子どもの頃、8月15日の正午には姉妹揃って黙祷
昼ごはんはスイトンだった。
昭和12年生まれの母からは、空襲や赤紙が日常的に語られ
伯父は小倉で終戦を迎えたあと、広島の廃墟を歩いて通過し
郷里の岐阜まで戻ったという。
小学校1年の時沖縄が返還され
校内放送で校長先生のお話があった。
70年の安保は大阪万博にかき消され
80年には大学に入ったけれど、平和への叫びは感じらず
12月8日、太平洋戦争勃発の日にジョンレノンが銃弾に倒れた。
文学部掲示板に新聞記事を誰かが貼り出したのが記憶に残る。
湾岸戦争の頃はオレゴンの片田舎で勉学に励み
イラン人の友人が、心ない学生に生卵を投げつけられるのを見て憤った。
大学の教職課程の中で「日本国憲法」の授業を履修し
「教育原理」では教科書の変遷を紐解き
就職後は語学教員として、恒久平和に尽くせる生徒・児童の育成のために
日本国憲法の崇高な精神を遵守し
教育基本法に則った授業をしてきたつもりだけど.......
今一度、立ち返り日本の進むべき道を、舵取りを検証しなければいけない気がする。
以下、Wikipediaから
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あたらしい憲法のはなし(あたらしいけんぽうのはなし)は、太平洋戦争終結後に短期間使用された、中学校1年生用社会科の教科書。
1947年8月2日に当時の文部省は、同年5月3日に公布された
日本国憲法の解説のために新制中学校1年生用社会科の教科書として発行した。
「憲法」「民主主義とは」「國際平和主義」「主権在民主義」「天皇陛下」「戰爭の放棄」「基本的人権」「國会」「政党」「内閣」「司法」「財政」「地方自治」「改正」「最高法規」の十五章からなり、
日本国憲法の精神や中身を易しく解説している。
朝鮮半島が不穏な情勢となった1950年4月に副読本に格下げされ
1952年4月から発行されなくなった(逆コース)。
「戰爭の放棄」における「戦争放棄と書いた大きな釜の中で軍艦や軍用機を燃やし、
その中から電車や船や消防自動車が走り出し、その脇で鉄塔や高層建築物が光り輝いて出てくる挿絵」は有名。
1952年4月以降も、小中学校で使用される社会科の教科書や副読本で、
この挿絵が日本国憲法誕生時に関して使われることがある。
著作権は旧文部省に属するが、保護期限は過ぎてパブリックドメインとなっており、
各社から(果ては個人からも自費出版の形で)復刻版が出版されている。
1993年、外山雄三により文章に曲が付けられ、合唱曲として発表されている。