伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

大いなる決意

2008-12-08 18:41:15 | 釈尊の言葉 ダンマパダ編

今日は釈尊が悟りを開いたとされる日を記念して成道会
じょうどうえ)の法要が各地で行われる日です。
悟りを開いた・・・私達が聞くと、何か意識が突然に変化した
日なのだろうか? 見えない世界が見えた日なのだろうか?
などと想像します。 しかし残念ながら違う様です。
私が感じた様相は、釈尊が決意をされた日でした。

「この世では自分自身を信じ、自分の良心を拠り所として、
他人を当てにはしないでおこう」 と決意をされた日です。
そして動物のサイの様に
脇目を振らず、ただ真っ直ぐ自分
の良心の感じるままを信じて進んで行こうと決意されました。
では、この良心とは何か?
他人に「これをして上げれば本人の為になるなあ」とか、
「これをしては他人が困るだろうなあ」 とか、誰にでも生まれ
ながらに授かっている「思い遣り」の事です。
どんな非道な犯罪者にも常人と共通な良心が有ります。
ただ、良心に従わないだけです。
思い遣りとは、根源存在が人類に分け与えたものです。

釈尊に取っての他人への思い遣りは、人間の心の苦しみを
滅する方法を人々に伝えて行こうと決意した事です。
それが本当の意味で、人々の為に成ると思われました。 
その為には自分の持つものは全て捨てて行き、身も心も他人
に捧げていこうと決意されました。

釈尊は人間の心が苦しむ大きな原因は、執着する事だと言い
ました。
好きな人に執着すれば、失った時に苦しむ。
財産に執着すれば、失う事を恐れ苦しむ。
社会的地位や外見に執着すれば、それを無くす事に苦しむ。
では、これらに執着しない為には、どうすれば良いのか?
持つ間は縁として感謝しながら共に楽しみ、何時でも他人に
与える気持ちで居る事だと伝えます。

他に頼らずに自分の良心を頼りにして生きて行きますと、
不思議な事に物事の隠れた面を感じ出します。
何となく分かり始めるのです。 ある意味、正しい霊的世界を
感じて物事の本質が見え出します。 
自己の中に大きな視点が芽生え始めるのです。
良心は、宇宙を創造した根源存在の思いですから、当然なの
かも知れません。

人間は自分の良心に従って生きて行こうと決意しても、良心
に沿った実際の行動が出来ないものです。
たとえ挫折しても、そのつど決意をし直して行けば良いので
す。
良心に沿った行動を目指して歩いて行くと、その歩いた道の
軌跡は細かい修正が有りながらも、サイが歩いた様に真っ直
ぐな道に成っています。

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