伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

新春に神柱を迎える その2

2009-01-04 13:29:18 | Weblog
12月31日に仁川空港に到着しました。バスが途中、焼失
した南大門の前を通り過ぎてホテルに着きました。
すぐに身支度を済ませてから街へと出かけたのでした。
ホテルから乗ったタクシーが次は東大門の前を通過した時か
ら、とても精妙な波動が私の胸に吸い込まれるように流入し
て来るのが分かりました。
いよいよスイッチが入ったなと感じましたが、想像していた
以上に体に抵抗感を感じませんでした。 おそらく10月から
始めたフトノリト玄米食に切り替えた事が効果していると思い
ました。私の霊体に濁りが有ると、摩擦が起こり苦しんだかも
知れません。
ただし、これは帰るまでの平安に過ぎませんでした・・・。

そして、31日午後3時過ぎくらいから日本の白山に向けて、
3本目の神柱のエネルギーが流れて行くのが分かりました。
観光をしながら浮かんで来る事は、これからの現実界が
「ナントカ、成る」でした。 この解釈を考えていると、
「難(ナン)と禍(カ)、から安定へ成る」と響きます。
難と禍を経験して、新しい世界が生まれるのです。
ソウル滞在中は、少なくとも3度以上はタクシーと徒歩による
東大門と南大門を観光により往復しました。

ここで思ったのは、大本教を始めとして神道系教団が昔から
「渦潮と鳴門の神業」「富士(不死)と鳴門の神業」などど申し
まして、近年の百年間に渡り明石海峡や鳴門海峡へ出向い
てイベントを繰り返して来ました。 個人の神道家でも非常に
多かったです。
私は昔から、このイベントが非常に疑問でした。
渦潮遊覧船に乗ったり、海水にチャップンする様な国内での
小さい行事が、この神業の名前が意味する事では絶対に無い
と感じていました。鳴門の文字が有るからと、本当に鳴門海峡
へ行ってどうするの?と思って来ました。 
今回の3本石柱を揃える、現実界での「型」の行為を通じて
この神業名の本当の意味を掴みました。
渦を巻く困難の後、必ず世界は新しい門の扉を開けるのです。

生かして頂いて ありがとう御座位ます

人類の 5% 運動を広めたいです。
  

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コメント (304)
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