十勝の活性化を考える会

     
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日本の常識

2023-01-10 05:00:00 | 投稿

 

西野順也著「日本列島の自然と日本人」に、以下のとおり興味深いことが書かれていた。

『 (前略) 明治時代以降、日本人と自然との関わりは大きく変化した。一つは、生活全般に於いて大量のエネルギーを投入できるようになった。もう一つは、ものの移動を通して地球全体の自然と関わりを持つようになったことである。もはや、日本人と自然との関わりを論ずるには、日本一国の問題としてではなく、「全世界的な視野」が必要になった。

蒸気機関の発明を契機に起こった産業革命の波は、十九世紀に全世界に波及した。石炭や石油などの化石資源を燃やしてエネルギーに変換し、さまざまな製品が生産されるようになった。

さらに、二十世紀初めにアメリカで始まった大量生産・大量消費の経済活動は、戦後、怒涛のごとく押し寄せ、日本を飲み込んでしまった。現代はグローバル化の時代といわれ、世界中からモノが入ってくる。

私たちの周りには、モノがあふれている。情報のグローバル化も手伝い、インターネットでモノを注文すると海外から航空便で品物が届く、そんな時代である。次から次へと提供される新しいものは人々の物質的欲求を刺激し、それを満たすことが幸福感につながっている。経済的欲求に応じることができる限り、私たちはほしいものを何でも手に入れることができる。

大量生産・大量消費は、島国の中で自給自足の生活を送ってきた日本人の物に対する価値観や意識を変えてしまった。毎日大量のモノが捨てられている。大量生産・大量消費の社会は、大量のゴミを生み出したのだ。大量生産によってものの値段が下がり、修理して使いまわすより、新しいものを買った方が安いとなれば、まだ修理しても使えると思っていても捨ててしまうのだ。

もったいない」という言葉がある。島国の限られた資源の中で暮らしてきた日本人にとって、物は貴重だったのだ。不要になった物を捨てるのではなく、他の用途に利用し、壊れて修理して使うのは自然だった。

しかし、物があふれている現代、物を大切に使う「もったいない」の言葉は死語になってしまった。(後略)』

この本を読んで、次のように思った。戦後、日本人のモノに関する価値観は大量生産・大量消費で大きく変わったが、心も変わったようだ。“変わる時代 変えるスタイル 未来志向”と言われるが、心だけは変わって欲しくない。

日本の常識は、世界の非常識と言われることも多くなった。日本人は、猪突猛進というか、一旦、走り出したら止まりにくい民族でもあるような気がする。多くの学者が様々な日本人論を語っているが、外国人から見れば、日本人は異質な民族だという。三島由紀夫の切腹自殺なども理解できないだろう。

「六月火雲飛白雪」という論語がある。夏の雲が雪を降らせるぐらいに自由に物事を考えるという意味で、常識というものに捉われてはいけないということらしい。新型コロナ禍で世界中が行き詰っているので、自由自在の考えを持つことも人間にとっては大切であると思っている。

 

“温故知新”で、歴史や疑問に思う事柄を調べ直したりして再確認し、道理や真理に近づくことは大切である。新型コロナ禍で世界中が行き詰っているので、夏に雪を降らせるというぐらいの発想の転換や柔軟性も必要だろう。

火事場の馬鹿力という言葉もある。事が切迫すると自分にはあり得ない力を発揮することの比喩であるから、今が日本人として“火事場の馬鹿力”を発揮する時期だと思っている。

「十勝の活性化を考える会」会員