伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

近道は日常に有り

2007-12-12 19:12:04 | Weblog
家庭を持ち、定職を持つ人間の精神的な求道の正しい姿を
考えて見ましょう。
たまに、TVで曹洞宗の禅に打ち込む雲水の御顔を拝見しま
すと、精進料理の粗食でも皆さん色白で、血色が良くて健康
そうです。一見しただけでは、霊的にも嫌な感じは、しません
。 多くの雲水は、禅寺の大事な子息で、将来は家の寺を継
がれるようです。  曹洞宗は、ただ、ひたすら禅をする、
ひたすら掃除する、ひたすら食事する、と、今する行為
ひたすら没入する事を大事として、そこには自己観察をする
行為や、自分の心の動きを落ち着かせる努力、秘密の御経
も存在しません。 人間の日常に有る、作業や行為、仕事に
没入して一体に成ると、自然と、自己の心に住む仏と一体
に成れる、とするようです。  なぜなら、この世の全ては、
仏の現れで有るからだと、道元の名前をリーディングします
と、以上の感応を私に伝えて来ます。 もし、これが実際に
現在も継承されているならば、道元さんは、凄い人だと思い
ます。 全てを理解した上で、生きる人間が仏に近づく最短
の方法を示されたからです。

私達も、例えば接客業の仕事をしているとします。
御客様と会話しながら、商品を御勧めする最中に、自己の心
を観察出来るでしょうか?  一般の大多数の普通の方は、
できませんね。 では、帰宅後に出来るか? 家に帰れば、
女性ならば、食事、洗濯・・・・子供と、男性にしても、そんな
時間は有りません。
精神的な求道に掛けれる時間なんて、僅かです。
つまり、宗教的な求道や自己観察は、真面目に働き、家庭を
持つ人間には、”関係の無い”事なんです。それをしなければ
カルマが取れ無いと主張する自称者も居るようですが、
そのような特殊?な人達だけ、特殊な世界へトットと行かれ
たら良いですね、笑。
世の中の人間が、全員、間違った特殊な修行者に、もし成れ
ば、子供も育たないし、食料、電気も無くなるでしょう。
だから、正しい精神的修行とは、働きながら、子育てしながら
でも出来て、成長できる行法・方法が、絶対的に正しいのです
。 少数を対象にする法は、どうでも良い法です。 世の中の
大半の人間を対象にした、自分で実践が可能なものに正道
が有ります。 
この世を出現させた、根源の存在は、全てを生かしたい、
成長させたい 愛情 で満ちています。 少数だけを救う様な
法を、絶対に降ろしません。

働く人間が霊性の成長を試みるならば、1日の大半を占める
仕事中に実行しても、悪影響を与え無い方法が有れば良い
ですね。 もし、仕事中に接客しながら、自己観察を試みれば
どうしても寡黙になり、笑顔も作り難いです。 これでは、仕事
に成りません。
しかし、”生かして頂いて ありがとう御座います” と思いな
がら接客すると、どうでしょうか?
自然と笑みがこぼれ、お客様にも優しく成れるでしょう。
自己の霊性と、仕事が向上します。

生かして頂いて ありがとう御座います

   
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コメント (49)
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