愛媛県宇和島市からの良いたより♪

私のブログでは次の内容を紹介致します。
1.「神の王国の良いたより」、聖書教育
2.花々、風景写真
3.俳句、他

自己中心でごう慢な人の多い社会の中で、謙遜な生き方が重要なのはなぜですか?

2017-11-30 23:08:16 | 神の言葉・聖書

 使徒パウロはフィリピのクリスチャンたちに次のように、何事も「他の人が自分より上であると考え」、謙遜になり、他の人の益を図るように勧めました。

 何事も闘争心や自己本位の気持ちからするのではなく、むしろ、他の人が自分より上であると考えてへりくだった思いを持ち自分の益を図って自分のことだけに目を留めず、人の益を図って他の人の事にも目を留めなさい」(フィリピ2:3,4)。

 上の聖句に記されている通り、何事も、「何事も他の人が自分より上であると考えて」謙遜になり、人の益を図り、人の益を心に留めるように勧めています。何度も紹介致しましたが、現在の社会は「終わりの日との対処しにくい危機の時代」に生活していますので、自己中心、金銭第一、ごう慢な者、善良さを愛さず、誇りのために思い上がる者が多い世の中となっています(テモテ第二3:1~5)。こうした世の中に生活していると、謙遜な生き方は勇気が求められます。神エホバは私たちに勇気を出し、強くあるように求めておられます(ヨシュア1:5~9)。

 パウロは上の聖句を述べた後で、イエス・キリストの精神態度を見倣い、その生き方を保つように、私たちに促しています。イエスが手本として示された、神エホバの子供でありながら、地上に遣わされている間、自分を無にし、謙遜に人々に仕え、死に至るまで神エホバに従順であったその精神態度にを見倣い、生き方に保つように勧めました(ペテロ第一2:21.フイリピ2:5~8)。イエスは不完全な人間の益を優先し、謙遜でした。それは、私たちが労苦を背負おう生き方から、心地よく爽やかな生き方に転じるためのイエスの優しい愛情と同情心の表われでした(マタイ11:28~30)。イエスの生き方の手本から謙遜という特質は神エホバへの従順という生き方と深く関係し、そのことが他の人を益する生き方を示すことができるようになることを教えています。

 そのため、聖書の箴言(しんげん)は、「謙遜とエホバへの(健全な)恐れからもたらされる結果は、富と栄光と命である」と教えています(箴言22:4)。私たちの謙遜という特質と神エホバへの健全な恐れを抱いた従順という特質は、他の人から喜ばれるだけではなく、神エホバからの祝福に欠かせない特質なのです。

 また、パウロは上の聖句を述べる前に、「優しい愛情と同情心が少しでもあるなら、あなた方が(わたしパウロと)同じ思いを持ち、同じ愛を抱いているのだという点で、わたしの喜びを満たしてください。・・・」と記しています(フィリピ2:1,2)。何事においても他の人が上である、という謙遜な特質を培うなら、他の人の益を図り、優しい愛情や同情心を培い、他の人を築き上げる言葉を話すことができるでしょう(コリント第一8:1.エフェソス4:29)。あなたも、謙遜という特質を培い、生活に適用されている方のお一人であれば幸いです。

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        美しや 銀杏黄葉 仰ぎ見る 今日の一句

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クチナシの実と初冬の淡い橙色のバラ

2017-11-29 23:46:16 | 四季折々の花々

 私の子供の頃は、クチナシの実はとても重宝しました。

 工作が好きだった私は、木工製品の艶出しに、クチナシの実を

 擦りつけると、とても自然な光沢が出るので、

 貴重な自然の艶出しの実でした。

 現在の人たちはクチナシの実のそのような使い方を

 知らないかも知れません。

 今日はクチナシの実と初冬の淡い橙色のバラを紹介致します。

    

                                              近くの生垣の「クチナシの実」

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イエス・キリストに大群衆が従っていたのはなぜですか?

2017-11-29 22:11:05 | 神の言葉・聖書

 イエス・キリストはヨルダン川でバプテストのヨハネから水のバプテスマを受けたあと、エホバ神から「これ(イエス)はわたしの子、わたしの愛する者である。この者をわたしは是認した」と天からの声がありました(マタイ3:1~17)。イエスは水のバプテスマを受けた後、み父エホバ神のご意志である神の王国の良いたよりの真理を都市から都市、村から村、諸会堂、民の中で証しされました(ルカ4:43;8:1.マタイ4:23)。そうしたイエスの神の王国の良いたよりの伝道の業には大群衆が従っていたことが記されています。それはなぜでしょうか?マタイの福音書に次のように記されています。

「それから(弟子に漁師のペテロを招いた後)イエスはガリラヤの全土をあまねく巡り、諸会堂で教え、(神の)王国の良いたよりを宣べ伝え、民の中のあらゆる疾患、あらゆる病を治された。すると、彼(イエス)の評判はシリアじゅうに伝わり、人々は、具合の悪い者すべて、さまざまな疾患や苦痛に悩む者、悪霊に取りつかれたり、てんかんであったり、まひしたりしている物を彼(イエス)のところに連れて来た。それでイエスはその人々を治された。その結果、大群衆が、ガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダから、またヨルダンの向こう側から来て、彼(イエス)のあとに従った」(マタイ4:23~25)。

 上の聖句に記されている通り、イエスは神の王国の良いたよりに真理を証しながら、民の中のあらゆる疾患、あらゆる病を治していましたそのため、イエスのあとには大群衆が従っていたことが記されています。大群衆はマタイの福音書の記録から、男性と女性と子供たちを合わせると、1万人以上から1万数千人の人数だったのです(マタイ14:21)。なぜ、これほどの大群衆がイエスのあとに従っていたのでしょうか。大群衆がイエスの証しされる神の王国の良いたよりに信仰を働かし、真理を聴くためにあと従っていたのではないようです。大群衆の大半は、イエスが瞬時に、あらゆる疾患、あらゆる病の人たちを治す、その奇跡的な業を好奇心に駆られて見るためだったようです。なぜなら、好奇心は、私たちだれにも備わっている特有の感情であり、多くの知識を学ぶ面でプラスに作用します。イエスは神エホバの憐れみの特質を反映し、大群衆を哀れに思い、神の王国の良いたよりを証しする業と並行し、あらゆる病の人たちを癒されたのです(マタイ14:14)。

 イエスは目の前の病気や疾患で苦しむ人たちを、後回しにすることはありませんでした。愛は辛抱強く、親切であり、善良であることを人々に手本として示されました(コリント第一13:4.ガラテア5:22.ペテロ第一2:21)。イエスは好奇心でご自分のあとに従った人たちを、決して忙しさのためにご自分を優先し、困っている人を退けることはありませんでした。こうしたイエスの精神態度に私たちは見倣う必要があります(フィリピ2:5)。マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの福音書に記されたイエスの足跡を読まれるなら、あなたも、神の王国の良いたよりの希望に堅く立つことができるでしょう。
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         湯豆腐の ふつふつと煮え ゆずしぼる 今日の一句


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初冬のイチゴミルクと初冬の黄色のバラ

2017-11-28 23:20:36 | 四季折々の花々

 庭のイチゴミルクは長い期間にわたって、可愛い花を咲かせます。

 この花は、必ず並んで咲き、愛の絆を教えている感じがします。

 開花時期によって、白の部分がミルクを流したように花びら

 一面に広がり、赤の部分がほんの少し花弁の先端に残っている時があります。

 今日は初冬のイチゴミルクと初冬の黄色のバラを紹介致します。

                                                    庭に咲いている「イチゴミルク」

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預言者エレミヤの言葉通りに、偽預言者ハナニヤが死んだのはなぜですか?

2017-11-28 20:55:15 | 神の言葉・聖書

 西暦前580年に書き終えられた聖書のエレミヤ書には、預言者エレミヤの言葉通り、偽預言者ハナニヤが死んだことが次の通り記されています。なぜ偽預言者ハナニヤは死に処せられたのでしょうか。

 ハナニアは預言者と偽って、エホバの家・神殿で、「祭司たちとすべての民の目の前で」エレミヤに次のようにエホバの言葉として預言しました。その内容は、エホバ神がバビロンの王ネブカドネザルのくびきを砕き、エルサレムからバビロンに奪って行った宝物や器具を丸2年以内にエルサレムに持ち返る、という内容に加え、同時にバビロンに流刑にされたユダのすべての流刑者をエルサレムに連れ戻す、とエホバがお告げになった(エレミヤ28:1~4)、と、告げたのです。このハナニヤの預言の言葉はエホバ神の言葉ではありませんでした。

 そのため、「エホバの言葉がエレミヤに臨み」、「行って、あなた(エレミヤ)はハナ二ヤに言わねばならない、「エホバはこのように言われた。・・・そして、預言者エレミヤは続けて(偽)預言者ハナ二ヤに言った「ハナ二ヤよ、どうか聴いてください!エホバはあなたを遣わされませんでしたそれなのに、あなたはこの民に偽りに頼らせたのです。それゆえ、エホバはこのように言われた。「見よ、わたし(エホバ)はあなた(ハナ二ヤ)を地の表から追い払う。あなた(ハナ二ヤ)は、今年必ず死ぬ。あなたはエホバに対してあからさまな反逆を語ったからである。」」。

 こうして、(偽)預言者ハナ二ヤは、その年の第七の月に死んだ(エレミヤ28:12~17)。

 上の聖句に記されている通り、神エホバが預言者エレミヤを通して、偽預言者ハナ二ヤに伝えたとおり、その年に死に処せられました。その理由は、せん越にも、エホバの家・神殿で、「万軍のエホバがこのように言われた」と言って、偽りを預言し、丸2年以内に、バビロンに流刑になっている民を連れ戻し、エホバの器物、宝物を持ち返る、と告げ、エホバの民に「偽りに頼らせた」のです(エレミヤ28:2~4、15)。ハナ二ヤは、神エホバの言葉でもない自分の言葉を語り、「エホバに対してあからさまな反逆を語った」ので、死に処せられました(エレミヤ28:16)。神エホバは故意の偽りや偽証憎まれます(箴言6:17、19)。私たちはこのことを銘記し、不義を歓ばないで、真実な事とと共に歓び合うことが必要なのです(コリント第一13:6)。

 エホバ神が預言者エレミヤを通して予告された通り、ご自分の民がバビロンの流刑から解放されるのは70年が満ちてからでした(エレミヤ29:10)。  

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        吊るし柿 吊るす家あり 伝道す 今日の一句 

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