伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

事前の対応

2008-12-07 09:52:45 | Weblog
外国では神への信仰は熱心ですが、自分の先祖霊に対する
信仰や行事が少ないです。その習慣が無い国も有るでしょう。
日本では伝来仏教が何故か先祖供養を重視する形態で広ま
りましたので、先祖供養が外国と比較すれば熱心にされて
来ました。 
釈迦の起こした原始仏教には、先祖供養に対する教えは
非常に少ないです。 伝えられるエピソードでは、釈迦の
十大弟子の一人である目連の母親が地獄界の餓鬼道に落
ち苦しんでいる様相を霊視し、その救済策として
「たくさんの修行僧や民衆に食べ物を施して、その代わりに
母親の成仏を願って頂きなさい」
と示したとされます。これは比喩に満ちた伝えだと感じます。

・他人に施す事の重要性。
・沢山の人の思いの大事さと、その実践力。
などが含まれます。 現在の日本仏教は、この些細な一文を
手掛かりにして、葬式や法事の後に続けて食事会を実施する
習慣に結びついたと感じます。 また、僧侶が民衆の寄付で
生活する根拠や御墨付きにも拡大解釈されていると感じます。
とにかく日本では、原始仏教には無かった先祖供養の儀式
がホンの些細な単語や文を鍵にして、拡大につぐ拡大解釈
が繰り返されて現在の葬式仏教が出来たと思います。
もちろん原始仏教とは別物仏教です。

私は、これは日本にはトータルで考えると良い事だったと
解釈します。 日本神界の神霊が関与して誘導した神仕組み
を感じます。 日本には仏教伝来以前から、祖霊崇拝の観念
が存在していました。
もちろん、僧侶の本道を離れた贅沢や過剰な集金システム
による民衆からの搾取などの大弊害は有ります。
しかし、それを差し引いても先祖霊に定期的に気持ちを向け
させる習慣に貢献しました。
ようは先祖霊の事を忘れない事、たまには気持ちを向ける事
が大事なのです。 これへの方便として色々な形が有るだけ
なのです。

現実界では自分自身に縁が有り関わる霊に苦しむ存在が
有れば、気付いて欲しいが為に知らせようとします。
だから知らされる前に日々の供養で、こちらから振り向いて
上げる事が大事です。 忘れていれば、知らされます。
また霊が知らせるのを、たとえ諦めても霊線の詰まりとなり
子孫の生命力や幸運、心の安定に影響しています。
日々の先祖供養さえしていれば、後は自分の現実界での努力
が大事です。
世の中には霊的なハンディを背負いながら、現実界での波風
に会っている人が多いです。 これは、ダブルパンチで苦しい
事です。 先祖供養を正しくしていても、現実界で生きる限りは
世間の波風の中で生きて行きます。しかし、霊的ハンディさえ
無ければ、苦難も明るい心で受け切る事が出来ます。
この違いは、天地の開きがあります。

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コメント (260)
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