つくばEXP)
昼総合点★★★☆☆ 3.8

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東海道五十三次 街道をゆく 藤沢宿~平塚宿 (1)藤沢宿~弁慶塚

2015年10月19日 01時00分00秒 | イベント・外出
 前回に引き続き、阪急交通社が企画する「東海道五十三次 街道をゆく」の第6回目の藤沢宿~平塚宿(1)藤沢宿~弁慶塚編について紹介したいと思います。

 今回のJR藤沢駅での集合時間は9:40で、今回もみんなで体操をして出発します。

 藤沢宿は1601年に東海道の宿場となり、東海道五十三次の6番目の宿場です。
1843年の記録では、宿場の人数は4089人、屋敷919軒で、大山道や江ノ島道が分かれる観光地としてのにぎわいに加え、周辺農村からの物資の集積地として繁盛したようです。
当時の藤沢宿の浮世絵でも繁盛している様が伺えます^_^)


↑藤沢宿の浮世絵

それから、地元ガイドによる遊行寺の説明がありました。
遊行寺は鎌倉時代の末期の1325年に門前町としてできたようです。
鎌倉時代の終わりが1333年なので、そのたった8年前ですね。
その後、北条早雲が1513年に三浦道寸との戦いで遊行寺は焼けてしまったようです。
そして94年間そのままだったのですが、1591年に徳川家康から寄進されて遊行寺は復活したようです。


↑遊行寺橋等の説明

それから歩いていると、江戸時代から続くという紙屋がありました。
桔梗屋とのことです。
建物は当時の独特の格子ですね。
いかにも古そうな建物で、風情があります^_^)
ただ建物は明治時代のものとのことです。


↑紙屋

それから蒔田(まいた)本陣跡がありました。
毎度のことですが、大名等が泊まった宿です。
当時はこの辺りが藤沢宿の中心だったようです。


↑蒔田本陣跡

そして常光寺へ行きます。


↑常光寺

山門の左脇には藤沢警察署発祥の地の石碑があり、本堂左手には国際的詩人の野口米次郎の記念墓碑がありました。

そして、高さ25mもある樹齢300~400年のカヤの巨木は立派ですばらしかったですね。
かなり高い!
ちなみにカヤの木は将棋や囲碁の盤に使われるようです。
カヤの木の油を使って拭くと、将棋盤などにツヤが出るようです。


↑カヤの木

そして、裏山には弁慶塚がありました。
弁慶塚は、源義経を祀る白旗神社を向いているとは泣かせます。


↑弁慶塚

それにしても、この境内の森林は素晴らしく、さすが藤沢市指定の天然記念物です。


↑境内の森林

次は、(2)源義経首洗い井戸~弁当です。


お勧めなお話(2015年上半期)
自動車保険を安く!

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「グルメサイトで★★★の店は本当に美味しいのか?(嶋浩一郎、森永真弓)」という本はとてもオススメ!

2015年10月16日 01時00分00秒 | 
「グルメサイトで★★★の店は本当に美味しいのか?」の購入はコチラ

「グルメサイトで★★★の店は本当に美味しいのか?」という本は、グルメサイトのことだけを書いている本ではなく、デジタル(ネットサービス等)の仕組みや使い方など以下について分かりやすく楽しく説明したものです。

・イオンが携帯電話を売っている理由
・賢いネット通販の使い方
・検索履歴を消す方法
・ネットでタダで勉強する方法
・携帯電話の番号を入れてと出てきたけど入れていいの?
・ユーチューバー
・コンビニで売っているプリペイドカード
・携帯電話の課金
・携帯電話のつながりやすさ
・絵心などでネットで稼ぐ
・ネットの広告について
・子供のスマホの使い方
・スゴい検索のやり方
・ヤフーニュースの記事
・フリーのWi-Fi

 特に、食べログの点数や美味しいお店の探し方、映画のチェックの仕方、ハーバード大学やMIT・東京大学の講義が無料でネットで提供、YouTubeで稼ぐユーチューバー、今流れている曲を検索できるなど、興味深かったですね。

 「グルメサイトで★★★の店は本当に美味しいのか?という本はとてもオススメです!

以下はこの本のポイント等です。

・食べログの場合は、より本音のレビューを書くことができるように匿名性は担保するかわりに、運営サイドの陰の努力で信頼性が維持できる評価の場を提供しているんだね。じゃあさ、もし、その影響力のあるレビュアー一人が極端に低い点をつけたりしたら、その店の点数にはどのくらい影響するんだろう。一人だけの意見ではまだ、点数はそんなに上下しないんです。複数の意見がないと影響しないんだ。たった一人のアクの強いグルメレビュアーの意見によって店が振り回される、みたいなことが起こらないようになってるんです。それに、自分の機嫌でいきなり極端に低い点をつけるようなことを続ける人だと、影響力のあるレビュアーからはずれていくんだそうですよ。影響力のあるレビュアーにはふさわしくないと判断される、と。影響力のあるレビュアーは舌が肥えてるだけじゃなくて、人間性も求められるんだねえ。はい。食べログ側はサービスの質の維持のために、本当に日々、レビュアーの影響度と、点数を計算するアルゴリズムを改善し続けているんですね・・・。

・食べログは「食通の人が満足できるランキングにしたい」という方向性で、レビュアーの影響力に差を持たせる仕組みをとっているそうですよ。単純平均だと、そのサイトのユーザーには「味を重視する人が多い」のか「とにかく安さを重視する人が多い」のか「接客や店の雰囲気を重視する人が多い」のかによってランキングの性質が変わってきます。

・化粧品のレビューサイトの「アットコスメ」も、初期の頃から比べるとシステムがだいぶ変わってきています。レビューをたくさん書く人ほどネットが得意で時間がある人・・・となると、若い人が多めになってしまうんですよ。たとえば化粧品にそこまでお金をかけられない高校生のレビューが増えてくると、プチプラコスメ(プチプライスコスメ)と呼ばれる、すごく安い化粧品のレビューばかりが多くなっちゃう。3ケタ価格の低価格化粧品が、やたら評価が高くなるんだ。すると、「それ相応のお金を払ってもいいから、いいものが欲しい」と思っている人にとっては、まったく参考にならないランキングになっちゃうんです。「お店で1回分のサンプルをもらって、すごくよかったけど、私にはコストパフォーマンス的に買えません。よって★1つ」などと評価されちゃって、値段は高いけど質はいい商品の点数がすごく低くなったりする。「費用対効果」ではなくて、「安ければいい」という評価でランキングが左右されたり。そこでシステムとして、「年齢が30代の人の口コミだけ」など、レビューを抽出できる機能がつけられました。自分に近い年代の口コミだけを見たり、近い肌質の人の口コミだけ見たりできるようになったんですね。

・食べログの人が自分で行くお店を選ぶときはどうしているか、聞いてきました!まず、ふだん自分が行っているお店のレビューを全部見るそうです。で、自分が好きなお店を、自分と似た感覚で褒めているレビュアーに注目して、そのレビュアーが他に高く評価しているお店をチェックするそうです。これはかなり当たりそうな技ですね。

・映画をチェックする場合です。じつは、注目すべきは★の数よりも、口コミの件数なんですよ。過去に映画のレビューに関してデータ解析をしてみたところ、興行収入と連動していたのは、★の数よりも口コミの件数のほうだったんです。口コミの件数の多さは、人に話したくなる気持ちの多さだってことだよね。たしかに映画だと、みんなの点数の平均値である★の数がどうかより、賛否両論を呼んで★1つの人と★5つの人がごちゃごちゃいる作品のほうが、面白い傾向があるのはわある気がする。面白い映画を探すなら、★の数で見るより、「口コミの件数が多い順」にソートしたほうがよさそうです。ちなみにレビューの数と興行収入連動の法則は、アニメ映画にだけは当てはまらなかったんですよね・・・。まず、子供はレビューを書かないというのもあるし、大人のアニメファンは1人で何回も同じ映画を観に行っちゃう人がいるので、レビューの数と連動しないというか・・・この法則は破れちゃってます(笑)。

・MVNOの参入障壁も低くなったし、技術的にも廉価版のスマホが作れる状況になっているからね。しかも、ガラケーの時代は、同じ携帯キャリアの端末同士じゃないとメールの絵文字がずれるとか、端末に依存した問題があった。でもスマホになったら、同じアプリを載せていれば、端末は何を使っていても別に変わらないから。キャリアごとのサービスにこだわる必要がなくなったんだよね。そうなんです。だから、格安携帯の通信速度でも十分使えるしLINEなどのアプリを選んで使えば、何も問題ない。LINEってほんとに軽いですよね。私、以前に仕事で離島に行ったことがあるんですが、まずメールが見られなくなり、ツイッターが見られなくなり、フェイスブックが見られなくなり、通話くらいしかできない状態になっても、LINEだけは最後まで生き残って仕事に大活躍でしたよ。低価格スマホだと支障が出そうなのは、動画や音楽のダウンロード、あとゲームも意外に重いから難しいだろうね。SNSも、アップした写真が見づらかったりするね。

・ネット通販の大手でいうと、たとえばアマゾンでは30日以内、ZOZOTOWNでは7日以内なら返品OKです。靴も、洋服も、屋内でのみ着用という条件で、返品ができますよ。7日もあれば十分考えて決められるよね。リアルの店舗で買うときは、履いて店内をちょっと歩いてみるだけで決めちゃうんあから、ネット通販のほうがずっとゆっくり選べる。私の友達には、たとえば「黒い靴が欲しいな」と思ったら、サイズ違いやデザイン違いで、いっぺんに20足くらい買っちゃう強者がいますよ。家でゆっくり履いたり、手持ちの服と合わせてみたりして、これだという一足を決めるの。そして、あとの19足は返品するんです。

・「少額のウィッシュリスト」を常に作っておくのがおすすめです!ショッピングサイトにはだいたい、気になるものをリスト化してとっておけるウィッシュリスト機能がついています。たとえばアマゾンなら「ほしい物リスト」という名前のリストですね。小額でいつ買ってもいいような物をリストにしておいて、送料が無料になるよう調整するのに使うんです。ウィッシュリストで送料を調整するのは賢い!ウィッシュリストは、バーゲンのときにも活用できます。バーゲンが始まるとアクセスが集中して動作が重くなっちゃうので、その前に欲しいものをリストアップしておくんです。バーゲンが始まったら、それが安くなっているかどうかをチェックして、決済。こうすると時間をかけずに買い物できるし、悩んでうっかり無駄遣いしちゃうのも防げるし。ウィッシュリストにはいろんな活用の仕方があるね。被災地支援にも使われてるよね。被災地にいる方が必要な物をアマゾンの公開ウィッシュリストにリストアップして、支援者がそれを見て発注することで届くという仕組みですね。的確に必要なものを送れるし、ネットだからどこからでも発注できるし、いい仕組みだよね。あ、これ、誕生日プレゼントにも使えるね。

・ここ数年、一流大学での講義がネットで見られるようになってきているね。世界の最先端講義が受けられちゃうなんて、すごいよね。ネット環境さえあれば、世界のどこからでも見られますからね。ハーバード大、MIT、スタンフォード大学などが授業を無料で公開しているよ。日本の大学では、東京大学や京都大学の授業も見られる。興味を持ってもらって、優秀な学生を呼び込むという意味もあるね。世界に公開することで、開発途上国にいる人や、大学に行けない人にも提供しようという目的もあるんですね。海外の大学の授業は、語学の勉強にもなるね。世界中の人が聞くから、聞き取りやすい英語で話しているし。

・ユーチューバーとして有名なのは、レディー・ガガ。一説にはCDの売り上げよりもYouTubeのほうが大きな収入源になっているともいわれています。世界規模になると、そういうレベルの人もいるんですねえ・・・。そういうのを見て、ちょっと腕に自信のあるクリエイターたちは刺激を受けてがんばるってことだね。「YouTubeで世界に配信して、世界中で人気動画になるかも!俺も世界デビュー!」という、クリエイション心を起こさせる構造になってるね。

・世界的に有名なオーケストラまでも、自らユーチューバーになってる!YouTubeにコンテンツ提供することが収入源のひとつになってるんですね。YouTubeのほうはクラシックのいい音源があるとうれしいから、「ベルリンフィルさん、提供してくれてありがとう。お金払います」ということで、共生関係ができてる。一流クリエイターにも、新たなビジネスチャンスがあるということです。

・たとえば、ごく普通の女の子が、自分がメイクする姿を動画にとって、自分なりのテクニックを解説するメイク動画などですね。メイクテクニックってこれまでだと雑誌での紹介が中心でしたけど、動画だと細かいところや流れ、順番などが見えるので分かりやすいんですね。そうやってメイク動画を上げる女の子が世界中から登場して、その中から有名になったユーチューバーがたくさんいます。日本の女の子もいるんですよ。彼女たちは、YouTubeから収入を得るだけではなく、化粧品メーカーから公式に「この商品を紹介してください」って商品提供やPR費を受けて、PRとして動画を作ることもあります。

・料理もありますね。料理の場合は野生の土井善晴さん、あるいは栗原はるみさん、みたいな感じですかね。何か得意なことがある人は、ユーチューバーになれるかも!世界中から期待されてるような技術を持っている人は、今、参入のチャンスです(笑)

・こうして見ると、ネットで稼げるかというと・・・なかなか難しい気がしますね。ネットが身近になって、世界中の人にアクセスできるようになったから、それはいろんな意味でチャンスだし、いいことだよね。だけどだからってお金を稼ぐのが簡単になるわけではないよね。そうですね。ネットで稼いでいると言えるのは、本当に少数の、そのジャンルでトップの人たちだから。そこまでいかないと難しい。まあ、得意なことがあればお小遣いを稼げるかもしれないチャンス、くらいに考えておいたほうがいいかもね。稼ぐことだけ考えたら、普通に働いたほうがずっと割がいいよね(笑)。

・ビジネスマンが課題を発見するときに使える小技をひとつ。自分が携わっている物事をキーワードとして、「キーワード(スペース)が問題になっている」と検索してみるといいよ。たとえば、「出版業界 が問題になっている」という具合にね。すると、そのキーワードにまつわる課題が書かれたページがヒットする。自分が担当する業界のキーワードなどはときどき検索しておくと、仕事の場でアンテナが鋭い人になれるんじゃないかな。リアルタイム検索と組み合わせて、クライアントとの打ち合わせとかで「最近は、○○が話題になっていますね」とか、「損保業界ではこんなことが問題になっていますねえ」なんて話せるようになるわけ。

・アプリを使うと、今流れている音楽を検索することもできます。「シャザム(Shazam)というアプリが有名ですね。テレビやお店で今流れている音楽を知りたいときに、活躍しますよ。

良かった本まとめ(2015年上半期)

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煉瓦亭(東京 銀座)の洋食はとてもオススメ!

2015年10月14日 01時00分00秒 | 外食
東京の銀座にある煉瓦亭(れんがてい)へ久しぶりに行って来ました!

友人に連れられて以来約20年振りでしょうか?
外観も内観も当時から変わらない感じで老舗の洋食屋を醸し出して良いです^_^)
お店の方のサービスも老舗らしくとても丁寧なのも嬉しいですね。


↑店構え

煉瓦亭は1895年(明治28年)創業の老舗洋食屋で、トンカツ、オムライス、カキフライ、エビフライ、ハヤシライスの元祖のようです。
すごいですね!
メニューを見て選びます。
コンソメスープ(カップ)にオーソドックスにポークカツレツ、元祖オムライス、カニライスを注文します^_^)


↑メニュー

コンソメスープはもちろんアツアツで、椎茸が浮かび、いい味を出しています!


↑コンソメスープ

そして、ポークカツレツが運ばれますが、これも適度な衣で、適度な肉の厚みがあり、心地よくナイフで肉が切れます!
適度に揚げられていて、これも美味しい!


↑ポークカツレツ

そして、元祖オムライスが運ばれますが、卵が薄くて驚きました^_^;)
この元祖オムライスは、ケチャップライスを卵で包んだものではなく、卵とご飯、具をあらかじめ混ぜ合わせて、オムレツ状に焼いたもののようです。
リゾット状で、絶妙にとろとろして、酸味とコクのあるケチャップが合います!
美味しくて、ついつい食べ急いでしまいますね!


↑元祖オムライス

連れはカニライスを食べていましたが、これも美味しそうでした!
タマネギと炒めてあり、チキンライスの仲間ですね!


↑カニライス

煉瓦亭は老舗の雰囲気で、美味しい洋食をゆっくり堪能でき、とてもオススメです!!

美味しかったものまとめ(2015年上半期)

<今日の独り言>
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煉瓦亭洋食 / 銀座駅銀座一丁目駅有楽町駅

夜総合点★★★☆☆ 3.6


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東海道五十三次 街道をゆく 東戸塚~藤沢宿 (4)諏訪神社~藤沢宿

2015年10月12日 01時00分00秒 | イベント・外出
 前回に引き続き、阪急交通社が企画する「東海道五十三次 街道をゆく」の第5回目の東戸塚~藤沢宿の(4)諏訪神社~藤沢宿編について紹介したいと思います。

それから、諏訪神社へ行きました!
この諏訪神社は、遊行寺を創建した呑海上人が諸国遊行の際に信州諏訪から観請した鎮守の森とのことです。
祭礼で演奏される西富ばやしは市指定無形民俗文化財とのことです。


↑諏訪神社

それから、鉄砲宿と影取池の昔話の説明がありました。
長者が住み着いた大蛇をかわいがっていたけど没落したため、近くの池へ大蛇が去ってゆき、お腹が空いたその大蛇は池のほとりを歩く人の影を食べて飢えを凌ぎ、影を食べられた人はだんだん弱っていったとは珍しい話です。
その大蛇を撃った漁師が住み着いたところを鉄砲宿と呼ぶようです。


↑鉄砲宿と影取池の説明

それから、てくてくと昔は松並木だったという道を歩きます。
ここは約4年前に自分が自転車で東京から京都まで走ったルートなので、懐かしくて仕方がありませんでしたね。
当時は早朝に自転車で駆け抜け、その日は小田原まで走りました^_^;)


↑当時松並木だった道


↑松並木の説明


↑松並木跡の石碑

それから、一里塚がありました。
江戸の日本橋から12番目なので、約48kmですね。


↑一里塚跡

そして見附跡がありました。
ここからいよいよ藤沢宿となります。


↑見附跡

それから「ます形」の説明がありました。
江戸時代には外敵が侵入しにくいように、街道を直角に二度曲げたかたちの「ます形」がつくられていました。
この藤沢宿もその典型的な例のようです。


↑ます形の説明

それから当時の藤沢宿の地図があったり、写真があり、興味深いですね。


↑藤沢宿の地図


↑藤沢宿の写真


↑藤沢宿の写真

今回も楽しく、東戸塚~戸塚宿~藤沢宿の東海道ウォーキングを楽しめました!

次回は藤沢宿~平塚宿(1)藤沢宿~弁慶塚です。

お勧めなお話(2015年上半期)
自動車保険を安く!

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「怒り 不安感情にとらわれると病気になる(おのころ心平)」という本はとてもオススメ!

2015年10月09日 01時00分00秒 | 
「怒り 不安感情にとらわれると病気になる」の購入はコチラ

「怒り 不安感情にとらわれると病気になる」という本は、カラダのクセや症状から、そのクライアントの心理状態を読み解き、ココロの生活習慣、カラダの生活習慣改善をうながすカウンセラーとして19年間、2万2千件以上の実績をもつ著者が、ココロとカラダのつながり、感情がいかにカラダに影響を与えているかを豊富なケーススタディで解説したものです。

 本書は、以前このブログで紹介した同じ著者の「病気は才能」という本に書かれている内容を、もっと詳しく分かりやすく説明したものになると思います。

 本書では具体的には、5つのパートに分けて、「怒り、イライラ(肝臓)」「迷い、不安(胃)」「悲しみ、さみしさ(肺)」「ゆううつ、無気力感(心臓)」「恐怖、おそれ(腎臓)」という、現代人が悩まされやすい代表的な感情への対処法、分解の方法を提案しています。

特に上記で括弧書きした臓器との関連性がナルホドと思いましたね。

 感情の仕組みを知り、カラダへの影響のパターンを知れば、カラダから「感情の毒」を追い出す方法が分かりますし、不要な感情を捨て、必要な感情は整理整頓することで、スッキリサッパリ本来の自由なカラダを手に入れることができると思います。

 また、以下については心がけたいと思いましたね。

・怒るのをやめるのではなく、怒る→その怒りをすぐ捨てる
・怒りの最大の対処法はゆっくり睡眠をとること
・肌荒れやアトピー性皮膚炎を防ぐには早食い・大食いをやめる、しっかり口をもぐもぐかんで食べること
・立ち止まって一度しっかり涙を流すことも大切
・呼吸で吐くことを意識し、文字通り息抜きとなる
・家の中は常に整理整頓
・胸に手を当て、自分自身の鼓動を感じ、うれしい体験を感じること
・「うれしいなあ」という気持ちは普段から素直に発しておく
・自分を特化し、自分にしかできないことをし、それ以外は人に任せる
・「世界」は、自分が見るものや聞くものでつくられていることをいつも心がけて、できるだけ楽しいものにフォーカスして人生を楽しく生きることが大切

「怒り不安感情にとらわれると病気になる」という本は、より良い人生のための、カラダとココロをより良くする秘訣がたくさんありとてもオススメです!

以下はこの本のポイント等です。

・怒らないでおこう、と思うと無理が生じます。怒っちゃいけないと自分をしばると、怒っちゃったとき、自分を責めてしまいます。
  怒る → すぐ捨てる
この習慣は、カラダにいいなあと思いました。カラダにとって、大事なのは初期反応なのです。においも、くさいかどうかは、最初にその空気に触れたときにいちばん強く働き、どんなにおいも、その部屋にずっといるとしだいに慣れてしまうでしょう。その慣れは、部屋を出て、また部屋に入るときまで気づきません。音も、かなり騒々しいところでも、ずーっと同じところにいると、だんだん慣れて気にならなくなってしまいまs。ゴトンゴトンとうるさい電車の中で眠ることができて、逆に、その音が途切れて急に静かになると目が覚めてしまう、というのは誰しも経験したことはあるのではないでしょうか。五感は、最初は敏感に反応するものの、あとは徐々に感度ボリュームを下げていくのです。それと同様に考えたとき、怒りも、恐れも、心配も、初期反応こそが大事なのであって、ずっと持っていて「増幅する」なんていうのは、まったく理にかなっていないのです。感情は、増幅してしまう時点で、「機能エラー」です。「慣性の法則」という物理現象があるように、ココロもある感情を抱くと、慣性の法則が働いて、その感情を持続してしまいがちです。怒りやイライラ、恐れ、不安、悲しみなどの感情は、初期反応の範囲で見る限り、たいへん大切で必要なもので、人間が生きていくうえで欠かせない「機能」です。しかし、なにごとも居座ると腐敗するように、怒りをため、恐れをため、いつまでも不安に駆られていると、カラダに「毒」をためてしまいます。

・怒りの正体は「わかってほしい」、これにつきます。「わかってほしい」から怒る。でも、怒られた方は余計にわからなくなる・・・。「何をわかってほしいのか?」に目を向けないままにした怒り、それが「不適性な怒り」としてカラダに残るのです。怒りとは言ってみれば、無理解の対立です。わかってくれないなら、わかってやらない。わかってほしい、でも、わかられてたまるもんか。この複雑な心の葛藤が限界を超えると、理解の臓器である肝臓に影響が出てしまうのです。よく知られているように、肝臓の大きな役割は解毒です。「毒を理解する」と書いて解毒。肝臓は送られてくるものをよく観察し、相手がなんであるかをよく理解して、自分に必要なものであるかどうかを識別しています。怒りというのは、この「相手を理解する」という肝臓の作業を、もっとも妨げる感情なのです。

・怒りの最大の対処法は「とりもなおさず寝ること」です。ゆっくり睡眠がとれたなら、肝臓に十分な栄養が補給されます。すると、誰に、何に、怒っていて、自分がどう理解してほしいか、を見つめる余裕が出てきます。

・怒りを抑え込んでいる人の表現には、「絶対」や、「必ず」がよく出てきます。それは「私の正しさ」の証明欲求。たしかに、怒りはあなたの「正しさ」を守ります。けれど、「正しさと幸せは、必ずしも両立はしない」ということも自覚しておきましょう。正しいからといって、必ずしも幸せにはなれない。カラダにとっては、正しさばかり主張する習慣より、幸せを選択している習慣のほうが、はるかに健康的なのです。

・職場でもいつもイライラしていて、口うるさく部下を怒ってしまう人。若い人に仕事をまかせたほうがいいとわかってはいるけど、頼りなさばかりが目について、先回りして小言を言ってしまう人。こういうタイプの人は一見強気にも見えますが、じつは「失敗すること」を恐れています。気の小ささが、他人への怒りを生んでいるのですね。ココロがそう思っていると、カラダも、自分の身を守らなければ!と、必要以上の水分吸収と脂肪の蓄積を進めてしまいます。ふだんの心理が、カラダにも表れてしまうのです。おなかには小腸、大腸などの消化器系の重要な臓器や、女性であれば子宮や卵巣といったとても大切な器官がありますから、ここを守ろうとして、その周囲に脂肪がつきます。つまり、おなかの脂肪には「何かを守りたい」という心理が表れているのです。「守り」は大切ですが、それが行きすぎると、余分な脂肪としてたまってしまうということを覚えておきましょう。スリムなおなかを目指すなら、オープンマインドで、ときに、大胆にふるまってみることを意識してくださいね。脂肪といっしょに、イライラにもさよならできるはずです。

・腰痛持ちの人の共通点は、怒りっぽい、イライラしがち、せっかち、焦燥感があるなど、怒り系のストレスがあることです。もう少し詳しく言うと、「これだけしてあげているのに、一つも感謝されないことへのイライラ、蓄積した怒り」です。腰痛持ちの人にはまじめな人が多く、また、少し子どもっぽいところもあります。まじめに、よかれと思って、一生懸命、誰かのために、がんばる。でもほんとうは、その人からの評価がほしい、褒めてもらいたいという気持ちであることに、気づいていません。そしてあるとき、ふと思うのです。「あれ?これだけしてあげてるのに「してもらって当然」と思われてない?」「あの人から「ありがとう」という言葉を聞いたことがないな」これが腰痛が教えているココロのメッセージです。

・東洋医学では、筋肉は肝臓との深い関係が指摘されています。そして、「肝」にたまりやすいとされている感情が、「怒り」「イライラ」なのです。肝臓は全身にブドウ糖を供給していますが、それは筋肉だけでなく、脳のエネルギー源でもあります。焦りやすい人、考えすぎる人は、脳にばかりブドウ糖がいってしまい、首より下にある大きな「筋肉」への供給が足りなくなります。イライラや、怒りっぽさは、首から下のカラダのほうにエネルギーがまわっていないことのサインなのですね。腰が重たいなと気づいたら、両手・両足の指のグーパー運動をしてみてください。指の付け根からぎゅっと握り、6つ数えたら、思い切り大きく開きます。それを数回繰り返します。足だけでもいいですが、できれば手と足を同時に行ってください。カラダの左右の筋肉にバランスよく力を入れるように意識するのがポイントです。カラダにエネルギーが満ち、腰が安定すると、とらわれていた怒りの感情と冷静に向き合えるようになるのです。

・しつこい首こりに悩む人はたくさんいます。ひどくなると頭痛などn症状にもつながります。マッサージやつぼ押しなどをしても、一時的には解消されても、またすぐにつらくなる。その繰り返し。首まわりには、たくさんのココロが交錯しています。プレッシャー、気苦労、気遣い、不安、心配、やきもち、嫉妬・・・。首にはいろんな「ココロのずれ」が出やすいんですね。首は、頭部とカラダの交差する場所。頭のリズムとカラダのリズム、これが首のあたりで調整されているんです。

・手荒れの予防策は、
 ・日中のココロの温度差があまり生じないように、朝のうちに今日やることを決めてしまうこと
 ・夜7時から9時までの時間は手を酷使しないですむように、あらかじめ工夫をすること
 もちろん、夜の家事を「手伝って!」と、家族に言うのもありです。ただ、不満をぶつけられると相手も身をかたくしてしまいます。要求するのではなく、「手伝ってくれたらすごくうれしいな」という気持ちで上手に伝えてくださいね。とくに、「今日はこれだけやろう」というココロ持ちが効果的。これを「意識化」すると、「私ばっかり」と不満に思う気持ちからも少しずつ解放されていくはずです。

・肝臓が健やかな人は、第一印象として、引き締まったカラダつきをしています。二の腕、太もも、お尻、ふくらはぎなど、カラダのたるみというものには無縁なタイプです。醸し出す雰囲気は理知的で、そこにいるだけで存在感がある。何かしらのオーラを発しています。肝臓が健康な人のいちばんの魅力は、その人の所作に現れます。立ち上がる、歩く、しゃがむ、足を組む。なにごとにも上品な感じが漂います。相手に何かを差し出す、ものを置く、その所作一つ一つが、ココロのこもった印象を与えるんですね。もちろん育った環境なども影響しますが、これがしっかり身に付くのは、肝臓が元気な証拠なんです。

・一日の臓器時計についてお話ししたいと思います。カラダには2時間ずつの交替制で、その時間の主人公になる器官があります。
朝  5時~ 7時 大腸
   7時~ 9時 胃
   9時~11時 膵臓(脾臓)
昼 11時~ 1時 心臓
   1時~ 3時 小腸
   3時~ 5時 膀胱
夕方 5時~ 7時 腎臓
夜  7時~ 9時 血液循環
   9時~11時 エネルギー蓄積
深夜11時~ 1時 胆のう
   1時~ 3時 肝臓
未明 3時~ 5時 肺

朝は消化管、正午前後は心臓、などと知っていると、便利なんです。ああ、いまは無理が効く時間帯だな、とか、いまはやめておこう、とか、自然にカラダの判断がつくようになるんですね。たとえば、シミが気になる人は12時前までに就寝するといいのです。なぜなら、シミは肝臓の疲れと深い関係があるから。深夜の1時から3時までが肝臓の時間だと知っていると、やっぱりここは無理させないで、休ませようと思いますよね。一日のうちの臓器のリズムがわかると、その日のココロのこめどころ、なんていうのも見えてきます。たとえばむくみが気になる人は、夕暮れどきになると、やたらに不安になったりします。夕方は「腎」の時間。ここが弱ってる人はおそれや不安感などのストレスを感じやすくなります。東洋医学的な「腎」は、内分泌系、つまり、ホルモンバランスも範疇に入りますから、出産後の女性にもその症状が出ることがあります。そんな人は、5時すぎの時間をバタバタ忙しくしないで、いかにゆっくりするかが大事です。臓器時計を知って、カラダのリズムを味方につけましょう。

・ひどい肌荒れやアトピー性皮膚炎のクライアントさんに大勢お会いしましたが、共通点として、胃のはたらきが弱いことが多いのです。アトピーには複数のパターンがあるので一慨には言えませんが、早食い、大食いの傾向がよく見られます。それがなぜ肌に影響するかを見ていきましょう。胃からは、胃酸という消化液が出ていますが、胃酸が出るのには、その「タイミング」が重要です。ふつうは、ものを食べたときに胃酸が分泌されますが、ストレスや考えごとで胃酸が出ることもあります。逆に、食事が胃に入ってきているのに、十分胃酸が出ない場合もあります。一人で考えごとをしながら食事をしたり、時間に追われてぱぱっと食べたりしていると、とくに分泌のタイミングが崩れやすいんですね。胃酸というぐらいですから、胃液は強酸です。だから腸内は酸性になります。それを中和するために、胃より下で分泌される膵液や胆汁などのほかの消化液はアルカリよりになっています。腸内はPH5~6ぐらいになっているのがちょうどいいのですが、胃酸が出すぎると腸内が酸性に偏ってしまうのです。酸にさらされた腸壁は傷つきやすく、腸内にたくさん棲んでいる腸内細菌のバランスも崩れてしまいます。ガスも発生しやすくなります。カラダもそんな状態が続くと困るので、胃や腸のまわりにあるリンパ管を使って、余剰な酸化物をカラダの末端へ分散しようとします。腸内にたまった酸性のものをリンパに流して、カラダの隅々から排出しようとするわけですね。そのリンパの排出口があるのが、肌なんです。肌の真皮と呼ばれる層には、細かいリンパ管が網目状に通っています。そこへ余剰酸化物が押し寄せると、肌が傷つきやすくなるのです。反対に、胃酸が上手に出ないときは、膵液や胆汁のほうが多くなり、腸内はアルカリよりに傾きます。カラダはそれも嫌いますから、同じようなパターンで、末端のリンパからアルカリ余剰物を出そうとします。肝心なのはバランスなのです。

・胃酸を上手に出すには、しっかり口をもぐもぐさせながら食事するのがいちばん。月並みですが、膵液がしっかり出る食事の取り方がとても大事なのです。消化管の始まりは口。そこで唾液がちゃんと分泌されると、胃や腸が、「お、食べ物がくるぞ」と察知して、準備を始めます。これだけでアトピーの症状が改善された人もいるくらい。いろいろ考えながら食事をすると、それだけで唾液の分泌が悪くなります。すると胃や腸もちゃんと準備ができません。カラダの緊張を解かないままの食事は、消化液の分泌も自由ではありません。パサパサのまま、食べ物が消化管を通過するのをイメージしてみてください。なんだかとっても嫌でしょう?もちろん腸管にとってもよくないことなので、緊急対応として、リンパで押し流す措置をとります。これが積み重なると、真皮のリンパがいつも汚れて、肌ももろくなりやすいのです。胃酸の出方はとても大事です。出すべきときに出す、出さないときには出さない。このタイミングは、ココロにも当てはまります。肌荒れがきつい人は、ぜひ、行動面でも、言うべきタイミング、行動すべきタイミングというのを意識して過ごしてみてください。胃腸はリズムやタイミングに敏感です。後悔したり、過ぎたことをぐるぐる考えたりしていると、それに反応して過剰に消化液が出たりしますから。
 ・もぐもぐしっかり唾液を出す食事
 ・後悔や過去のことを考えながらの食事をできるだけしない
自分の胃腸や肌をいたわるつもりで、丁寧に過ごしてみてください。「思」にとらわれて、タイミングを逃すことのないように。

・「昼食のあと、なぜ人は眠たくなるのか?」という疑問の答えも、じつはここにあります。消化活動のときは、脳に回るよりも、胃腸に血液が優先されるからなんですね。ところが、食後すぐに運動したり、せかせかと頭を働かせたりする日常が続くと、血液がいつも筋肉や脳にとられてしまって、胃腸に十分回ってくれません。胃腸に十分な血液が回らないと、胃粘膜が薄くなって、少しの刺激やストレスにも弱くなってしまいます。

・胃は、もっとも感情面の影響を受ける臓器です。たとえば、怒ったり、イライラしたりすると血液中の血糖が増加し、胃は胃酸をどんどん放出します。逆に心配事があったり、迷っていることがあると、胃は貧血してその働きをやめようとします。不安なときは、胃の内容物は、なかなか腸に移動しません。逆に興奮しているときは、移り方が早く、十分な胃液作用を受けないまま食べ物が移動してしまうので、消化不良になりやすいのです。一夜にして胃潰瘍になることがあるほどですから、胃はかなり繊細です。その胃酸の出方は、感情の動きそのものであると言っても過言ではありません。つまり、胃が健康で丈夫であるということは、感情面も安定しているということになるのです。

・胃にまつわる病気が教えてくれるのは、「いま、ここ」にとどまり、意識を集中させ、イメージを熟成させない、ということなのです。私たちは、明日のことや、昨日のことに意識を奪われて、いま、ここに生きているという実感を持ちにくい生活に追われがちです。いま、ここで食事をしているにもかかわらず、次の仕事のことで頭がいっぱいで、リラックスして食事をすることすら叶わない。胃が痛くなったり、胃もたれが続くようなとき、しっかりとカラダの声に耳を傾けて”いま、ここ”にいる自分をケアしてほしいと思います。心配ごとがココロにあるとカラダを酷使してしまいがちですが、カラダを上手に働かせるだけでなく、上手に休息させることができるのも、マネジメントのうち。胃が教えてくれるのは、”いま、ここ”を感じる能力を磨け、ということなのです。

・のどの痛みがとれない、言葉がうまく出ない、咳が止まらない、だからコミュニケーションが面倒になる。気が抜けていくため、相手との臨界がはっきりしなくなり、自分という境界線を失う・・・。そんな流れを断ち切るには、とにかく立ち止まって、一度しっかり涙を流してやることです。笑いが、免疫力のNK細胞を活性化させるという話は有名になりましたが、じつは、悲しみも、NK細胞の活動をいったん引き下げるものの、底を打ったとたん、ぐーんと反転して細胞活性を引き上げるのだそうです。つまり悲しみも、感じ切ってみることにつきるのです。

・交感神経優位のカラダは、知らず知らずのうちに呼吸が浅くなり、吸う方が優位になっています。毎日、意識して呼吸で「吐く」ことを実践しましょう。それが、文字通り、「息抜き」することになるのです。

・空気が肺に入るまでには、気管支というところでたくさん分岐します。肺の機能が高い人は分析能力が高く、とても頭の回転の早い人が多いです。肺を健康に保つには、まず呼吸を大切にしてください。家の中が雑然としていては呼吸空間が保てません。情報系(本や資料)の整理整頓もあなたの呼吸をラクにします。

・一日のなかで、ため息が出そうになることがありますよね。そのとき、ため息で終わらせずに、「はーーーーーーーーー」と息を吐きます。ため息が出そうになるのは、カラダが情報でいっぱいいっぱいになっている証拠。そのタイミングを利用してあげましょう。慣れてきたら、「はー」にハリのある声をのせて、意識的に行ってください。そのとき、いいことも悪いことも正直に、「私の中は、こんなことになっています~」と、正直に大気に自己表現するような思いを込めてやるといいです。うまく言葉にして説明できないせつなさや、言いようのない悲しみも、「はーーー」という声といっしょに大気の中に吐き出されていきますので。

・ゆううつな気分を整理整頓するには、カラダを動かすのがいちばん。朝日を浴びながらのウォーキングは、うつ病対策として、アメリカの医学論文にも載るほどです。また、心臓にある自分のリズムを取り戻すことも、鬱々気分からの脱出方法です。そっと胸に手を当て、あなた自身の鼓動を感じてみましょう。そこにあなたのこれまでのうれしい体験がたくさん詰まっています。「うれしいなあ」という気持ちは、ふだんから素直に発しておくに限ります。ふだんの生活の中に、少しずつ、たくさんの「うれしい」を見つける習慣を持ちましょう。うれしいと素直に思えるのは、一生懸命に世の中にかかわってきた証拠。それは、自分の内側のいろんな感情を認めてあげることができるということなのです。

・おそれとは、「不必要なものは手放そう」のサインと考えてみましょう。「抱えすぎ」は、身動きができなくなり、あなたのほんとうの魅力や能力を低下させてしまいます。恐怖を整理整頓する秘訣は、「私は○○です!」とシンプルにはっきり言えること。自分を特化し、自分にしかできないことをし、それ以外は人に任せるのみ。身のまわりの整理整頓、要らない書類や本・雑誌の処分も大事です。使わないまま「いつか使うだろう」と思いつつずっと置いているモノ。おそれという感情は、具体的なおうちの整理整頓、すっきり捨てる作業がもっとも効果的な対処法なのです。

・結局人は、この世の限られた一部を切り取って生きているということになります。つまり、何を知り、それをどう切り取るかで、その人の「世界」が決まります。それなら。ハッピーな生き方とは、あなた自身のハッピーな切り取り方にあるのでは?ニュースや報道は本来、情報を提供することが役割で、それを切り取って解釈するのは自分でやるべきこと。けれど、過剰に不安や恐怖心をあおるものが氾濫して、気づけば自分の考えはどこにあるのかがわからない・・・。「世界」は、自分が見るものや聞くものでつくられていることをいつも心がけて、できるだけ楽しいものにフォーカスすることが、人生を楽しく生きるコツ。そして、その基準はおへそに宿ります。おへそを直接さわるのはよくないので、背筋を伸ばし、おへそのまわりをときどき指でさすってあげまよう。感性のアンテナを磨くような意識で行ってください。

良かった本まとめ(2015年上半期)

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久昇 本店(神奈川県藤沢市)という居酒屋はとてもオススメ!

2015年10月07日 01時00分00秒 | 外食
藤沢市在住の方に、藤沢駅近くだったらテレビで何度も紹介されている「久昇 本店がいいよ!」との情報を得たので、さっそく行ってみました!

店構えは、いかにもThe居酒屋です!
昭和46年創業の老舗です!


↑店構え

土曜の17:30過ぎに訪れたのですが、すでに満席で、空いていると思った席はすべて予約席でした^_^;)
あきらめて帰りかけたのですが、ちょうどカウンター席で「今から帰るから大丈夫だよ!」とありがたいお言葉!
お店の方は○○さんと呼んでいたので、かなりの常連客のようでした。

ありがたくカウンター席に座ります。
隣に座った方も初めてこの店に来たとのことで、開店直後に滑り込めたようです。
食べログで検索して来たとのことで、確かに食べログTOP5000にもこの久昇 本店は選ばれていますね。

メニューを見て、注文します。


↑9月の推薦料理


↑メニュー

飲み物は生中550円を注文し、刺身はカンパチ1000円を頼みました。
お通しはごぼうのきんぴら200円ですね。


↑生中、カンパチ、お通し

カンパチの刺身が、さすが身が引き締まっていて美味しい!
刺身の質の良さを感じます!
この日は炎天下の中、かなり歩いたのでビールが旨過ぎです^_^)

そしてお店の人が勧める「しじみ卵焼き半(400円)」を食べますが、おぉぉこれが想像以上に旨い!
こんなに旨い卵焼きは初めてでしたね。
あぁぁこのお店は本当に旨いんだと確信しました^_^)


↑しじみ卵焼き

そして、これまたお店の人が勧める「秋茄子惣菜煮900円」がウニがたっぷりで、そして出汁が効いていて美味しい!
茄子も柔らかアツアツでこれもまた美味しい!
美味しさを堪能します!


↑秋茄子惣菜煮

牛筋の旨煮650円もお店の方が勧めた料理ですが、これもアツアツで牛筋がものすごく柔らかく甘~く煮込まれ、これも美味しいですね!
感動です!


↑牛筋の旨煮

ここで、なんと親しくなった隣の方が、もうあまり食べられないということで、「餅くじらのぬた」を頂きます!!
お店の方によると、かなりの時間仕込んでいるとのことで、とても柔らかくて美味しい!!
味噌に合いますね!
この餅くじらはかなり希少なようです。
珍しいものを頂け、とても嬉しかったですね!


↑餅くじらのぬた

そして、このお店の名物の「おから」も頂きます!
小エビ?が入っているのでしょうかね。
これもさすば名物で美味しいです!


↑おから

「久昇 本店」はさすが人気店で、想像以上に料理が美味しく、とてもオススメですね!
この店に行く場合は予約が必須です!

美味しかったものまとめ(2015年上半期)

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久昇 本店居酒屋 / 藤沢駅石上駅

夜総合点★★★☆☆ 3.8

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東海道五十三次 街道をゆく 東戸塚~藤沢宿 (3)冨塚八幡宮~浅間神社

2015年10月05日 01時00分00秒 | イベント・外出
 前回に引き続き、阪急交通社が企画する「東海道五十三次 街道をゆく」の第5回目の東戸塚~藤沢宿の (3)冨塚八幡宮~浅間神社編について紹介したいと思います。

それから、冨塚八幡宮へ到着しました!
この冨塚八幡宮は、平安時代に奥州の前九年の役平定のため、源頼義・義家がこの地に泊まった時に神様が枕元に立ち、その加護により苦難の末に勝利したことから、感謝して1072年に社殿が建てられたとのことです。
なお、この「冨塚」が訛って冨塚→冨塚→冨塚→戸塚となったようです。


↑冨塚八幡宮の説明


↑冨塚八幡宮

なお、この富岡八幡宮には松尾芭蕉の句碑もありました。
「かまくらを 生きて出でりけむ 初松魚(はつがつお)」
ここで見る初カツオは生きがいいから、漁をした鎌倉を出てすぐの頃はまだ生きていたんだろうなぁ」という意味のようです。
ただ、裏の意味としては、当時の鎌倉時代に叛乱で捕まった者たちは鎌倉を出されてすぐの頃はまだ生きていたんだろうなぁという意味のようです。


↑松尾芭蕉の句碑

それから、この冨塚八幡宮の奥には、前方後円墳の古墳があるとのことで、5世紀頃の仁徳天皇稜と同じ時期のようです。
発掘はされていないようで、発掘されると画期的なものが発見されるかもしれません^_^;)


↑古墳の方向

それから、歩くと上方見附跡がありました。
ここで戸塚宿は終わりということとなります。


↑上方見附跡

それから大きな坂である「大坂」を歩きます。
当時はもっと急な坂だったようですが、現在はかなり削られているとのことです。
かつては二つの坂から成り立っていたようです。


↑大坂


↑大坂の説明

坂を上ったところで、鎌倉方面の景色が綺麗でした!
当時も旅人は良い景色を見ていたのだろうなぁと感傷に浸ってしまいましたね。


↑大坂からの景色

それから大阪の松並木からは素晴らしい富士山が眺められることから、多くの浮世絵で描かれたようです。


↑大坂松並木の説明

それから、「お軽(おかる)・勘平(かんぺい)の碑」がありました!
お軽・勘平とは、歌舞伎の演目「仮名手本忠臣蔵」の登場人物で、この戸塚の山中を舞台に二人の進行が演じられる名場面とのことです。
ちなみに、この歌舞伎が流行って、幕と幕の間に食べる幕の内弁当も流行ったようです。


↑お軽・勘平の碑

それから、日本橋から11番目の原宿一里塚跡がありました。
当時は松の木が植えられていたようです。
当時の木とは違うと思いますが、松が植えられていますね。


↑原宿一里塚

それから、浅間神社へ到着しました。
浅間神社は全国に3500もあるとは驚きましたね。
富士山が見える場所にある神社とのことです。


↑浅間神社

次回は、(4)諏訪神社~藤沢宿です。

お勧めなお話(2015年上半期)
自動車保険を安く!

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「医者のかかり方完全マニュアル(おのころ心平)」という本はとてもオススメ!

2015年10月02日 01時00分00秒 | 
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 「医者のかかり方完全マニュアル」という本は、これまで2万2千件以上の患者や多くの医者の相談に乗ってきた著者が、患者の医者とのコミュニケーションのすれ違いを経験したことから、医者とのコミュニケーションのコツをまとめたものです。

 つまり、本書は患者が医者にかかるときに心得ておきたいマニュアル集となります。

 具体的には以下の内容となります。

・医者とのコミュニケーションについて
・自分に合った病院の選び方
・病院に行く前に必ずしておきたいこと
・病院に着いたら必ずしたい医者をその気にさせる7つのスイッチ
・こんなトークをするお医者から嫌われる
・患者としてのOK?NG?
・今後の医療について


 どれも基本的なことかもしれませんが、より良い医療を受けるための医者とのコミュニケーションや病院の選び方、準備など分かりやすく書かれていて、「医者のかかり方完全マニュアル」という本は、とてもオススメです!

以下はこの本のポイント等です。

・医療の場合は、コミュニケーション力の有無が、命にかかわる場合さえあります。これだけ多くの疾患があり、治療方法にもたくさんの洗濯しがある中で、ちょっとしたコミュニケーションのすれ違いが、治療方針の間違いを生み、取り返しのつかないことにつながる場合もあるのです。

・大切な場面では、相手の目を見て話すこと。知ったかぶりや「わかったふり」をできるだけしないこと。これら基本的なことが、医療現場のコミュニケーションではとても大事になります。医者に対して素直な確認や質問をためらわずにできるココロの準備ができていることも大切です。

・患者には「あなたは健康ですよ」と医者に保証されたい」という願望があります。しかし医者からすると、いくらその人が健康そうに見えても、「異常なし」とは言えますが、「あなたは健康」とは言えないものなのです。医者は病気を見つけるプロであり、健康を見つけるプロではないからです。どんなに元気に見える人にでも、何かしら異常を見つける目を持って接する・・・それが医者としての立場なのです。逆に、不安を抱えて来院する患者の身としては、ひとこと「大丈夫、健康ですよ」と安心させてもらいたいものです。一方は病気を見つけようとし、一方は健康を求めようとする・・・ここにまず”第一の溝”があります。

・またもう一つ、何かしらの不調を抱える患者の願望としては、「自分の抱える心身の不調に、納得のいく”特別な”理由を与えてもらいたい」という欲求があります。一方、医者にとっては、診察は日常の”業務”であう。そうである以上、「大きな間違いはせずに、早く診察をこなしたい」という考えと、薬を処方するには疾患名が必要ですから「無難に治療方針を決めたい」という欲求があります。そこで医者は、長めの詳しい説明で患者に納得してもらうよりも、迅速に無難な説明をしたくなりrます。ここに”第二の溝”があります。

・診断を急いでいると、医者もしゃべり方がぶっきらぼうになったり、駆け足の説明になってしまうものです。すると、患者側には「私はしかり診てもらっているのだろうか?」という疑念が生じます。そうして医者の態度に不満を感じたり、不信感を抱いたりします。両者の溝はだんだんと深まってしまうのです。不満があるゆえに、患者はつい医者を追い詰めるような口調になってしまうことがあります。すると、医者のほうもクレームとして受け止め、治療方針そのものまで消極的になってしまうことがあります。あるいは「上から目線」になって「患者に口を一切挟ませない」という態度をつくってしまうことも・・・。このようにお互いに溝のある状況では、「病気になった原因や理由」まで顧みられる余裕がなくなってしまいます。本当はそれこそが大事な問題であるにもかかわらず、両者とも「責任をとることを避ける」ような態度になってしまうのです。医者は「あなたの問題だから」、患者は「医者でしょ。ちゃんと治してよ」と・・・。このように、”患者と医者との溝”は、あなたを本当に健康にすることから、どんどん遠ざけてしまいます。病気を治すことよりも、お互いが責任回避に力を注いでしまう状況こそ、回避したいものです。そこでまず、患者であるあなたが、医者の立場に少し思いを馳せてみてほしいのです。相手の立場に立つことは、回り回ってあなたのためになるはずですから。

・私の知人に、パイロットに転職した、元・医者がいます。パイロットという職業は、「長時間フライトをしたら、そのあと必ず48時間休まなければならない」という職務規定があります。集中力のいる業務であり、何百人という単位の命を預かる仕事ですから当然かもしれません。しかし考えてみると、日本の医者はパイロットと同じくらい、もしくはそれ以上の「業務量」です。なのに、なかなか休みをとることが許されません。連続で何日間も働かされている状況を、ある知り合いの医者は、言葉は悪いですが「奴隷制度」と評していました。どんなにタフな精神力を持った人でも、十分な休息がとれないと、心身ともに疲れるものです。ピリピリした医療の現場で、休みもとれず、精神的にギリギリまで追い込まれているところに、患者からの無理な要望やクレームが相次ぐ・・・。少しもココロが休まらない”極限状況”にいる医者に、積極的な”ヤル気”を期待することは、ある意味、とても酷なことかもしれません。

・医者は対話のプロとしては教育されていないのです。医学部教育6年間の中では、もっぱら病理学、解剖学、生理学が優先され、カウンセリングや心理相談の訓練があるわけではないのです。どんな医者も高度なコミュニケーション能力を持っていると考えるのは、過度な期待なのです。なお、初診では、診察に10分以上かけていることも頻繁です。ただ、再診になると必要なやりとりも減ってきて、診察は短くなるのです。大きな病院になると、外来を担当する医師には最低限診なければならない患者数があって、1日に80人~100人という場合もあります。実質3分間でないと全員を診きれないのが実情なのです。私が患者や医者から見聞きした経験で考えますと、9割以上の診療では、診療時間が長かろうと短かろうと、必要なやりとりは行われています。私が思うのは、結果として医者がやるべきことをしてくれたのであれば、3分でも1分でも問題はありません。診療時間の長いか短いかよりも、どんな診察、治療をしたのかという中身こそ大事だということです。

・私がおすすめしたいのは、その病院に「専門医がいるかどうかを確認する」こと。特にがんの場合、がんの進行度を判定する「病理専門医」や抗がん剤投与の専門的教育を受けた「抗がん剤専門医」がいるかどうかは、一つのじゅうような「ものさし」になります。というのも、がんは思ったほど、精微に機械的に診断と治療が行われているわけではないからです。がんは一人一人非常に個性的な病気ですから、診断も、治療法もマニュアル通りではなく、患者の体質や個性をよく見極めてくれる専門医と出会えるのなら、それに越したことはありません。

・「地域医療支援病院」が核となって、地域内の病院がうまく連携し合うことを「病診連携」と呼びます。町の医院やクリニックでは手に負えないとき、ふさわしい医療が受けられるところに、患者を紹介するという仕組みです。一方で、より高度な医療を受けて、病状のよくなった患者は、再び町の医院やクリニックで治療を続けることができるという効率のよい仕組みも兼ね備えています。したがって、適切な医療機関に紹介状を書いてくれる「ご近所のかかりつけ医」を見つけておくことが重要になってくるのです。

・2007年から「医療機能情報提供制度」というものが導入されました。厚生労働省により、病院や診療所、助産所、薬局などに対し、情報の提出を義務付けるという制度です。これによりほぼすべての都道府県で医療機能情報を提供するホームページが運営されています。また民間企業のサービスにも「病院らしんばん」のような優れた情報提供サービスもあります。今は、さまざまな条件から医療機関を検索して詳しい情報を得られるようになっていまs。これらは、病院選びの際の強力な「助っ人」になるはずです。そして、病院の公式サイトを見れば、住所やアクセス、診療時間といった基本的なことから、医者の経歴、スタッフや院内の様子、治療方針まで掲載されていまs。通院前にはぜひチェックしましょう。逆に言えば、公式サイトの内容が乏しかったり、わかりにくい内容が多い場合は、実際に訪れても、「十分な配慮」という点で「?」がつくかもしれないということです。とはいえ、クチコミ情報と同様、書籍やインターネットの量情報も「他人」というフィルターを通した「二次情報」です。あくまで判断材料の一つでしかありません。最終判断にはあなたの目で確かめた「一次情報」を大切にしてください。

・病気の中には、何科に行けばよいのか迷うものがあります。「頭と胃が痛い」など症状が2つ以上あることもあるでしょう。その場合、大きな病院なら、まず総合案内で聞きましょう。大人の場合は「内科」、子供の場合は「小児科」をいったん受診して、そこで判断してもらうのが普通ですが、女性特有のデリケートな症状なら、最初に「婦人科」に行くのが安心でしょう。最近は「総合診療科(部)」という看板を掲げる医療機関も増えました。総合医が幅広い視野から、患者を全体的に診ることを専門としています。複数の科に通院しながらも効果が表れなかったり、不満がある場合は「総合診療科」のある病院を探してかかるとよいでしょう。

・大学病院というのは、細分化された専門医が集まるところです。メリットは、専門性が高く、最先端の治療を受けたいときに適していることです。しかし、デメリットもあります。大学病院の医者は、論文執筆や研究も並行して行うため、「一般の病院の医者よりも臨床経験の少ない医者が多い」という現実があります。また、大学病院は「診療・研究・教育」という3つが目的であるため、学生のための「実習の見本」になったり、さらには患者自身が研究対象となることもありえます。そのため検査の数も多くなります。そして、「病気を治す」ということが最優先されますので、患者の癒しやココロのケア、高齢者のリハビリテーションといった部門が後回しにされることもあります。

・近年、特定の症状に詳しい医者が最新治療を行う「専門外来」を設置する医療機関が増えています。「更年期外来」「物忘れ外来」「禁煙外来」「肥満外来」「スポーツ外来」などの看板を街で見かけたことはないでしょうか。ココロに留めておかないといけないのは、こっらは法律で規定されているものではなく、各医療機関がそれぞれ独自に命名して運営しているものだということです。しかし症状の名前が外来の名前となっているという点で、どの診療科に行けばわからない場合の目安にするにはよいものです。また担当医はその領域を専門としていることが多いので、最新の治療法に通じているというメリットもあります。

・地域の病院の夜間緊急時の連絡先をあらかじめ調べておくことは大切です。市区町村や、市区町村の医師会のホームぺージなどに、休日当番医や夜間救急医療センターなどの情報が掲載されています。それでも受診先が見つからない場合は、救急車を呼ぶことです。

・まず知っておいていただきたいのは、医学の世界では「医者と歯医者は別の職業」くらいに分類されているということです。患者からすれば、医者の中の耳鼻科や眼科の延長に歯科があると思われているかもしれませんが、医者と歯医者の違いは、大学の学部に始まります。医学部と歯学部では学んできた分野も内容もかなり異なります。また歯科の現場では、保険の利かない自由診療との組み合わせもより多く生じるため、同じようなキャリアの歯科医同士でも、治療に対する考え方で、その技量に大きな差が生まれることが多いのです。「どの歯科にかかるか」「どの歯科医をかかりつけ医にするか」というのは、特に事前によく調べておく必要があります。

・病院に行く前の持ち物と準備
 ・緊急に病院へ行く場合は、なるべく事前に連絡をすること
 ・初診に適した時間帯は、「なるべく早い時間帯」
 ・病院の予約時間は守ること!遅れる場合は連絡をする
 ・診療時、患者としてのデータは隠さずに提供したほうがよい
 ・飲んでいる薬など「ちりょうに関係するもの」や誤飲したものなど「診断に影響するもの」は「現物」があれば、医者に見てもらうのがベスト
 
・病気を回復させていく過程では、医者を「いい意味」であなたの人生に巻き込みましょう。「病気を治さなければいけない理由」や「病気が治った後にやりたいこと」を、医者に何度も伝えるのです。何度も伝えるうち、自分でもその気がどんどん湧いてきます。回復の過程とゴール以後の人生のイメージを医者が共有してくれることは、強いココロの支えとなります。なにより医者が備えている「医者としての本気」にスイッチが入ります。

・実際に医療現場でそのような質問を受けることはないでしょうが、意外なことに「病気が治ってからやりたいことは何ですか?」と聞かれたときに、ハッキリと答えられる人は少ないものです。しかし患者の姿勢として、これはとても大事な心構えで、治療効果を左右するとさえ、私は考えています。私のカウンセリングでも、「病気が治った後にしたいことは?」という質問に「病気が治ってから考えます」と答える人がいます。しかしこれは、自分でも気づかないうちに生じる「病気を治したくない深層心理」の現れ、と私はとらえることがあります。これは非常に心理的で複雑なココロの仕組みなので、それがいいとか悪いとか、早計に判断はできないのですが、「病気が治るためのココロの奥深いところでの準備」ができているかどうかというのは、患者のふとした言動に表れるものなのです。「あなたにとっての幸せとは?」と尋ねられたときに「病気が治ること」を挙げる患者も同様です。「病気である状態」が自分自身の「アイデンティティ」の一部になっている可能性させあります。このような場合は、医者が最大限手を尽くしても、患者本人のヤル気スイッチが入っていない状態自体が最大のブレーキになりかねません。

・医者を”その気”にさせるスイッチとは?
 ・できるだけ大きな声で、あいさつすること
 ・感謝の気持ちを、しっかり言葉で伝えること
 ・大事なときは、医者の目を見たり、視線を交わす
 ・積極的にメモをとろうとする姿勢を見せる
 ・病院のスタッフへの丁寧な態度や、気遣いを忘れない
 ・「病気を治さなければいけない物語」を語る
 ・行きつけの病院・かかりつけ医者をつくっておく

・こんな話し方では、病気は治らない!医者に嫌われる10のトーク
 ①「悲観型」トーク
 ②「付け足し」トーク
 ③「主症状以外の」トーク
 ④「だらだら」トーク
 ⑤「詰問」トーク
 ⑥「警戒心丸だし」トーク
 ⑦「不信感抱き」トーク
 ⑧「症状決めつけ」トーク
 ⑨「知識振りかざし」トーク
 ⑩「先生に丸投げ」トーク

・治療費については、勇気を出してぜひ聞いてみてください。逆に言うと「治療費のことさえ聞きづらい先生」とは長い付き合いは難しいかもしれません。特に、生活習慣病のような治療の場合は、長期間の通院も予想されますから。「治療費を聞けるかどうか」という基準は、あなたにとって「その医者との信頼関係」のバロメーターでさえあるのです。さらに言えば、治療費について患者がしっかり把握すること(医療コストの意識)と、そえを医療機関に求めることは、今後の医療を考える上で、極めて大事な習慣となります。そのような医療習慣を根付かせていくためにも、「治療費を確認すること」は、むしろ必要なことです。ただ、治療方針によっては、治療費そのものの変動があることは承知しておきましょう。

・セカンド・オピニオンとは、「2番目の意見」という意味です。現在診てもらっている医者以外に、診断や治療法についての意見を求めることです。軽い病気ならともかく、重い病気であったり、治療の選択肢が複数あるようなばあいは、「一人の医者だけではなく、ほかの医者の意見も聞いてみたい」という気持ちが湧いても当然でしょう。その結果、医者を変えることになってもよいならば、セカンド・オピニオンをとる価値があります。中でもセカンド・オピニオンをとるケースが多いのは、がん治療です。がんの進行具合や部位によっては、ごく標準的な治療をするにしても、切除、放射線、抗がん剤という3大療法があります。その組み合わせだけでもさまざまあり、どのような治療プランがあるのかで、多くの「プロ」の意見を求めたくなるのも無理はないでしょう。また、治療の前に、成功率や副作用、想定されるリスクなど、あらゆることをできるだけ知っておきたいものです。たとえ同じ治療をするにしても、「より丁寧に説明してくれる医者にかかりたい」というのが本当でしょう。セカンド・オピニオンというシステムは、日本ではまだ一般的ではありません。「担当医に失礼なのでは?」「プライドを傷つけてしまうのでは?」と気遣う人もいるでしょうが、医者は患者がセカンド・オピニオンをとることも、その結果よそへ移ることも「織り込み済み」です。医者に気兼ねせずに、セカンド・オピニオンという患者の大事な「権利」を意識してほしいと思います。もちろん、セカンド・オピニオンにも注意すべき点はあります。まず、誰にセカンド・オピニオンをもらうかという問題です。現主治医から紹介された医者の場合、同じ系列の病院や、同じ学会に所属する医者であることが多いです。そうなると、同じ治療をすすめられる可能性がとても高く、結局は同じ診断、同じ治療法になってしまいます。こうした関係に束縛されない医者を自分で探してセカンド・オピニオンをとることが、意味のあるセカンド・オピニオンと言えるでしょう。

・そこでも治療を続けるか、別に転院するかの目安は3カ月と考えましょう。治療を始めて3カ月経っても改善が見られなかったり悪化しているような場合は、治療法を変えてもらったり医者を選び直してもよいかもしれません。もしかすると、治療がうまくいっていないことを、当の担当医が一番悩んでいるかもしれませんから。そういう場合は、患者側から転院を切り出されてホッとする医者もいるでしょう。高度医療でもない限り、医者からは「うちでは成果が出ないので、ほかへ行ってください」とは絶対に言えないのです。医療は相性でもありますから、ある患者とある医者ではどうしても結果が出ないケースというのはあるのです。

良かった本まとめ(2015年上半期)

<今日の独り言> 
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