愛媛県宇和島市からの良いたより♪

私のブログでは次の内容を紹介致します。
1.「神の王国の良いたより」、聖書教育
2.花々、風景写真
3.俳句、他

4歳頃から7歳頃までの記憶♪

2024-04-30 23:02:18 | 思い出

 第二次世界大戦も終わり次第に落ち着きを取り戻し

平穏な日々が続くようになりました。しかし、食糧難が続くようになり、当時中年のおばさんは大風呂敷に反物を入れて背中に担ぎ、家から家を訪問販売をされていました。また自転車にトロ箱を積み、魚を売りに来られるおばさんもいました。そうした訪問販売人が来られると祖母や両親は家に招き入れ、食事をさせて親切にする姿を思い起こします。祖母や両親は、早くから家は柿やみかんを栽培しており、収穫にいくと、「振り返ってみてはならない。取り残しは恵まれないひとたちのものだから・・・」と、教えられたものです。稲も「仮の残し」を振り返らないように、教えられました。

 また、祖母は畳裏の「こも編み」を畳屋さんに依頼され、「こも編み」が日課で、私はそのお手伝いもしていました。するとご褒美に飴玉をいただくのが、うれしかったものです。

 また、南西向きの大きな段々畑がありそこでさつま芋栽培をし、澱粉工場に出荷していました。当時家には大きな壺に「芋飴」があり、その飴を箸に丸めて食べていた姿も思い起こします。

 当時楽しみだったのは、「にし野の禿げの峠を歩いて超え」て、隣町の母の実家の春の祭りや秋の祭りに連れて行ってもらえることでした。母のご両親はとても優しい人で、いつもたくさんのご馳走を作ってくださり、そのご馳走を食べるのが楽しみでした。帰る時には3段重箱にご馳走を一杯入れてくださり、持ち帰って家で食べるのも楽しみでした。

 幸いにも私は食料難を知る機会はありませんでした。しかし、4歳を過ぎると親の手伝いで農作業に進んで行っていたのも思い起こします。薩摩芋や里芋堀や、みかんや柿の収穫、稲刈りは腰が痛かったのですが楽しい思い出になりました。

 皆様方は、幼いころの思い出は如何でしょうか。

 

          近くの畑の「ネギ坊主」

 

         

 

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アムノンは若い従者に、「この女(タマル)を外に出し、鍵を掛けておけ」と指示した!

2024-04-30 22:57:42 | 神の言葉・聖書

 聖書には、アムノンは病気を装い、美しいタマルを家に呼び、お菓子作りをさせ、力ずくで彼女を犯し辱しめたことが記されていました。引き続き聖書はアムノンについて次のように記録しています。

アムノンは若い従者を呼んで言った。「この女(タマル)をここから外に出し、鍵を掛けておけ」。(タマルは特別な長い服を着ていた。それは、処女である王の娘たちが着る服だった。)従者は彼女(タマル)を外に連れ出し、鍵を掛けた。タマルは頭に灰をかぶり(頭に灰をかぶる行為は身を清めの行為)、着ていた上等の長い服を引き裂いた。手を頭に置いて歩き、泣きながら去っていった。」(サムエル第二13:17~19)。

 アムノンはタマルを犯し、家から外に追い出し、鍵を掛けさせましたタマルは頭に灰をかぶり、汚された身を清めていますタマルは、上等の長い服を引き裂き、泣きながら去って行きました。身を汚されたタマルの悔しい思いが伝わって来ます。

 このことを知った兄のアブサロムやダビデ王はどうするでしょうか。次回に引き続き紹介致します。

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     体調を 崩して休む 春の午後 今日の一句

 

          お隣の庭の「芍薬の花」

 

 

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庭に咲いている紫カタバミの花と黄色のカタバミの花♪

2024-04-30 01:15:20 | 四季折々の花々

 我が家の庭では紫カタバミの花が奇麗に咲いています。

特別、手入れをしませんが、とても元気な花で毎年咲きます。

若葉と花は食用になるそうですが、食べたことはありません。

山野草図鑑では花期は6月~9月と紹介されていますが

我が家では写真のように咲いています。

原産地は南アメリカ原産で、日本には江戸時代に観賞用として輸入されたようです。現在では野原や空き地、畑地や庭に広く分散し野生化しています。

1.庭に咲いている紫カタバミの花

 

 

 

 

 

2.庭に咲いている黄色のカタバミの花

 

 

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4歳の時(昭和21年)の南海大地震の記憶!

2024-04-30 00:20:04 | 地震対策

 昭和21年の私が4歳の時に生じた南海地震の記憶が

鮮明に残っています。

 とても大きな地震で、地震が発生すると父が私を抱きかかえ

踏み段から土間に下りようとしましたが、揺れが激しく

父が土間になかなか下りることができなかったのを記憶しています。

揺れが収まり、玄関の引き戸を開き、父は私をたき抱えたまま

庭に出ましたら、屋根瓦が多数落ちて割れていたのも覚えています。

 後に祖母や両親から聞いた話では、我が家は集落の高台に

あったのですが、津波が我が家の下の地域から奧高串まで来た、と

言っていて、津波の用心も肝心と言っていたのを思い起こします。

 最近こちらではM6.6の大地震があり、津波こそ来ませんでしたが

あちこちで被害が生じています。我が家も棟瓦の修理が必要ですが、

業者の方の手が不足しているようで、いつ修理をして頂けるか

めどが立ちません。

余震も多発しております。地震はいきなり来ますのでとても怖い災害です。

 能登地方の大地震では4ヵ月が経とうとしていますが、復興の遅れが生じています。復興支援と地震の多発する日本の地震対策が急務です。

 時と予見しえぬことは、誰にも生じますので、個人としても備えをしておきたいものです。

 

           近くの石垣の芝桜

 

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アムノンは美しいタマルを、力づくで犯し、辱めた後、「出ていけ!」と怒鳴った!

2024-04-30 00:00:37 | 神の言葉・聖書

 聖書には、アムノンが病気のふりをし、ダビデ王が見舞いに来ると、美しいタマルを食事の用意に遣わしてくださるように頼んだ結果、ダビデ王は人を遣わしタマルがアムノンの食事の用意をするためにアムノンの家に訪れたことが記されていました。さてアムノンの悪い企みはどのような結果を招くでしょうか。聖書は次のように記録しています。

アムノンはタマルに言った。「食事を寝室で食べられるよう持ってきてくれないか」。タマルは作った菓子を寝室にいる兄アムノンの所に持っていった。すると、アムノンはタマルをつかまえて言った。「妹よ、さあ、私と寝ておくれ」。彼女(タマル)は言った。「いけません、お兄さま!私を辱めないでください。イスラエルではそのようなことをしてはならないのです。そんなひどいことをしないでさい。(性的な)辱しめを受けたら私は耐えられません。お兄さまもイスラエルで恥をかくことになってしまいます。ですから、どうか(ダビデ)王に話してください。王はきっと私をお兄様に(正式な妻として)与えてくださるでしょう」。それでもアムノンは聞き入れず、力ずくで彼女(タマル)を犯し、辱めたするとアムノンはタマルを憎み始めた。非常に強い憎しみだった彼女に対する憎しみが、彼女に抱いていた愛よりも大きくなり、「起きて、出ていけ!」と言った。タマルは言った。「嫌です、お兄さま。私を追い出すなんて、すでに私にしたことよりもひどいことです!」。それでもアムノンは聞き入れなかった。」(サムエル第二13:10~16)。

 上の聖句に記されている通り、アムノンは美しいタマルをだまし、力づくで犯したことが記されています。アムノンはタマルに謝罪することもなく、「起きて、出ていけ!」と怒鳴って、憎しみをあらわにしています。タマルは健気にアムノンに抗議し、道理を尽くすように言っていますが、アムノンは聞き入れなかった、ことが記されています。

 さて、アムノンはどうするでしょうか。次回に引き続きお伝え致します。

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    庭に咲く バイカウツギの 香りよし 今日の一句

 

        庭に咲いているバイカウツギの花

    

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