伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

まだまだ行けます

2008-12-19 19:13:45 | Weblog
人間は現実界で生きる事に懸命です。
次々と個人に応じた課題が訪れます。
現実的な課題が無くなると、次に来るのは心を悩ませる課題
が来るものです。 病気の課題もあります。
不思議な事に自分相応な順番が決められた様に来ます。
越える事が出来るかどうかの先が見えず、自分で経験しなが
ら歩を進めないと分からない課題は辛いものです。
明日をも知れない中での努力は、無駄に終わる心配を抱え
ながらの自分自身との戦いです。
ただ、大変な課題がいっぺんに5個も10個も来ないもので
す。 もし来ても何も出来ないだけです。
自分の限界ギリギリの境遇に、試される様に成ることはあり
ます。その都度自分に取っては精一杯の事を遣り続けている
と、その経験が顔に現れて来ます。
自分の魂が成長する事で、肉体に反映して顔に現れるの
です。
課題が途切れない様に次々と寄こす、この心憎い存在とは
何か? 普通は霊の仕業、先祖の因縁などを心配する人
が多いです。 でも家系の因縁ならば、その家系を選んだ
のは自分の魂なのです。自分で選んだ前提条件の一つに
過ぎません。
限られた人生の時間の中で、有効に本人の魂を成長させ
ようとする存在。
それは、本人が生まれてからの全てを公平に見ている
自分自身の良心(=内在神)です。
人生とは自分の良心との勝負です。

私の過去生の記憶では、あの世に毎回帰るたびに強く思う
事があります。 今回の人生をスピード再生して検証する時
「ああ、この時の自分はもっとハンディが強くても乗り越えら
 れたな。甘かったな。」
「なんだ、心配せずにもっと努力すれば良かった。より成果を
 出せたのに・・・」
「この時は、もっと苦しめば良かったなあ。より大きな心に
 成れたのに」   などなど。

今の私も現実界でサラリーマンをしていますと、色々とある
ものです。神霊は黙って観ているだけです。助けてはくれま
せん。 もちろん私も、生かされている事だけで十分だと思い
頑張ります。
苦しみながらも頑張っている人を私が見掛けると、神霊は
「幸いなる人」だと慈悲の眼差しで私に伝えます。
この世は目先の価値観で判断すると誤る次元でもあります。
真に大きな視点で見ると、不幸な事も神の恩寵と言えます。
読者にも幸いなる人が多いです。
心配は不要です。 自分が出来る事を、悔いが残らない様に、
限られた人生内にするだけの事です。また、自分に関わる
目に見えない存在をも、自分が出来る限り助けたいと思えれ
ば最高の人生です。
たとえどんな醜態をさらそうとも、生きてさえいれば良いの
です。 預かる内在神を現実界で最後まで生かし切る事が
大事です。 共に頑張りましょう。 

生かして頂いて ありがとう御座位ます

人類の 5% 運動を広めたいです。
  
 
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読者のコメント欄には、大いなる学びが有りますので必読です。

コメント (303)
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