十勝の活性化を考える会

     
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武骨の薩摩人

2023-01-03 05:00:00 | 投稿

 

薩摩人は武骨であるらしい。武骨とは、洗練されていないことや無作法なことである。西南戦争の西郷軍は、薩摩隼人の武骨な元士族が多かったが、西郷隆盛は幕末から明治初期にかけての政治家あったが、武骨であったらしい。

彼はもともと薩摩藩の下級武士であったが、藩主島津斉彬の目にとまり抜擢されている。戊辰戦争を巧みに主導し、江戸総攻撃を前に勝海舟らとの降伏交渉に当たり、幕府側の降伏条件を受け入れている。

ところで日本航空の再建など、日本経済に大きく貢献した(株)京セラの創業者 稲盛 和夫も、鹿児島県生まれであった。彼の顔を見るに武骨だったとは思えないが、人間にとって武骨であるかどうかは関係なく、人の役にたてば良いのである。

知人で最高学府を出てキャリアだった人がいるが、彼も鹿児島県生まれである。。彼は50歳の時に脳出血で倒れたが、それからがすごい。障害を克服した彼は、全国を飛び回るなど身体障害者のために講演などを行ない、自分の役割を果たしている。

薩摩(鹿児島県)といえば、日本百名山の屋久島にある宮之浦岳、知覧特高平和会館などに行ったことがある。知覧特攻平和会館は、鹿児島県南九州市知覧町郡にある歴史博物館である。知覧特攻平和会館には、1,038人の特攻隊員の遺影と遺品などがまつられているが、そこを訪れた学生たちはみんな、無言でその会館をあとにするそうである。きけ わだつみのこえなどの戦没学徒の手記は、若くして戦場に散った無数の命が発している声なき声で、心に深く感じるものがある。

先日のテレビで、「戦争をなくすために~特攻隊員の葛藤~」を放映していたが、今、ウクライナ戦争が行なわれているからだろう。戦後77年、戦争の全てが忘れられようとしている時、もう一度今の日本の平和を考えよう。そして、戦争の恐ろしさや悲惨さを知ることが、学徒出陣や特攻隊員として散っていった人などに対する鎮魂だろう。

屋久島は1年に365回以上の雨が降るところで、島全体がコケ蒸していて、日本とは思えない美しいところであった。外国旅行も良いが、お金と時間があれば、是非とも屋久島に行ってほしい。

また、鹿児島県に喜界島という島がある。この島は奄美群島の東に位置し、鹿児島と台湾の中間ぐらいの島である。喜界島空港のなだらかな丘一面には、初夏の頃になると矢車草の花に似た群落が見られるという。この花は喜界島を出撃した特攻隊員が訣別の思いを込めて上空から投げ落とした花束が、いつしか花を咲かせるようになったのだと島の人々は言う。この花をいつしか、地元の人は“特攻花というらしい・・・。

  • 知覧特攻平和会館の内部写真

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