伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

犬のジョン

2007-12-05 19:42:34 | Weblog

私が高校生の頃、家にいた雑種のコリー犬が死にました。
ジョンというオスの犬でした。全体が黒い毛並みで、首回り
と手足が白色の犬です。ジョンは、生後1年間ぐらい他所の
家で飼われていましたが、飼い主の事情で飼えなくなり、
保健所で処分されそうに成っていたところを、私の母親に引
き取られて家に来ました。

産まれてから、ずっと狭い檻の中で飼われていたので、散歩
をしてもらったことが無いので、足腰が大変に弱い犬でした。
人間と短距離競争して、負ける犬を初めて見ました。
でも、性格が大人しくて、とても頭の良い犬でした。
躾も直ぐに覚え、言いつけも良く守りました。
兄が、毎晩していた散歩に連れ出されて、帰って来る時は
引きずられる様に帰って来たのを思い出します。

幼犬の時の栄養状態と、運動不足が影響したのか、家に来
て10年目ぐらいで、ある時から歩けなくなり、寝込んだまま
でした。 だから、首輪も外したままでした。
ある休日の日中に、私が家の車を洗車していましたら、私の
背後に気配を感じて振り返ると、私の足元にジョンがいまし
た。犬小屋から、私が居る場所までは、10mは有りましたが
体を引きずって来たようでした。

驚いている私の目の前で、倒れたままの状態で、ジョンの目
は、私の目をジット見詰めていました。
そして、だんだんとジョンの呼吸が荒くなり、私の目を凝視
したまま、最後に手足をピンと張ってから、目を閉じました。
背後のジョンに気付いてから、ほんの数分の出来事でした。
その数分間は、何か威厳に満ちた空間がそこに有りました。
私が本能でその時に感じた事は、ジョンの目から、自分の目
を反らしては絶対に成らないという事でした。

最後の最後に、人間と目を合わせながら死ぬ事が、ジョンの
人生最大の幸福であり、祝福であると、その時に浮かんだか
らです。 私は、その時、不思議なくらい冷静で、落ち着いて
いました。 その場の、空気がそうさせたようです。
目には、何も観えませんでしたが、何か大いなるモノが迎え
に来ていたと感じました。

人間でも、病院に入院すれば、意識のある最後の瞬間は、
誰とも目を合わせずに、一人で意識不明に陥り、発見される
方が多いと思います。 ジョンは、私が偶然に外に居た時に
最後を迎えましたが、その様に行かしめた縁を感じます。
ジョンが目を閉じて直ぐに家族を呼びました。家族の者は、
ジョンが移動していたのに驚き、動かない体を前足だけで
引き摺りながら来たんだねと、目を潤ませました。

ジョンの最後の1年間を思うと、たぶん痛い所が沢山あった
と思います。でも、何時も静かに佇み、現状を受け入れて
いる様でした。 求道者の様に・・・・。
ジョンの体はボロボロでしたが、見事に生き切りました。

人間は、衣食住が出来る事がアタリマエで、その上で、自分
の欲が叶えられないと、苦悩しています。
犬も人間も、天と地の間で生きる、同じ生き物です。
これから、今までの外在神の時代での数千年の縦社会の流
れを、根源の力で横一列の社会にするそうです。

根源神1つと、横一列。 横の列には、諸霊諸、人間、
諸動物・・・・全ての生き物がいます。
全ての存在が、根源と1対1で向き合うのです。
ジョンに対して、恥ずかしく無い生き方をしたいと思います。

生かして頂いて ありがとう御座います

コメント (87)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする