伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

死ねば、赤ん坊です

2007-12-01 19:27:22 | 先祖供養について

人間は、この世に生まれて数年間は、食事や排泄などの全て
の世話を、他の人にして貰わ無ければ、死にます。
世話をして呉れる人は、両親か縁の有る人間です。
生まれてから直ぐに、一人で生き延びた人間は、居ません。

私は、生まれて間もなくの赤ん坊の時の記憶が有ります。
体を自由に動かせ無いでいる私の顔を、覗き込む両親や
兄弟の顔を、今でも覚えています。
特に、日中に母親が私のオムツ交換をしている最中、最初は
私の目線で、下から母親の顔を見上ていたのですが、途中か
ら母親の背中越しに、自分自身の体と母親の背中を、天上
付近から同時に見ていた記憶も有ります。
ようは、生まれて直ぐでも、現在と意識は変わらず、同じなん
です。 ただ、体が動かないだけです。
別の世界から、現実界に生まれて来ると、最初の数年間は、
必ず自分以外の人の世話に、ならなければ生けない法則が
有るわけです。
ここで、人の死を考えて見ましょう。
この世界から、別の世界へと、生まれ変わるわけです。
この世を80歳で終えても、別の次元へ生まれるのですから、
そこでは、0歳です。 今生で生まれた時と同じで、新たな
世界では0歳なので、体が同調し慣れるまで身動きが出来無
いのです。その慣れる期間は、生きている縁者から、供養を
受ける事が大事なのです。 これが、先祖供養です。
その慣れる期間は、個人差が有ります。

人間は、生まれた時に世話をしてくれた人が先に死ねば、
今度は、自分自身が受けた恩を、その人に供養という形
返さなくては成りません。先祖供養とは、自分が受けたもの
を感謝でお返しする、だけの事です。 実行して、アタリマエ
の事です。生きている時に、親孝行が出来る人は、尊い人
です。でも、新しい世界に親達が生まれ出た時にも、手助け
して上げる事が、重要です。
このアタリマエを、必要が無いと屁理屈を捏ねて軽視し、
それどころか、先祖供養の重要性を説く提唱者への、エネル
ギーの提供行為に過ぎないと、主張する輩も居ます。
また、自分自身の打算の為に先祖供養をしていると、揶揄す
る人がいます。 まず、このような人達は、正しい先祖供養を
した事が無い人です。した事が無いから、分から無いので
観念で批判します。本当に正しい先祖供養を実行すれば、
自分自身でしか味わえ無い事が、沢山体験出来ます。
そこには、他人が介在する余地は有りません。親子の間に、
他人が割って入る事は、出来ません。 
例えば、ボランティアを打算の心を持ちながら、実行しても
それは価値が有ります。その行為で助けられる人が、現実に
居れば、その受けた人にとっては、救いなのです。それを、
打算心を持ちながら実行したから駄目だと非難出来る人は
、口先だけの人です。 また、本当に打算心だけならば、
行動が続きません。必ず、途中で辞めます。・・・何も効果が
無かったとね。 継続出来ることは、純粋で偉大な事です。
実践は、観念を凌駕します。
このような先祖供養を軽視し、反対する人には、親不孝な
人が多いです。育ての親から借りたものを、返さ無い人間に
は、必ず不運が付き纏います。

さて、先祖供養の方法ですが、生まれた赤ん坊に話し掛ける
言葉は、単純な言葉を自然と人間は、選び使います。
いきなり難しい言葉を、投げ掛けません。
死んで、新しい世界へ生まれたばかりの先祖には、なぜ御経
なのでしょうか? まったく先祖に通じづ、無意味です。
感謝の気持ちを表す、話言葉が最良です。

生かして頂いて ありがとう御座います

   
人類の 5% 運動を広める為に、4箇所クリックして下さい

 

コメント (96)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする