伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

誰が呼ぶ悪人と

2009-01-24 08:50:51 | Weblog

親鸞さんは「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」と言い
ました。
つまり善人は、よりいっそう成仏できます。だから、悪人は言
うまでもなく絶対的に120%確実に成仏できます。
と言い切りました。
これを当時聞いた人々の中には悪事を働いて、これは天国へ
行く為だと嘘ぶいたと言います。
これが社会問題になると親鸞さんは、
「良い薬があるからと、毒をわざと飲んでは生けない」と言い
ました。

私が感じる親鸞さんの真意は、「認識と自覚」です。
自分の事を悪人だと「自覚」できる人は素晴らしい人です。
もう既にそこには、反省と懺悔が有ります。
同じ様な悪事でも、Aさんは「悪い事」だと思うが、Bさんは
それを「普通の事」だと思う。
世の中には、大小含めてこんな事が沢山あります。
町内のゴミ問題1つでも、人により罪の自覚すら無く、何が
悪いのかさえも気が付けない人はいます。
親鸞さんが意味した悪人は、自分自身で悪人だと自覚する
悪人であり、他人から指を指される悪人では無いのです。
自分自身で自分を悪人とするのか、他人からされるのか、
天地の開きがあります。

この現実界は、何が正しい事なのかを知る事が大変に難しい
次元です。釈尊も「正しく物事を捉える」ことの難しさと、その
重要性を説いています。これを誤ると、知らない内に罪を犯し
て悪因を作ってしまい、来世にも影響すると示唆しました。
では、どうしたら良いのか?
感謝の先祖供養と神霊へ感謝する気持ちを維持し、自分に
巻き付くマイナスの磁気を軽減させる中で、自分の心の
「良心」に従って生きて行けば良いのです。
罪を犯したと自覚するならば、それを上回る善を成せば良い
だけの事です。
他人に喜ばれる事を、家族をも含めて実行して行ければ
最高です。 この旅の道中で、見えない存在をも癒して行ける
ならば、より最高です。

生かして頂いて ありがとう御座位ます

人類の 5% 運動を広めたいです。
     

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悪人正機(あくにんしょうき)は、
浄土真宗の教義の中で重要な意味を持つ用語で、「悪人こそが阿弥陀仏本願による救済の主正の根機である」という意味。つまり、阿弥陀仏が救済したい対象は、生きとし生けるすべての衆生であり、他の仏には見放されてしまった悪人」こそ、救済の対象である。
ここでいう「善人」「悪人」をどのように解釈するのかが、もっとも大切な部分である。もちろん法的な善悪を問うているのではなく、また一般的・常識的な善悪でもなく、仏の視点から見た悪人である。
阿弥陀仏の
大悲に照らされた時(真実に目覚めた時)に、自らが何ものにも救われようがない「悪人」であると気付かされる。その時に初めて解る「悪人」である。末法に生きる我々凡夫は、「善悪」の判断すらできない、根源的な「悪人」とも言える。 また、自分は「善人」だと思い(こみ)、その事に気付かされる事すら出来ないのも、実は「悪人」である。
凡夫は、「因」がもたらされ、「縁」によっては、思わぬ「果」を生む。つまり、善と思い行った事(因)が、縁によっては、善をもたらす事もあれば、悪をももたらす事(果)がある。どのような「果」を生むか、解らないのも「悪人」である。  (Wikipediaより)

コメント (233)
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