さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

新潟市歴史博物館 みなとぴあ

2017年05月31日 | 山陰・北陸日本海



北前船の時代館から、新潟市歴史博物館へ向かいます。このおうちは途中で見かけた
古い建物。よくぞ残っているよなあ。



新潟市のマンホール。北前船の帆か?と思ったら、万代橋だそうです。。。



さて、みなとぴあへ到着。この建物は、旧新潟税関庁舎だそうです。「税金払えよ」と
目を光らせている役人がいたところ。塔屋が印象的な擬洋風ですね。ナマコ壁もきれい。



こちらは歴史博物館の本館。明治時代の市庁舎のデザインだそうです。というわけで、
古い建物じゃないんだな。



新築だけに、内装はモダン。新潟の農業や漁業、水産などの歴史を紹介しています。
ハコはすごいけど、展示物はいまいちって感じでした。。。



西洋からやってきた外国船。石炭を使った動力の外輪船ですな。



万代橋のいまむかし。私は昨夜、呑み屋に行ったときに渡った新鮮な記憶が。



火事のあとの古町。昨夜通った繁華街です。こりゃひどい。



新潟大地震のときの様子、写真が展示されていました。



こちらは本館の向かいにある、旧第四銀行住吉町支店の建物が移築されたもの。
新潟経済の中心地にあった歴史的建造物です。



こちらはその2階にあった洋室。銀行の頭取が政治家と会ったりしたのかな。



パリやローマにでもありそうな外観の建物なのに、こんな和室もありました。
来客を泊めたのかしら?

1階は高い天井の、銀行業務を行う立派な大部屋。そこの一部が改装されて、立派な
レストランになっていました。ちょうど昼時で腹が減っていたので、どうかと思い
のぞいてみると、立派なお料理=立派なお値段でした。場違いでした…(^益^A


北前船の時代館 旧小澤家住宅

2017年05月29日 | 山陰・北陸日本海



旧伊藤家、旧斎藤家の別邸を見たあとは、30分ほど歩いて旧小澤家の住宅にやって
きました。「北前船の時代館」という名前がついているように、ここは回船問屋で
財を成した商人の豪邸。もう外から見ても、その広さがわかります。



小澤家は江戸時代後期から新潟で活躍していた商家です。最初は米穀商でしたが、
明治に入ってから回船経営に乗り出し、運送・倉庫業、回米問屋、地主経営、
石油商と事業を拡げ、例によって新潟の政財界の要職についたのです。



古いミシンが印象的。



庭もすごい。日本各地から庭園の材料を集めて造られています。



梅の咲く季節でした。



部屋をとりまく廊下。そして一面のガラスがとってもモダン。



通り土間の長さも印象的。柱の上に、くるりと鉄のパイプがあります。ガスを引いて
いて、ガス灯をつけていたのです。



欄間がとってもおしゃれですよね。一流の職人に造らせたのでしょう。



風呂がかわいい。着物を置く畳があるのも贅沢。



その手前にはトイレと流し。これもすごく手がかかっていますね。



さっき見た居間の天井を見ると、おお、洋風の照明とはね~。w(゚益゚)w


新潟 旧斎藤家別邸

2017年05月27日 | 山陰・北陸日本海



いまは北方文化博物館の分館という名称になっておりますが、新潟の豪農、伊藤文吉が
建てた別邸を見たあとで、そのすぐ近くにあるものすごいお屋敷、旧斎藤家別邸を見物
することに。こちらも新潟を代表する大金持ち、財閥の別荘です。



どうやっておくつろぎになったのでしょうね、この広さ。

豪商・斎藤喜十郎さんは、明治から昭和初期にかけて、新潟の三大財閥のひとつに
数えられ、衆議院議員、貴族院議員を務めました。こちらは大正7年に建てた別荘
だそうです。



斎藤家は幕末に清酒問屋から事業を発展させ、明治に入ると北前船に携わる海運業に
取り組み、その利益をもとに土地を広げて金融で大財閥となったのです。私のひとり旅も、
小樽から函館、秋田、新潟を経て富山、そして西日本へと北前船の歴史の跡地を巡り
ましたね~。



見事な蔵がありました。これはもう、蔵というより巨大な金庫という感じです。



庭に出ます。大きな池があり、そこには石橋、中島、滝まである!回遊式庭園なのです。



斎藤さんは、新潟商業銀行、新潟興業貯蓄銀行を設立し、化学工業では新潟硫酸会社を
創業。日本の近代化に大きく貢献したわけです。で、議員にまでなったと。。。



戦時統制で銀行業は衰退、敗戦後には、このお屋敷は連合国軍に接収されて、あちらの
お偉いさんに使われるようになりました。こういうのも古くて立派なお屋敷を全国で
訪れて回り、何度も見てきましたね。



この一面のガラスを通して、素晴らしい庭を眺めるわけです。ガラス張りって、当時は
とっても「モダン」だったんですよね。

財閥・斎藤家は、戦後家業が衰退し、相続税などが払えなくなってきて、急速に消滅
してゆきました。別荘でこんな巨大なんですから、そりゃあ後世は維持するだけで大きな
負担ですよねェ。


北方文化博物館 新潟分館

2017年05月25日 | 山陰・北陸日本海



この日は、朝から一日新潟の街を見物する予定。古い建物でも見ることにする。



「北方文化博物館」の分館に行く途中、こんな写真屋さんの建物を見かける。
今や写真屋は時代遅れになり、絶滅危惧種になりつつありますが、地方都市に行くと
ハイカラな建物が残っていたりしますね。



さてこちらがその博物館。といっても、伊藤文吉という新潟の大地主、豪農の別邸
だったのです。明治時代の建築だそうです。

右側に洋館が見えますね。あれは昭和に入ってから増築されたもので、會津八一という
歌人・美術史家・書家がここを買い取って住んだという建物なのです。



例によって見物客も少なく、とても丁寧に応対して頂けました。やっぱりこういう
所で働いている人たちって、丁寧で上品な人たちが多いですねェ。



八一さんが使っていたという洋館の書斎に入りました。いいねェ。



枯山水の庭が見えます。ヲ金持ちはいいなー。



日本家屋の主屋のほうに。木の廊下が和室を囲んでいます。贅沢な造りです。
お手伝いさんがいないと、掃除も大変でしょうけどね^^;



全面ガラスだから、とても明るい。庭をパノラマビューってかー。



一階には小さな電話コーナー。むかし俺のうちに電話を引いたとき、茶の間の真ん中に
あったもんだから、女の子と話をしているときなんか、家族に囲まれて話をしなければ
なりませんでした。当然みんな耳がダンボ状態だったぞぉ~w(゚益゚)w



ひーろーいー! 狭い部屋にいろんなものがぎっしりの部屋で暮らしているので、
これじゃあ落ち着かない?本棚や机なんぞはどこに置けばいいんだろう?
住めるわけねーから、かんけーないか~^^;



庭に出てみます。奥には座って休むベンチやら、茶室なんかもあります。歩き回れる
庭があるなんて別世界です。



建物を振り返る。家族は主屋で、自分は洋館の書斎なんていいねー。



ほれぼ
れ・・・。ま、大地主&豪農ですから。。。


新潟の居酒屋さん

2017年05月23日 | 山陰・北陸日本海



滞在したホテルは駅前。新潟の繁華街は信濃川の向こう側にあるので、萬代橋を渡って
いかなければなりません。この石造りのアーチは、国の重要文化財になっているんだって。



古町の繁華街に入り、路地を入るとこの通り、夜の街になっております。



おおお。こりゃあスゴイ。このあたりは古い花街なのです。歩いていたら、次々に客を
乗せたタクシーが狭い路地を通ってゆく。ボンビーな風来坊には「どけよ」と言われて
いるような気になる。この豪華木造3階建て、一見さんお断り系の店の前にタクシーが
止まると、立派なナリをした店員が数名出てきて、車を降りた客を迎える。「見るなよ」
と言われているような気になる。あとで調べたら、ここは「鍋茶屋」という老舗の料亭。
建物は有形文化財に登録されており、明治天皇の料理を出したんだってよ。



うはー。こっちも敷居が高いね。ブラブラしてたら、すんごいおべべとお化粧をした
若い芸妓さんとすれ違いました。こういう感じのところのお座敷に行くのかー。



そんな通りを通過して、街はずれの居酒屋へ向かう。目当ての店に、開店時間10分前に
到着し、一服して開くのを待っていると、なんと「本日貸し切り」ときたもんだ!
30分も歩いてきたのに!
w(゚益゚)w

まあよくあることです。。。 次候補は頭の中の地図にぼんやり。このあたりかな、と
彷徨うが、なかなか見つからず、そのうち雪がひどくなってきて散々な目に。3月末
だってのに吹雪かよ!



頭に雪が積もった状態で「こばちゃん」に。居酒屋の明かりは、救いの灯だのう。



まずは熱燗である。たまらん寒さだ。酒にはホタルイカ。これが我が人生で最大の
大きさであった。ここの主人は佐渡出身で、酒も料理も佐渡のものでした。



というわけで、このワカメも佐渡島産。



酒は佐渡の地酒、「真稜」。魚はなんだったっけな?家族経営で、みなさんせっせと
働いている良いお店でした^^



夜も更ける。バーに行こうと思ったが、宇都宮や会津若松と違って、新潟にはバーの
数が少ないのかな。帰り道の途中にある、ネットに載っていた店を通ったら、なんか
イタリア料理の店だったしなあ。



ううむ、新潟初日の夜はこんなもんかー。