愛媛県宇和島市からの良いたより♪

私のブログでは次の内容を紹介致します。
1.「神の王国の良いたより」、聖書教育
2.花々、風景写真
3.俳句、他

晩秋に咲いているスミレと愛好家のバラの花(その1)♪

2020-11-30 23:47:17 | 四季折々の花々

 スミレの花は春に咲く花として知られています。

花図鑑でも花期は3月~4月と紹介されています。

しかし、我が家の庭では11月下旬から咲いています。

暖かい日が続くのでスミレも季節を間違って咲いたのかも知れません。

殖やし方は種子まき、株分け、葉さし、です。

用途は鉢植え、花壇、盆栽です。

花言葉は「誠実」と紹介されています。

 今日は晩秋に咲いているスミレと愛好家のバラの花(その1)を紹介致します。

 

 

            晩秋の庭に咲いている「スミレ」

 

 

 

        愛好家の鉢植えの「晩秋のバラ(その1)」

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地上に存在した最も偉大な人・イエス・キリスト:イエスの追随者に求められる高い基準♪

2020-11-30 23:22:17 | 神の言葉・聖書

 イエスに敵対する宗教指導者たちは、イエスを神エホバの律法の違反者とみなし、今ではイエス殺害の陰謀を企てるようになりました。ですからイエスは、山上の垂訓の中で、「私が律法や預言者たちを破棄するために来たと考えてはなりません。破棄するためではなく、成就するために来たのです」と、説明されました。

 イエスは神エホバの律法を大いに重んじ、他の人にもそうするように励まされます。実際イエスは、「それゆえ、誰であれ、これら一番小さなおきての一つを破り、また人にそのように教える者は、天の王国に関連して「一番小さい者」呼ばれるでしょう」と、教えられました。これは、そのような人が神の王国に入ることはないという意味です。

 イエスは神エホバの律法を重視し、人が神エホバのリポ王を破りかねないような態度さえ罪に定められました。イエスは、律法が「あなたは殺人をしてはならない」と述べていることに触れた後、「しかし、私はあなた方に言いますが、自分の兄弟に対して憤りを抱き続ける者はみな法廷で言い開きをすることになります」と、語られました。

 仲間の者に対して憤りを抱き続けることは非常に重大な罪であり、殺人に繋がりかねないことなので、イエスは和解することがどれほど大切かを例えで教えられました。「それで、(犠牲の)供え物を祭壇に持って来て、兄弟が自分に対して何か反感を抱いていることをそこで思い出したら、あなたの供え物をそこ、祭壇の前に残しておいて、出かけて行きなさい。まず自分の兄弟と和睦し、それから、戻って来た時に、あなたの供え物を捧げなさい」と、イエスは教えられました。

 イエスはさらにモーセの十戒の七番目のおきてに注意を向け、「「あなたは姦淫を犯してはならない」と言われたのを聞きました」と述べられます。ところが、イエスは姦淫の誘引になるような態度を持続することさえ罪に定め、「私はあなた方に言いますが、女を見つづけてこれに情欲を抱く者は皆、既に心の中でその女と姦淫を犯したのです」と、教えられました。

 イエスはここで、単にふとした不道徳な考えについてではなく、「見つづけること」について語っておられます。必要以上に見つづけるなら、強い欲望が高まり、機会が訪れるなら、ついに姦淫を犯すことになるかも知れないからです。そういうことにならないようにするためにはどうしたら良いでしょうか。イエスは思い切った処置が必要であることを次のような例えで説明されました。「そこで、もしあなたの右の目があなたをつまずかせているなら、それをえぐり出して捨て去りなさい。・・・また、もしあなたの右の手があなたをつまずかせているなら、それを切り離して、捨て去りなさい」

 人々はしばしば、自分の命が救われるのであれば、病気にかかった実際の手足を進んで犠牲にします。しかし、イエスによれば、不道徳な考えや行動を避けるために、いかなるものであれ、目や手のような貴重なものでさえ、「捨て去る」のは、もっと重要なことでした。イエスの説明によると、そうしない人はゲヘナ(エルサレムの近くの燃え続けるゴミの山)に投げ込まれます。それはとこしえの滅びを象徴していました。

 イエスは、危害を加え怒りを引き起こす人に対処する方法も教えられました。「邪悪な者に手向かってはなりません」と、いうのがイエスの優れた助言です。「だれでもあなたの右のほほを平手打ちする者には、他のほほも向けなさい」と、イエスは助言されますが、これは、誰かに暴力を振るわれた時に、自分や家族を守ってはならない、と言っておられるのではありません。平手打ちは普通、身体を損ねるというよりは、侮辱するために加えられます。ですから、イエスが教えておられるのは、誰かが争いや議論を引き起こそうとして、実際に平手打ちをしたり、侮辱的な言葉で相手を刺激するようなことがあってはならない、ということです。

 イエスは、隣人を自分自身のように愛するように、という神エホバの律法に注意を向けた後、「しかし、私はあなた方に言いますが、あなた方の敵を愛し続け、あなた方を迫害している者のために祈りつずけなさい」と、教えられました。イエスはこのことを行う強力な理由があることを次のように教えられました。「それは、あなた方が天におられるあなた方の父(エホバ)の子であることを示すためです。父(エホバ)は邪悪な者の上にも善良な者の上にもご自分の太陽を上らせてくださるのです」

 イエスは山上の垂訓のこの部分を、「ですから、あなた方は、あなた方の天の父(エホバ)が完全であられるように完全でなければなりません」という、訓戒で締めくくられました。イエスは、人々が完全無欠という意味で完全になることができると、言っておられるのではありません。むしろ、彼らは、神エホバに見倣い自分たちの愛を敵にまで広げることができる、という意味です。ルカによる並行記述は、「あなた方の父(エホバ)が憐れみ深いように、あなた方も常に憐れみ深くありなさい」というイエスの言葉を伝えています(マタイ、ルカの福音書参照)。

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     晩秋の イチゴミルクの 睦まじき 今日の一句

 

        近くの道辺の畑に咲いている「イチゴミルク」

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鮮やかなダリアの花と第2回宇和島美術協会展の作品(その3)♪

2020-11-30 00:47:17 | 四季折々の花々

 近くの道辺の畑に夏の赤のダリアが鮮やかに咲いています。

夕方に通っても鮮やかな大形のダリアの花びらが目を引きます。

花期は花図鑑では7月~10月と紹介されていますが、写真の通り今も咲いています。

殖やし方は種子まき、分球、さし芽です。

用途は切り花、花壇、鉢植えです。

花言葉は「豊かな愛情」と紹介されています。

 今日は鮮やかなダリアの花と第2回宇和島美術協会展の作品(その3)を紹介致します。

 

 

 

       近くの道辺の畑に咲いている「鮮やかなダリア」

           - 日没前の写真です -

 

 

 

 

 

 

   

 

          第2回宇和島美術協会展の作品(その3)

  

 

 

 

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地上に存在した最も偉大な人・イエス・キリスト:イエスの最も有名な山上の垂訓(その2)、幸福な人はとはどんな人♪

2020-11-30 00:04:58 | 神の言葉・聖書

 あなたも、人生において幸福な人とはどんな人かについて、説明できる人のお一人であれば幸いです。

 人は普通だれでも幸福に生きたいと願っています。イエスはそのことをよくご存知なので、本当に幸福な人とはどんな人かについて、山上の垂訓をお始めになりました。私たちも想像できるように、これは直ぐに大群衆の注意を引き付けました。イエスの最初の言葉は、多くの人にとって矛盾しているように思えるかも知れません。

 イエスは、弟子たちに言葉をかけるようににして話しを始められます。貧しいあなたたちは幸福です。神の王国はあなたたちのものだからです。いま飢えているあなたたちは幸福です。満たされるからです。いま泣き悲しむあなたたちは幸福です。笑うようになるからです。いつでも人々があなたたちを憎むとき、また人の子(イエス)のために人々があなたたちを締め出し、非難し、汚名を着せるとき、あなたたちは幸福です。その日には喜び、躍り上がりなさい。天での報いは大きいからです。・・・」

 この言葉は、ルカが記したイエスの山上の垂訓の序論です。しかし、マタイの山上の垂訓の記録によると、イエスは、神の導きの必要を自覚している人たち、嘆き悲しむ人たち、温和な人たち、正しいことを切望している人たち、憐れみ深い人たち、心の純粋な人たち、平和をつくる人たちは幸福である、と教えられました。それらの人たちが幸福なのは、彼らが神の王国を受け継ぎ、慰められ、地球を与えられ、満たされ、憐れみを受け、神を見、神の子と呼ばれるからであると、幸福な人の根拠を説明されました。

 お分かりのように、イエスが幸福な人たちと言われるのは、楽しく過ごしている時のように、単に陽気で愉快であるという意味ではありません。真の幸福はもっと深いもので、それには満ち足りた気持ち、すなわち人生における満足感や達成感が含まれます。ですから、イエスが教えておられる本当の幸福な人とは、自らの霊的な必要を自覚し、自分が不完全で罪深い状態にあるのを悲しみ、そして神エホバを知り、神に仕えるようになる人々のことです。そのような人たちは、例え、神エホバのご意志を行うために憎まれ、また迫害されても、彼らは幸福なのです。幸福な人たちは神エホバを喜ばせており、神の王国で永遠の命の報いを受けることを理解しているのです。

 しかし、イエスの山上の垂訓を聞いている人の多くは、ちょうど今日のある人たちのように、繁栄や快楽こそが、人を幸福にするものであると信じています。しかし、イエスはそうではないことをご存じなので、聴衆の多くが驚くに違いない次のような対照的な話しをされました。「しかし、裕福なあなたたちには災いがあります。慰めを全て得ているからです。いま満たされているあなたたちには災いがあります。いま笑っているあなたたちには災いがあります。嘆いて泣くようになるからです。全ての人があなたたちのことを良く言うとき、あなたたちには災いがあります彼らの父祖たちも預言者たちにそのようにしたのです」。

 イエスの教えの意味は何でしょうか。富を得ることやおもしろおかしく快楽を追い求めること、また人からの称賛を楽しむことなどがなぜ災いになるのでしょうか。それは、そうしたものを生活の中で第一にするなら、真の幸福をもたらす唯一のものである神エホバへの奉仕が日常生活の中から締め出されるからです。またイエスは、単なる貧しさ、飢え、嘆き悲しんでいる状態が人を幸福にする、と教えられたのでもありません。なぜなら、そのような恵まれない人たちは、イエスの教えに反応することが多いので真の幸福に恵まれる機会が生じます。

 続いてイエスは弟子たちに、「あなた方は地の塩です」と教えられました。塩には腐敗を防ぐ力があります。エホバの神殿の祭壇の近くには、大量の塩が置いてあり、職務を行う祭司はその塩を用いて捧げ物に塩をしました。イエスの弟子たちは、霊的な腐敗を防ぐ影響力を人々に及ぼすので、「地の塩」なのです。実際、彼らが携えるイエスに指示された音信は、その福音に応じる人たち全ての命を保護するものとなります。それらの人々の生き方に忠節や忠実といった永遠の特質を持たせ、彼らのうちに霊的また道徳的な腐敗が少しも生じないように予防するのです。

 さらに、イエスは、「あなた方は世の光です」と、言われました。ともしびはかごの下ではなく、燭台の上に置かれます。それで、イエスは、「同じように、あなた方の光(福音)を人々の前に輝かせなさい」と、指示されました。イエスの弟子たちは、公に神の王国の良い便りを宣明することによって、光を輝かせて来ました。今日、このイエスの教えを守りう行っているのは、エホバの証人のクリスチャンたちです。

              WWW.JW.ORG

     丁寧に 媛マドンナ 包まれし 今日の一句

 

         道の駅で売られている「媛マドンナ」

 

 

 

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まだ咲いている紅白の白粉花と第2回宇和島美術協会展の作品(その2)♪

2020-11-28 23:45:00 | 四季折々の花々

 暖かい日が続くので近くの柿畑では、まだ白粉花が次々にさいています。

ご年配のご婦人に、白粉花についてお聞きしますと、子供の頃には

白粉花から白粉を取って、顔に塗り遊んだそうです。

最近の子供たちはそのような遊びをしないので、白粉花が咲いていても

目にとめることもありません。時代の変化を感じます。

 今日はまだ咲いている紅白の白粉花と第2回宇和島美術協会展の作品(その2)を紹介致します。

 

 

 

        近くの柿畑に「まだ咲いている紅白の白粉花」

 

 

  

 

  

 

         

 

        第2回宇和島美術協会展の作品(その2)

 

 

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