十勝の活性化を考える会

     
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差別を考える

2023-01-21 05:00:00 | 投稿

差別とは、人に“差”をつけ、自分とは “別”の存在(グループ)として一種の排除をすることである。人間には、出自、能力、障害、外見などの合理的あるいは非合理的な違いや差があることは否定できない。大切なことは、その事実を認めたうえでその違いや差によって人を排除せず、人間として共生していくことが大切であると思っている。

差別には、人種差別、男女差別、宗教差別、身分差別、障害者差別、学歴差別、職業差別、コロナ差別などたくさんあるが、これらの差別は、人間が持っている我欲が原因だと思っている。

社会生活を営むためには、この我欲を少しでも抑えることが必要であるが無理であろう。なぜなら人間は、生まれながらにして欲望のもとに生き、社会はこの我欲で成り立っているからである。そして残念ながら一般的に、他の動物と同じように人間社会も弱肉強食であるからだ。

人間は往々にして我欲によってお互いに衝突するため、社会生活の秩序を保つためには躾や道徳が必要だろう。だが、どうゆうわけか分からないが、学力ばかりに目が奪われ、この躾や道徳が失われていく社会ではないだろうか。

一方で世界情勢をみるに、イデオロギーや宗教の複雑化によって戦争を行なわれているので、人間の本質に問題があるように思えてならない。今世紀中に世界の人口は約100億人になる予想だが、食糧問題などを考えると人間は地球環境を乱しており、ある程度の間引きが必要なのかも分からない。

ところで、アイヌの差別に関連するが、小内透編集「帯広市におけるアイヌ民族の現状と地域住民」の本に、アイヌを対象としたアンケート結果が書かれている。これによるとほとんどのアイヌが、職業や結婚に際して差別を受けていたらしい。

このような差別は、学校のイジメと同じだろう。すなわち、大多数が少数者をいじめることと同じである。そしてもっと根が深いことは、いじめた人が“イジメ”と感じていなく、単なる“遊び”と思っていた人が多いことである。全てとは思わないが、今の子どもたちは相手の立場になって考えられなくなっているのである。すなわち、人間として“共感”できなくなっているのである。それは、私たち大人が作ったことに間違いあるまい。

「十勝の活性化を考える会」会員