伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

経験に拘らない

2009-01-28 09:37:50 | Weblog
私の母親の知り合いだったAさんが経験した話です。
今から30年以上も昔の事です。
Aさんは当時50歳代の女性で母親と二人暮らしでした。
母親が病気に成り、遠方の山の上に在る専門病院に入院す
ることになりました。 Aさんは働いている為に、週に1度の
ペースで車を運転し病院へ見舞いに行かれていました。
坂道がぐるぐると続く道路を慎重に運転して病院へ行くので
した。日曜日の昼から出掛け、帰りは病院を出るのが夜9時
過ぎだったそうです。
母親の病室は、6床ほどの相部屋でした。
母親の隣のベットには、高齢の女性が居られました。
その女性は何時も「家に帰りたい」とAさんの顔を見る度に
言っていたそうです。
ある見舞いの日、Aさんが帰ろうと仕度を始めると、その日に
限って隣の老女が「家に連れて行って」と何度も懇願したそう
です。入院中の老女を連れ出す事など出来る訳が無いので
病気が治ったらねと約束をして病院を出ました。
夜9時を過ぎた暗闇の下り坂を慎重にAさんは運転していま
した。ふとミラーを見ると、先ほどの老女が後ろの座席に座っ
ているのが映りました。坂道を下りる途中だったので、後ろを
振り返る事が出来ずにミラー越しに会話をしたそうです。
Aさんは内心、何時の間に車に乗り込んだのかしらと思いな
がら路肩に車を止め、後ろを振り返ると老女は消えていまし
た。驚いたAさんが病院に折り返して戻ると、老女は先ほど
亡くなっていました。
霊を全く信じていなかったAさんは、大変なショックを受けて
しまい、その後は仕事も辞めて精神科に入院してしまいま
した。

この御話しの意味は、
*この様な不可思議な事は、普通に「有る」と言う事。
霊を見る。写真に映る。変な夢を見た。声が聞こえた・・・。
これらは普通に「有る」ことです。
私達の生活の一場面の様に、「現れて」過ぎ去って行く事
です。 深い意味などありません。
どうのこうのと深く考える必要は全く無い事です。
私が日常に観ている事を書いたら、日に1冊の本ぐらいは
普通に出来ます。でも、そんな物には価値がありません。
私達が活動する様に、見えない存在も普通に活動します。
全ては流れの途中の一場面に過ぎません。

*人間の思いは、想像以上に強く作用すると言う事。
私達は思った事がリアルに物質化しない為に、自分の思考
など価値の無い非力な物だと考えてしまいます。
だから何でも思い悩んでしまいます。実際は非力どころか
大きな影響を及ぼしています。
感謝の先祖供養も、自分では感触が分からない中でも
を思い遣り、貴重な1日の中で時間を割いて実行する。
等価交換の様に結果が分かる事を実行しても霊的世界での
価値は小さいです。
届くかどうか分からない中で、先祖への思い遣りだけを頼り
に実践できるからこそ価値が有るのです。

生かして頂いて ありがとう御座位ます

人類の 5% 運動を広めたいです。
     

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コメント (249)
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