十勝の活性化を考える会

     
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老化と認知症

2023-01-18 05:00:00 | 投稿

 

老化による物忘れと認知症による物忘れとは、現象が似ているが原因は全く違っている。いずれにせよ「忘れる」という現象は、経験者でなければその辛さは分からない。

私は11年前、35ccの脳出血を罹患し、その後遺症で右半身にマヒが残り不自由であるが、リハビリ効果もあり良くなっているので、人間の自然治癒力に驚いている。

倒れてから7~8年間は夢を見ることはなかったが、最近、毎日のように夢を見るようになった。その理由は、以前にも夢を見ていたと思うが、高次脳機能障害により記憶に残らなかったからであろう。

現在、週1回の機能回復型デイサービスでリハビリを続けて体力がつき、老々介護も避けることができると思っている。リハビリ施設には脳梗塞や脳出血、高次脳機能障害の人がほとんどで、認知症の人も多い。一口に認知症といっても身体障害者と同じで百人百様で、人によって症状が全く違うのである。

私は72歳であるから前期高齢者の老人で、老人になれば誰でも老化や認知症で“忘れる”ようになる。これからの日本は人口減少社会になっていくので、AIやロボットを効率的に使って、老人をもっと活用することを考えるべきであろう。

ところで、認知症になると記憶力、注意力、判断力など、さまざまな能力を人から奪ってしまう。ただ記憶を失うと、その人は「その人」ではなくなるのであろうか?

人間は認知症になっても、状況に応じて適切に注意を与えられている場合は、優しい言葉もかけてくれる可能性があり、優しい感情自体が消え去ったわけではない。

認知症者のことは、まず健常者である自分自身をとおして理解するのである。しかし認知症者のことは、それだけでは理解できない。「自分=他人」という同一視の関係だけで考えると上手くいかないことがたくさんある。つまり、認知症者を本当に理解できるようになるためには、認知症者のことを自分と同じだと考えて想像してみる必要がある。

自分と他人とは同じ条件で生きているわけではないから、他人は自分とは別の知識や能力を持っている可能性があるということを理解しなければならない。自分と他人とを切り離すことが、他人のことを深く理解できるようになるためには必要なのである。

親子の間では、自分と他人とを同一視するのが基本ではあるのだが、人間は発達するに伴い他人のことを本当に理解するためには、徐々に他人と自分とを切り離していかなければならない。

この切り離しは家族など、親しい間柄であればあるほど難しいのだと思われる。脳の中には、人が痛みを与えられているのを見ただけで、自分が実際に痛みを受けているように感ずる部位がある。

自分の体に直接痛みは受けていなくても、他人が痛がっていると、本当に「痛い!」という反応が自分の脳の中に起こる。これがいわゆる“共感である。この共感の度合いは、痛みを受けているのが誰かということで、変わる場合があることが知られている。

夫婦や親子は脳の中でがっちりと一体になっていると考えられ、そのために切り離しが必要になった時に難しいことがよくある。認知症になると、元々の関係性が親しければ親しいほど、自分とその人の切り離しが上手くいかず、「この人には伝わるはずだ」 「自分が思っているとおりに受け取ってくれるはずだ」と思い続けてしまう。

認知症では、本人の認知能力が衰える。それで本人の領域、家族の領域が守れなくなって、互いに主体性の感覚や自由が奪われることがある。そして、それは認知症の人だけの問題ではなく、家族側が今までと同じであることを期待してしまうことが問題であったりもする。

今までできたことができず、自分が知っているとおりに振る舞うことが出来なくなっていくのを見ることに、喪失感が伴うのは確かである。つまり、認知能力の衰えは疑いなく事実である。「何ができ、何ができない」という分かりやすい能力だけでなく、その人らしさを作っている「感情」に気づくことが大切である。

それから高次脳機能障害を患って気づいたことが沢山あるが、そのひとつに“感受性の高まりがある。脳神経が刺激を受けて過敏になったのである。これは脳科学者も言っているので、個人の特有のものではないと思われる。

「十勝の活性化を考える会」会員