日々是好日!

日常の出来事など、とりとめもなく、気が向き次第ときどき、思いつくままに・・・。

中山道六十九次 23日目

2018-12-04 09:17:36 | 2017-18 中山道 街道ウオーク
12月3日 蕨宿から日本橋まで

ときどき日がさす曇り空ながら、
この時期に考えられないほど暖かい1日でした。



蕨の商店街
宿が街道筋になく、
JR駅近くまで商店街を往復しました。



蕨宿東口標識



水神社



水神社解説板



渡船場跡碑
「戸田の渡し」説明板



戸田橋



荒川を渡ると東京都板橋区に入ります。



清水坂碑



大山道標
「是より大山街道并にねりまこみち」
庚申塔
「是より富士山大山道」



志村の一里塚
両塚を残しています。



縁切榎



中山道板橋宿上宿碑
板橋宿は日本橋方から、
平尾宿 仲宿 上宿に分かれていたそうです。



板橋
地名の由来になった橋です。



仲宿の商店街



都電荒川線



巣鴨地蔵通商店街



庚申塚



赤パンツ屋



とげぬき地蔵



真性寺
境内の銅像地蔵菩薩像は江戸六地蔵の一つとされます。



芭蕉句碑
「白露も こぼれぬ萩の うねりかな」



大円寺
八百屋お七を供養する「ほうらく地蔵」があります。



追分一里塚跡



東大キャンパスのイチョウ並木



東大 赤門



神田明神



日本橋界隈



日本国道路元標



日本橋
京都三条大橋からここまで550キロあまり、
昨年からスタートした中山道の歩き旅も、
継ぎ足しながら23日目で完結しました。

中山道六十九次 22日目

2018-12-02 14:58:30 | 2017-18 中山道 街道ウオーク
12月2日 上尾宿から蕨宿まで

連日の好天もさすがに、
今日は一日を通しての曇り空でした。

旧中山道の宿場も面影が残っているのは、
都市化に取り残された処に限られるようです。



JR上尾駅前
宿の関係で駅前からの出発です。



愛宕神社



大宮宿 南無三界万霊塔



供養塔



JR東北本線と東武の野田線のガードをくぐります。



ウォークをしていると、
避けようがないのが生理現象ではないでしようか?
野や山であれば方法もありますが、
家やビルのたち並ぶ市街は困ります。
公衆トイレはほぼ見かけません。
喫茶店や飲食店にショッピングセンター、
それにコンビニです。

借りるときには声をかけます。
利用させていただいたあとには、
何がしかの買いものをします。

このコンビニでは断られました。



大宮には飲み屋が多いように感じます。



大宮宿の本陣があったとされる付近です。



塩地蔵 子育地蔵案内
このような標識ははじめてです。



氷川神社 一の鳥居
この参道が古中山道であったそうです。



さいたまスーパーアリーナ
大宮アルデージャの本拠地です。



火の玉不動尊
お女郎地蔵



県道164「欅」並木
さすが武蔵の国です。



中山道浦和宿碑
浦和宿西口あたりでしょうか?



中山道浦和宿碑
浦和宿東口とされます。



調(つき)神社
租庸調の調を意味し、
武蔵国の調はここに集められたとされます。
調は月に結びつき、
狛犬にかわりここではウサギがつとめます。



焼米坂碑



辻の一里塚跡



中山道蕨宿碑
蕨宿東口下木戸跡




中山道六十九次 21日目

2018-12-02 06:28:59 | 2017-18 中山道 街道ウオーク
12月1日 熊谷宿から上尾宿まで

関東平野の街から街の道の多くはほぼ直線、
まっすぐの道は歩いても歩いても、
先の目標は見えていても、
なかなかたどり着けません。



八丁の一里塚跡



ムサシトミヨ生息地解説板
熊谷市久下の元荒川の清流に、
県指定天然記念物のハリヨの仲間ムサシトミヨが生息しているそうです。



みかりや跡



久下の渡し 冠水橋跡碑



久下権八地蔵
白井権八に因む地蔵とのことです。



荒川 熊谷八丁堤



決潰の跡碑
昭和22年9月のカスリーン台風により、
この地点の堤防が決壊し、
甚大な損害を受けたとされます。



権八延命地蔵



中山道道標
「中山道榎田村」
「熊谷宿まで二里 鴻巣宿まで二里十五町」



中山道間の宿碑



吹上「間の宿」解説板



中山道こうのすふきあげ碑
「京三条大橋へ百二十一里三十二町
熊谷宿へ二里二十二里」
「江戸日本橋へ十三里二十八町
桶川宿へ三里十四町」



中山道鴻巣碑
箕 館林行田道との追分、
ザックを下ろして休憩をしました。



鴻神社
鴻巣宿の総鎮守だそうです。



鴻巣本町商店街



中山道北本宿碑
「中山道と本宿」解説板
慶長9年宿駅が鴻巣に移転するまでは宿場であり、
その後本宿(元宿)と呼ばれるようになったそうです。



中山道桶川宿碑



中山道桶川宿案内板



桶川宿本陣跡



旧旅篭



武村旅館 国有形文化財



旧跡木戸趾碑
桶川宿東木戸跡です。



中山道上尾宿碑
ここが上尾宿の西口でした。



庚申塔




中山道六十九次 20日目

2018-11-30 16:44:20 | 2017-18 中山道 街道ウオーク
11月30日 本庄宿から熊谷宿まで

相変わらずの好天に恵まれ、
上州から武州へと中山道ウォークは続きます。



傍示堂跡
武蔵国と上野国の国境でした。



レタス畑



祠の中の子育地蔵など



キャベツ畑の彼方に赤城山が望めます。



小山川に架かる滝岡橋



道案内
このような案内は珍しいです。
関東圏に入ってこのかた、
方向指示等はほとんど記憶にありません。



豊見坂の百庚申塚



「中山道古道について」碑



雲雀塚 芭蕉句碑
「原中や 物にもつかず 啼雲雀」



深谷宿西口常夜燈
高さ4メートルは中山道筋最大級とされるそうです。



滝澤酒造「菊泉」の蔵元



レンガ卯建の旧商家



深谷宿東口常夜燈



見返りの松
現在は2代目だそうです。



R 17熊谷バイパス 玉井歩道橋と方向指示
歩道橋を渡って熊谷に向かいます。



忍領石標
「従是南忍領」



新島の一里塚跡



熊谷の商店街



八木橋デパート前 旧中山道跡碑



熊谷宿 札の辻跡


中山道六十九次 19日目

2018-11-29 16:22:31 | 2017-18 中山道 街道ウオーク
12月29日 高崎宿から本庄宿まで

歩いていると汗ばむ陽気、
赤城おろしも空っ風も何処吹く風です。



高崎市街
高崎宿は交通の要衝でもあり、
賑いましたが、
城下町でもあったため堅苦しさを嫌った諸大名の宿泊がなく、
本陣 脇本陣はなかったそうです。



倉賀野宿手前の松並木



倉賀野宿 高札場跡



卯建を上げた旧家



日光例幣使道追分
「從是 右江戸道 左日光道」



烏川にかかる柳瀬橋より赤城を望む



高崎伊勢崎自転車道を歩きます。



お伊勢の森
かつて伊勢嶋村があり、
伊勢神宮を勧進して鎮守としていたが、
洪水により廃村となったそうです。



川端家
屋敷は国 有形文化財
江戸時代の豪農、
明治時代この地で盛んだった養蚕と絹の貿易で財を成したとされます。



新町宿



行在所跡
明治11年 明治天皇 北陸東海巡幸時の宿舎とされます。



柳茶屋 芭蕉句碑
「傘(からかさ)に おしわけ見たる 柳かな』



復元された見通灯篭



神流川古戦場跡碑
天正10年 滝川氏と北条氏の戦の跡



常夜灯および六十九宿中最多の人口を誇った本庄宿の解説板など



本庄宿標柱



旧本庄商業銀行 レンガ倉庫説明板



レンガ倉庫
この地で盛んであった養蚕は鉄道の開設で、
より繁栄しました。
この倉庫は貸付金の担保の繭を保管するためのものだったそうです。



本庄市街