三菱ジープ互助会

全国の三菱ジーパーとの連携の輪を拡大しよう。
≪設立の趣旨≫
①修理情報の共有
②J3等車両研究
③部品調達他

得意の寄り道です。J3RDには専用のカタログは存在したのでしょうか?その①

2019-04-24 21:51:42 | 日記
石川先生の書籍でもJC3とJ3RDは並行生産されたという有名な表があります。また、非売品書籍の三菱ジープのあゆみにも両車両は平行して存在していた旨の横長の年表があります。これは、左ハンドルのJ3と右ハンドルのJ3Rも同様です。しかしながら、当時も気真面目であった三菱自動車の前身である新三菱重工業(株)が、昭和36年(1961年)頃に通商産業省から出された右ハンドル化の通達に反して、左ハンドルジープを本当に継続生産したのかについては疑問が残ります。右ハンドルのJ3RDは、細々でも生産されていたようです。平戸人さんのJ3RDは、新打刻方式に切り替えられた昭和42年(1967年)6月29日以降の生産車両です。そのことは、車台番号が50000番台であることから明らかです。一方、JH4ガソリンの方では、副代表のJ3RもピーマンさんのJ3Rも、千葉のくまさんのJ3Rも50000番台であり継続生産されていたことを証明しています。

 《ジープ車台番号打刻方式変更内容》
 


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1940s WILLYS JEEP PROMOTIONAL FILM -- THE JEEP FAMILY OF 4 WHEEL DRIVE VEHICLES 76174

2019-04-24 20:58:15 | 日記
1940s WILLYS JEEP PROMOTIONAL FILM -- THE JEEP FAMILY OF 4 WHEEL DRIVE VEHICLES 76174


ほぼ1年ぶりになりますが、また使用許可を頂きましたので公開致します。1940年頃のウイリスジープのプロモーションフィルムです。実に分かりやすい説明だと思います。

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得意の寄り道です。J3RDには専用のカタログは存在したのでしょうか?

2019-04-23 21:39:09 | 日記
長崎の平戸人さんのJ3RDの画像を見ていてふとそんなことを考えていました。JC3の右ハンドル仕様。もととなったJC3(民間用ディーゼル車)の生産台数は、私の知り得る限りの情報では生涯で321台。生産された期間は、1958年(昭和33年)から1961年(昭和36年)までの4年弱。その後継車がJ3RD。JH4をベースとして製作されたKE31ディーゼルエンジンを搭載していましたが、J3RDも生産台数は少なかったようです。しかしながら、一方ではJC3は、1958年(昭和33年)6月から1970年(昭和45年)7月まで12年間弱販売されたという説もあります。JC3もJ3RDも残された情報がとても少ないです。JC3についてもカタログがあったのかなかったのかすら釈然としません。CJ3A-J1,J2では、溺れる事態に至らずでしたが今度は溺れる可能性大です。

 《平戸人さんのJ3RD》
 
 

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立ち入ってはいけない世界に足を突っ込んでしまいそうです。溺れる前に安全なところに避難します。その⑦

2019-04-21 20:48:14 | 日記
CJ3A-J1,J2について過去6回触れてきましたが、最後は国産化ジープJ3のくだりは避けて通れません。これまで同様に例の4x4マガジンの特別編から一部を抜粋したいと思います。

《J3の開発設計》
 J3の開発設計は1953年(昭和28年)4月から1955年(昭和30年)9月までの2年5ヶ月で、アメリカに派遣された課長たちが帰国した1954年5月から数えて1年4ヶ月を要している。生産は1953年(昭和28年)7月から1960年(昭和35年)7月までの7年間にわたった。

《J3を基にJ4を生産》
 J3を軍用化したものがJ4であるが、両車の違いは、全長で60㎜、全幅で60㎜、全高で49㎜とJ3が大きめであること、車重は165キロもJ4が重いことがあげられる。他に、馬力は6馬力J3が大きい。更にJ3は6V電装、J4は12Vである。J3の総生産台数はノックダウンの分を含めて5757台、J4は8655台となっている。

《J3は日本の自動車工業史の中で記念碑的な位置にある》
 初期のJ3のフロントグリルはWILLYSのレリーフだけで、スリーダイヤの三菱マークはなかった。フードの側面も同様だが、これは浮き出し鉄板の溶着だった。J3が国産化された最初のジープとはいっても、これまでの記述でおわかりのように、完成車を参考にしながらのノックダウン生産から始まり、1954年(昭和29年)5月以降の国産化着手後徐々に部品の国産化が図られていったのである。要するにJ3は単にジープの一車種であるというだけではない。ジープ国産の過程が凝縮された形で、その生産史の中に織り込まれているのである。完成車を1台輸入し、ノックダウン生産をし、部品を徐々に国産化し、最終的に国産車として」生産されるという、非常に複雑な過程がい車種の中で行われたのである。その意味でJ3は我が国自動車工業史の中でも記念碑的位置にある車種であるといって過言ではない。

これで一連の記載は終わりに致します。石川先生の残された偉業に心から感謝致します。1年に1回は、当地日野市から近いのでお墓参りに出かけています。なかなか分かりにくい場所にあるお墓ですが、先祖代々の歴史を感じる立派なお墓です。この連休中に行こうと思います。

 

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CJ3B-J11 岩上コレクションから

2019-04-20 22:09:17 | 日記
CJ3B-J11 岩上コレクション


 このカタログは、おそらくJ11の良さを理解しやすくするために後で作られたものと推測しております。

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