やまろぐ☆つあれぽ

海外登山&トレッキングツア専門の
添乗員の自由日記と
家事育児の日常♪

くじけないこと

2017-12-04 03:57:51 | おもう。

さっき外を歩いていたら
満月だった。

この前、ネパールで新月の真っ暗な夜に美しい山々と
星の写真を撮ったばかりなのに。
トレッキングの終わり頃は三日月で
いまは満月。
もう月がこんなふうになっている。
なんか時間の流れを感じる。
満月になると美しかったフンザ(パキスタン・9月)での山々の中の夜の
色を思い出す。
月の光が白い山々を
夜空に浮かび上がらせているところ。
新月でネパールの天の川、満月でパキスタンの山を思い出す東京のわたしの日常は
非現実と現実を行き来している感じ。

もし独身で1人暮らしなら、わたしはまともな
食生活を送っていない。
仕事しながらコンビニで済ませてるかも。
仕事を中断させたくないし
やりたいことがたくさんあるから。
でも、今の現実は帰国して次の日からきちんと
和食の朝ごはんを作り、夫のお弁当を作り、夜もごはんを作って
キッチンに立っている。笑。当たり前だけど
一応。
仕事を片付けたいし、
部屋を早く片付けたいけど、
仕事も中断して、家事育児をしていることが
わたしの生活の日常の均衡を保っているもののひとつなのかも。

旅日記作りながら、パソコンで
「カトマンズに戻りタメル地区で買い物する時間を・・」と入力しながら
あっ
まだスーツケースから、タメル地区で
買ったヤクのチーズを出してないわって
思い出す始末。笑
そう、帰国してまだスーツケースはほとんど
そのまま。洗濯はやっと昨日したくらい。

遠くを見つめたり
近くを見つめたり、わたしの心がずっとふわふわするのは
仕方ないとして。
いろんな感動的な出会いにいつも感謝と喜びでいっぱいなのと
同時にまた、別れが時々わたしの心を引き裂く。
どんな風に捉えて受け止めていいのか
まだ心の整理もつかないまま、どんどん前に進まなければ
いけなくて、今の仕事をこなしながら頭の片隅にはすでに、
次の仕事と目標と、自分の信念が、見えている。
それがあるから
くじけずに、向かっていける、自分を支えているのは、
近くにいて助けてくれる人たちと、自分の中の自分を信じる気持。
思い描く世界。

夜になって逝ってしまった親友との別れを思い
痛みにわんわん涙を流して泣き、
祈り、それでも前に向かっていかなきゃいけないこれからを思う。
わたしの心の中にその人たちは存在し続けて
いつかはわたしもそっちにいく、その境目はまた、
わたしの日常と非日常の今の生活くらいに
簡単に飛び越えていけるほど近いものなのかもしれない。
別れも出会いもあっさりと訪れてくる。

大切なものは自分のそばに置いておきたいけど、
大切なものは遠くにいってしまうこともある。遠くにあることもある。
遠くにあっても、自分の心の中という近くの場所にある。

別れは死だけではない。
誤解や、自分を曲げたくない気持ちが強すぎて
大切な人と衝突することもある。
闘いみたいだったり、焦ったり、落ち込んだり。
でも、引けないし、自分の意固地に呆れたり。

家事をして、
ふと、手を止めて、ぼんやり月を眺めて、いろんな感情を
抱えて、立っていた。ああ、書きたいなあ
この気持ち、とか思って。音楽を聴きながら
携帯の画面を見つめて。
部屋に戻って美味しいワインを飲みながら。
別れは寂しいけど、そこまで寂しくもない
という感覚を思う。



遠くの友達からメールがくる。途上国に住み、それもすごい大自然のなか、
家にはヤクや羊やヤギも飼っているような
年もずっと若くて20代、宗教はイスラム教。いっつも、温和で平和的。
全く違う環境にいるのに、詩みたいなやりとりが続く。
感じることや
考えが似ていることに驚く。彼も驚いている。面白いよね。
なんだかごちゃごちゃしているわたしの日常感覚が
彼とのやりとりの中では
シンプルになり、フィルターにかけられて
無駄が落ちたみたいに浄化される感じ。

そういう友達は日本にもいる。年も違って
近くにいなくて、いつも会えなくても、話をすることさえなくても、
なんだか心はつながっているなあという確信で
寂しくなく。その友達との関係は満たされている。

それって、山にいって大自然の中にいるときと同じ感じ。
案外すべて、シンプルなのよね、本当は。
うまく書けないけど
それは、物理的なつながりとか、
目に見えるものより、見えているものより
大切な絆は心の中にあるっていうような。
本当の神はメッカにいるのでなく、
寺院にいるのでもなく、十字架の中に見つかるものでもなく
心の中にいるから、
と、平然と彼は言うの。
40年かけてわかってきたわたしの信じる感覚と、
遠いところにいる20代の彼がこんなふうに感覚を共有できるのも
面白いよね。

不思議。全ては繋がっているなあて思えるし、
痛みも悲しみも、受け止めようと思えてくる。
心が感じるものは、 ありのまま受けて、
フィルターにかけて大切な美しいところだけを心に置いておく。
自分のどうしようもない頑固なところも
自分で許してあげようとか、ゆるい気持ちになる。

その友達が、クリスマスとかするの?と聞いてきて、わたしは
子供のためにはするけど自分はどうでもいい感じ。
と答え、
あなたはイスラム教だからしないんでしょう?
と聞くと、
クリスマスは特にしないけど、元々は同じ神だし、クリスマスも尊重してる
と。
それは大切な感覚と、感心する。

優しい気持ちはひとにうつるから、
優しくいなきゃー、と、思い直す。