さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

酒場を訪ねて 山梨・長野

2020年06月29日 | 関東甲信越


コロナのおかげで全国の酒場は四苦八苦。今回は甲府、諏訪、伊那の懐かしい酒場を
訪ねます。東京から行ったら嫌がられることはないだろうな~。こちらずっと
テレワークだから、感染源にはならんと思うんだが。きれいな女性とノウコウ接触も
してないしねw


さて一泊目は甲府。近いので最初の拠点。各駅停車でのんびり行くのだ。


半年ぶりくらいか。大浴場のあるドーミーインを取りました。以前にインバウンドが
絶好調だった頃、ビジネスホテルのくせに一泊2マソ超え!絶対泊まるかよ!と怒りさえ
覚えましたが、今回は4000円台。許してやろう(^益^)w


んで風呂に入ってから「くさ笛」に。やってるかなー。「オリンピック通り」とは、
前回の東京オリンピックのときに名付けられたのです。古いねェ。


大丈夫でほっとする。なかから元気な女将さんの声が聞こえてきたよ。


おおお、席がひとつ置き。ぬいぐるみを置いたりして「座らないでね」となっている。
しかし常連はだいたい女将さんのいる左端のほうから埋まっていく。んで結局詰めて
座るのだw アクリル板が見えますか?カウンターをしきっているんですー。

女将さんは「ソウシャル・ダンス♪」と笑いながら言うので、「ディスタンス!」と
直されていました。微妙にかぶっているけれど、ダンスしたら濃厚接触だよ^^;

なんとベトナム人の女の子が、この日に初出勤でした。横にいつもカウンターの向こうに
いるフィリピン人の女性が座って飲んでいる。「あれれ?今日はお客さんなの?」と
聞くと、「同じ会社のこの子が初出勤だから、指導しているんです」ということだそうだ。

歩き回る広さもないほどの店だけに、どこに何があるか、どういう手順で何をするか、
居酒屋って覚えることがた~くさん。最初から最後まで、ベトナム人の女の子はずっと
指示されっぱなしで頑張っていました。素直で明るい感じのコだったので、きっと
やれるでしょう。


目の前でキャベツの千切りをがんばってました。初めてなんだって。「指はネコの手で」と
俺もよけいな指導。だって指を切りそうでひやひやだったんだもん。


そしてバー「ノア」へ。ドアが開いてる。コロナ対策なんでしょう。無事に続いてて
涙がにじみ出そう。ここではマスターに合わせて「角の水割り」。

いつもの通り、地元仲間の常連さんたちが楽しそうに語らっています。俺も1年に
1度か2度という影の薄いリピーターなんですが、もう長年来ているのでだんだん
他の人たちにも微妙ななじみになってきています。

マスターは「ひと通りが寂しいだろう」と嘆いていました。そりゃあなあ。。。
応援したい気持ちもあるのに、あちらからまた「おごりだから」とサービスをされて
しまいました。ずっとやっててほしい店なのです。


夏はスイカだなあ 高知のルナピエナ

2020年06月25日 | らくがき


もう何度目かになりますね。スイカを出すのは。
最近スーパーでスイカが出回っています。それが赤ちゃんの頭みたいに小さいのばかり。
もしくは8分の1くらいにカットしたものばかり。都心でひとり暮らしの人が多いから
なんでしょう。そういうのを買う気にはならん。やはりスイカはでっかくないと。

しかし重い。。。 なので、近年はふるさと納税でブランドスイカを注文することが
多くなりました。いっこ1万円以上もするようなもの、絶対に買いません。せいぜい
2千円くらいでしょ。でも、旨そうな高~いやつ、食べてみたい~~。というわけで、
税金を払う場所が違うだけでスイカもらえるなら、ふるさと納税でスイカを選択だ。

いままで北海道の真っ黒い「でんすけ」、鳥取・大栄町の「ドバイの太陽」など、
次々に食べてみました。そして今年は、高知のブランドスイカ「ルナピエナ」であります。

Luna(月)Piena(満ちる)、すなわち「満月」という意味です。太平洋を望む海辺の
町で、太陽をいっぱいに浴び、海からの反射も受け、そして夜は月の光も受けているん
だって。しかもこれは「空中立体栽培」。いっこいっこ吊るして育てているんです。
一株に一個だけ。それを空中に浮かせて光をまんべんなくあてて大きくする。

どこまで過保護に育ててるんでしょうか~。いや、地面を知らずに生まれてからずっと
亀甲縛りの緊縛プレイで幸せなのかどうか。


あ~、やっぱり旨いよ。そりゃこんだけ手間をかけてりゃなあ~~。
印象的だったのは、皮が柔らかいこと。白い部分もみずみずしくて、緑の外側は簡単に
パリっと折れます。過保護に育ったおかげで弱っちいのね(^益^)w


不謹慎な思い

2020年06月23日 | らくがき


コロナ感染者の数がグラフになっており、それを見ると国別対抗レースのよう。
米国がダントツで、ブラジルが急追。

まったく不謹慎きわまりないと思いつつ、「おお、がんばれブラジル!」とか、
「米国、もうちょっとで大台!」とか思ってしまうのはナーゼ?
十進法に別に意味はないし、死ぬ思いをしている人たちがいるというのに、
「1,999,894人」なんて数字を見ると、「もうひと声!」という気持ちになってしまう
のはなんでだ。こういう話を出すと炎上しそうですが、別に有名人ではない強み。


だってさ、熊本城が震災にあってこんな状態になったとき、コツン!と石を叩いて
とどめをさしたくなってしまう気持ちってあるよね?悲劇だっていうのに。。。

崩れてしまったら「ざまーみろ!」なんて思う人はとっても少ないと思います。
俺だって気の毒、と思います。

でもみなさんに一度聞いてみたい。これを見て、「耐えろ!」って思う?それとも
「コツン!」とやりたくなる衝動を感じる?


閉店が続く憂鬱

2020年06月20日 | 


神保町にある居酒屋、「酔の助」が閉店になると全国紙の新聞に出ました。すると
ここに一緒に行った人たちから「見たか!」というメールをもらいました。それだけ
衝撃です。

ちなみにここの2階にあるゲームセンター「ミッキーマウス」も私は常連でした。
古本屋を巡り、近所で昼飯を食い、そのあと一服しながらゲームをやったりしたわけ
です。んで夜はここと。


大箱だから、それだけ維持費も大変なのでしょう。こんときゃ開店すぐだったので
広々していますが、いつもすぐに満席になっておりました。


もう行けないとなると、ホント寂しいな。。。


こちら吉祥寺の芙蓉亭も閉店となり、新聞やテレビでも話題になっていました。
こちらとってもお上品なフランス料理なので、私ははるか昔にそれにふさわしい女性と
一度だけ行ったことがあります。私にはふさわしくなかったカモ^^;

その女性と行ったシックなバーもいつしかなくなってたな~、と思っていたら、いまも
よく使っている「葡萄屋」のバーも、このたび閉店と決まったそうです。一緒に飲む
人があの世に逝ってしまったり、一緒に行った店がなくなったり、こうやって俺の
影がだんだん薄くなっていくんだな。。。


焼き鳥の「いせや」は健在のようです。しかし昔の古い建物はご覧のようにマンションの
一階になってしまっており、改築されてからは一度も行ってません。ここはなんと、
吉田類の「酒場放浪記」の第一回目に使われたんです。


かき氷の有名店『Café Lumière』に入りました。「焼き氷」です。氷の周りを
ふわふわのメレンゲで固め、火をつけたラム酒をかけるパフォーマンス。
一瞬ラム酒をショットグラスで頂き、ぐいっと飲んでかき氷を食べたほうが
いいかも、なんて思ってしまいました。酒のみオヤジw


内部はいろいろの味がして旨かったです。コロナ禍だからすぐに入れましたが、
入り口には「階段を一列に並んで下さい」なんて掲示がありました。普段は
行列のできる店のようです。そうまでして来ないな~w


何が必要欠くことのできないかは人によって違うからな

2020年06月15日 | らくがき

 いつも深夜に聞いているジェット・ストリームで、機長の福山雅治が「エッセンシャル・ワーカーのみなさん、ありがとうございます」と語ります。エッセンシャル・ワーカー(essential worker)は、英国ではキー・ワーカー(Key worker)と言われることが多いようです。人間が生きていく上で「欠くことのできない」、「必須の」、つまり「鍵」、「要所」となる仕事をする人たちのことです。

 新型コロナが広がっているときでも働き続けなければならない仕事の方々というわけで、このたび注目を集めました。介護職、保育士、葬儀関係者、食べ物を運ぶトラックの運転手やゴミ収集に携わる人たちなどで、その仕事の大事さとは比例せず、一般的に収入は低い。

 エッセンシャル・ワーカーの反対の意味になりますが、ブルシット・ジョブ(bullshit job)という言葉があります。「牛のクソ(=まさにクソみたいな)仕事」とは、私が20代のときに働いた職場を思い出します。どうでもいいことの許可を得るために、書類にハンコを6~8個ももらわなければならないことがありました。それも部署の違う上司に、下から順番にもらっていかなければならないものでした(その「偉さ」の順番を示す儀式が大事なの)。さらに私の直属の上司は、さらにその上の上司に「よくやっている」と見てもらうために、会議を延々と引き延ばしていました(時間が長いほど立派だと!)。そんなことやってても、給料が出ることがむなしい。

  ちなみにクソ度が高いほど収入が高くなったりするものです。電力会社で言えば、24時間体制で働いている現場の技術者よりも、原発の利権を確保するために議員たちにすり寄っている連中の収入はきっとずっと高い。放射能汚染のデータを現場で調べて資料を作っている人たちよりも、それを東京のオフィスでチェックして、隠ぺいする決定をしたり書き換えを指示したりする連中のほうがずっと高給取りでしょう。で威張ってるクソ。

 さて何が「エッセンシャル」か。自分のしている仕事が「エッセンシャル」か?と顧みるような謙虚な人は、おそらく「たいして重要じゃないかもな」と思う人が多いでしょう(クソは威張ってたり自己満足に浸っていたり、自分がクソだとは思いもよらないことが多い)。だって人間が生きていく上で欠くことのできない「衣食住」だって、次々とモデルチェンジして流行を追った衣服の販売をしたり、凝った食材を輸入したり味にこだわった料理を作ったり、手間のかかった設備や装飾を施した住宅などを作る仕事は、「なくたって困らないよ」と思うものばかり。

 そもそも人間の生活を豊かにしたあふれかえるモノは、必要欠くことのできないものとはいいにくい。それは資本主義経済が生み出した、あえていえば「無駄」なものばかりで、それをほしいと思う欲望をかきたてることが経済を回す(人を豊かにする)動力なのです。なくてもいいかもしれないが、なかったら刑務所のなかで脳死したような生活になってしまいます。

 それは「文化」と直結している。製作にものすごく手間のかかるレース、絨毯、天才的な職人が長年の訓練によって生み出す工芸品、時と場所を越えて人々に感動をもたらす絵画、彫刻、文学作品。ひと口飲めば「生きててよかった」と思わせるような美酒。これらって、「エッセンシャル」?

 そうでしょう。何がエッセンシャルかは人によって違いますが、私は電気がなくなっても本のある世界にいたいし、肉が食えなくなっても酒をとります。19時ラストオーダーで20時閉店を強いられていた居酒屋のおやじが、「居酒屋がなくなっても人は生きていけるからな」とつぶやいたとき、「そうじゃないでしょう。居酒屋がなくなったら生きていけないくらいの人がいるんですよ」と反論したのでした。