今夜放送されたNHK「その時歴史が動いた」第341回は、「源氏物語」誕生~名作に秘められた奇跡~でしたので見ました。
その時⇒寛弘5(1008)年11月17日
出来事⇒「源氏物語」が一条天皇に献上される
紫式部が藤原宣孝との結婚前に越前国へ移住したことは、スルーされていました。
あらら。
寛弘5(1008)年11月17日は中宮彰子が土御門第から内裏へ還啓した日ではありますが、この日に“初めて”一条天皇の手元に「源氏物語」が献上されたのでしょうか。
「源氏物語」の御冊子作りは中宮彰子自身の内裏に戻る際のお土産品であり、一条天皇に献上することが目的だと思っておりませんでした。
無知で恥ずかしい~~~。
この段階で、「源氏物語」はどこまで成立していたのでしょう??
藤原伊周(これちか)が妹の定子を一条天皇に入内させたかのように説明されていましたが、父である道隆の存在や中関白家<藤原道隆ファミリー>の不運は無視なのですね。
中宮定子と清少納言が宮中を去ったあとであるにも関わらず、清少納言VS紫式部という図で番組が展開されている点が腑に落ちませんでした。
このほうが一般受けするからかもしれませんが。
「源氏物語」の<絵合(えあわせ)>の場面で、“権中納言(冷泉帝の弘徽殿女御の父)”が登場しましたが、この人物が元“頭中将”と同一人物であることを理解されている視聴者がどれほどいらっしゃるのだろうとも思いました。
あまり感想を書くと私の未熟さが余計に露呈してしまいますのでこのへんでやめておきます。(笑)
番組内で誤解を生みそうなことは、番組公式サイト「その時歴史が動いた」のバックナンバーのページ「源氏物語」誕生~名作に秘められた奇跡~で説明(釈明?)されています。
公式サイトで補足説明が必要になってしまう番組作りにこそ問題があるのでは?
ネット環境にない方におかれましては、番組そのものが情報源となるのですから。
今回はかなり辛口となってしまいました。
ごめんあそばせ。
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「源氏物語」の御冊子作りは中宮彰子自身の内裏に戻る際のお土産品であり、一条天皇に献上することが目的だと思っておりませんでした。
無知で恥ずかしい~~~。
この段階で、「源氏物語」はどこまで成立していたのでしょう??
藤原伊周(これちか)が妹の定子を一条天皇に入内させたかのように説明されていましたが、父である道隆の存在や中関白家<藤原道隆ファミリー>の不運は無視なのですね。
中宮定子と清少納言が宮中を去ったあとであるにも関わらず、清少納言VS紫式部という図で番組が展開されている点が腑に落ちませんでした。
このほうが一般受けするからかもしれませんが。
「源氏物語」の<絵合(えあわせ)>の場面で、“権中納言(冷泉帝の弘徽殿女御の父)”が登場しましたが、この人物が元“頭中将”と同一人物であることを理解されている視聴者がどれほどいらっしゃるのだろうとも思いました。
あまり感想を書くと私の未熟さが余計に露呈してしまいますのでこのへんでやめておきます。(笑)
番組内で誤解を生みそうなことは、番組公式サイト「その時歴史が動いた」のバックナンバーのページ「源氏物語」誕生~名作に秘められた奇跡~で説明(釈明?)されています。
公式サイトで補足説明が必要になってしまう番組作りにこそ問題があるのでは?
ネット環境にない方におかれましては、番組そのものが情報源となるのですから。
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