伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

分からない価値

2008-12-05 19:03:01 | Weblog

感謝の先祖供養を1年以上、時には休みながらでも続けて
いる人は、神札を祭る事をお勧めします。
継続出来ると言う事は、そこには見えない存在に対する
思い遣りが有るからです。 これが尊い事なのです。
例えば近所に住む隣人に、何か御裾分けをする行為には、
「今後も宜しくね」 「何かある時は手助けしてね」 とか、
「この前に頂いた御返しの為」・・・などなどの駆け引きが有る
ものです。 
しかし、
供養や神祭りと言うものは相手が見えないので・・・
・果して本当に届いているのか分からない。
・別に効果が有るとも感じられない。
・自分の一人よがりな無駄な事をしているのか?
などなど、不安を持つ時もあるでしょう。
だからこそ価値が有り尊い行為なのです。
目に見える、反応が有る事への行為は簡単な事です。
誰にでも出来る事です。 これこそ効率の良い見返りの為の
行為に過ぎません。
大きな不安、無意味な可能性を感じながらでも、短期間なら
ば実験として供養が出来るかも知れません。
しかし継続出来るには、慈悲心や優しさが本人に無ければ
出来ません。 この様な自分の良さに気が付いていない人が
多いです。 中には自分が欲深いから継続出来るのだと
思ってしまう人も居ますが、そんな事はありません。

認知・知覚できる事のみに対応する人は、供養などは迷信に
過ぎないと思っているかも知れません。
非効率で無駄な行為だと。
この様な人は日常社会でも、自分の為の効率的な行動しか
取りません。 無駄を避ける人です。 
しかし、人生とは自分が気付いていないだけで、誰かの世話
に成っていたり、迷惑を掛けている事も多々有るのです。
自分自身が気付いていない面への配慮が出来ない人は、
心の幸福を逃し、たとえ本人の希望が叶えられても代わりに
何かが欠ける様な宇宙法則が有ります。
見えずに隠れているモノへも、心を配る事が出来る人は、
霊的な徳のある人です。

神が見えない、分からない。
先祖供養の手応えが分からない。
それでも、自分が今まで生かされて来た事への感謝がしたい
から、先祖供養や神への感謝をする。その気持ちが大事です。
先祖供養出来る人は、現実社会でも気配りの出来る人でも
あり、心根の優しい人です。
「先祖霊には力が無いから、神仏への信仰が一番に大事だ」
という自称専門家が多いです。
弱い存在を見捨てて擦り寄る人間を、本当の正神は避けま
す。 それこそ強い者勝ちの信仰者です。
正神に繋がっていない証拠です。
弱い存在を助け様とする人には、正神の方から寄って来ます。

生かして頂いて ありがとう御座位ます

人類の 5% 運動を広めたいです。
  
 
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コメント (253)
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