伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

与えましょう

2008-12-04 18:51:45 | Weblog

私の中学から高校の6年間は、今までの人生で一番肉体的
に辛かった時代です。 原因不明の不定愁訴でした。
身長が6年間で急激に伸びたせいかも知れませんが、とにかく
立ち眩みと動悸が起こっていました。
何回も病院で検査をしましたが特定の原因が見当たら無くて、
成長期だからだと片付けられていました。
自分では幼少から霊的な感応がありましたので、性能の良い
ラジオの様に色々な霊的存在とチャンネルが合ってしまう事
が原因だと感じていました。  しかし、その対処方法が分り
ませんでした。
自分の体から、生命エネルギーがチュウチュウと何者かに吸
われている感じでした。 顔色も青白かったです。
この苦しみを解決したいが為に、実践的な方法を求めて
古今東西の分野を問わず、宗教理念や神秘思想の本に触れ
ました。 自分で色々と試したものです。
大学に入学してからは、バイクや車などの移動手段が可能に
なったので、近畿地方を中心とした神社仏閣への参拝を繰り
返し、霊学の奥義である「寄り代」(よりしろ)への考察と
実体験を自分で積んでいました。 また不思議な縁で色々な
教祖達との出会いを通じての実践体験も有りました。
しかし、その頃になっても長年に渡る不定愁訴は解決していま
せんでした。
結局、私が生まれながらに感じていた霊的な考察を満たし、
実践的な真実の改善効果を持つものは有りませんでした。
意識の表層での憑霊遊びと、邪霊の集金システムに繋がる
物ばかりだったのです。 

最終的に不定愁訴が解決したのは、伊勢神宮外宮で感応し
た感謝の言霊 「生かして頂いて ありがとう御座位ます」
だけを用いた、神霊への参拝と神祭り、先祖供養の実践で
した。
特に感謝を捧げる先祖供養3本を始めてからは、心が平安に
成り、肉体的にもより強く成れました。
また強く望まなくても、物質面でも非常に満たされる様に変
わりました。とにかく、一番有り難かった事は心の安定でした。
人間は心が不安定で辛ければ、生活自体が嫌に成ります。
死の原因にも成りかねません。
従来の宗教では、依存させる事による安心感しか与えられま
せん。これは何時でもメッキが剥がれる嘘の安心感です。

人間は自分が愛されたければ、他を自分が愛さなければ実現
しません。 欲しい物は、他に何かを与えなければ授からない
法則が現実界には有ります。
感謝の供養の効果を、今まで強く書かなかった理由は、ここに
有ります。 効果目的に成ると、逆効果に成るのです。
改善効果を目的にして先祖供養をしても何も起こりませんし、
むしろ期待外れと成るでしょう。

たとえ自分が微力でも、神霊を慰め癒し先祖霊を助けたい
気持ちを持つ事が、本当の神仏と諸霊からの助けを得られる
のです。
神仏や縁ある諸霊に、自分の感謝の気持ちを「与える」行為は
自分に何かが「与えられる」縁を創るのです。
今までの御蔭信仰は逆に何かを失くす信仰です。
自分の感謝の気持ちを与える信仰は、望まずとも何かを与え
られる信仰です。 この違いは大変に大きいです。

生かして頂いて ありがとう御座位ます

人類の 5% 運動を広めたいです。
  
 
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コメント (247)
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