Malang Indonesia ジャワ島ぐらし

高原の学園都市マラン。Universitas Brawijayaや街での出来事を綴ります。

三遊亭円楽 さん

2017-08-01 | Diary
国税庁主催、教育委員会後援の「財政経済セミナー」で
笑点でお馴染みの三遊亭円楽さんの講演を聴いてきました。

演題は「笑顔の日本語 ユーモアコミュニケーション」で90分
噺のプロに心奪われ洗われました。:-)

ストレスという言葉が輸入され日本はストレス社会になってしまった。
解消のためには
1) ストレスから逃げる
2)ストレスと戦う
3)諦める
のいずれか

バカ話で気の置けない仲間と、美味しいお酒を飲んで
よいコミュニケーションをとることが一番だと


笑顔とともに一言の声をかけ過ごしましょうとと結んで90分がぴったり終わりました。

日々ストレスを溜め込んで無駄ば戦いを挑んでいる今日この頃
「ありがとう」と「ごめんなさい」は同義語だと仰った師匠に
大いに見習いたいものです。

Pic is from new year playing children game, so called Fuku-warai
which means happy smiling game

オールドキャンパーへ

2016-02-20 | Diary
中学生の頃ガールスカウトの参考書のなかで見つけた詩です。
「焚き火の煙とろうそく」よりと書いてあった気がします。
英語からの翻訳だと思いますが、正確な出展はわかりません。

オールドキャンパーへ

年老いてきっと思う
遠く去ったキャンプの日々
心によみがえる焚き火の煙のにおい
消えかかる夜明けの焚き火
そして、迷い歩いた山の道

いつか大人になり
広く世の中を知っても
いつもよみがえる遠き日の思い出
ひざ突き合わせて語った友の楽しい笑顔

やがて住む
町いちばんの立派な場所に
でも、いつか背広を脱いでキャンプ服に着替えるだろう
そして夜空の星を仰ぎ
丸木のベッドで眠るだろう

大きくなって金持ちになり
何でも買える身分になっても
しばし何ごとも忘れ野外に出て過ごすだろう
太陽の輝く水辺 雲の漂う空の下で

一度でもキャンパーだったなら
心の底に永遠に
何かがついて離れない
たとえ大人になろうとも
忘れられない思い出は
楽しく遊んだキャンプの日々


Prayar 祈ることの力強さ 1年間を過ごして

2014-07-18 | Diary
ヤンゴンで暮らし始めて季節が一巡
季節が三つしかないここでの暮らしにも慣れてきました。

朝5時の教会の鐘の音
悪天候の中でも裸足で辻を回る小坊主さんや
小さな尼さんたちの托鉢の行列

それにも増して街中至る所で祈る人々と共に暮らし
宗教を超えた祈りの強さ
神様や仏様が生活の中心にあることの大切さを改めて感じます。

日本にいるときは「レイジーなクリスチャン」たっだのですが
この一年、ずいぶん一生懸命教会の活動に参加し
言葉は分からないけれど、日曜の礼拝に出て
ミャンマー語の賛美歌も口ずさめるようになりました。

7月19日は国父といわれるアウンサン将軍が
内閣府で大臣たちと共に暗殺された日。
国民の休日です。

我が家から見える、旧内閣府の建物で1947年に惨劇が起きたと聞きました。

祈ります
この国と世界の平和のために
明日を支える子ども達の教育のために


にほんブログ村 海外生活ブログ ミャンマー情報へにほんブログ村

The pic is from my room watching small monks in the morning.


***以下は昨年の記述です******




Here I saw in SuLay Pagoda in June.
It was my first visit to Pagoda in Myanmar and it was hot hot sunny afternoon in rainy season.
We saw 3-4 young boys maybe high school students come in
with school bags and died in brown, kind like blond hair.
It was not surprising me because in Japan, high school students are just like or more than that.

I was wondering what are they doing in the temple and just grans to them.
After while during waiting our 29yrs pretty translator prays for her and hers
........................
I was so surprised to see those boys prayed just like her deeply bow and kneel on the hot ground.

These young people will develop the country soon, i believe.
Pray,cooperate, purify....... power of this country comes from these stable standard.




新渡戸稲造の「武士道」が世界でブームになったのは何年前だろうか?
少し長くなるけれど、序文の一節です。

約10年前、著名なベルギーの法学者、故ラヴレー氏の家で歓待を受けて数日を過ごしたことがある。
ある日の散策中、私たちの会話が宗教の話題及んだ。
「あなた方の学校では宗教教育というものがない、とおっしゃるのですか」
とこの高名な学者がたずねられた。
私が「ありません」という返事をすると、氏は驚きの余り突然歩みをとめられた。
そして容易に忘れがたい声で「宗教がないとは。
いったいあなたがたはどのようにして子孫に道徳教育を授けるのですか」と繰り返された。

 奈良本辰也訳 三笠書房 初版 定価495円より抜粋


祖国日本は何をなくしてしまったのだろう。
若い国、ミャンマーで見つけた心温まる光景でした。
皆さんの健康と幸せを心から祈ります。


Pic DownTown in Yangon after heavy rainy. I walk 10 min on this road everyday. Now give up to wear shoes.
Everyday I wear beach sandales and change into shoes at the office, this is real Yango Life:-)




Lost and Found (2)

2014-07-10 | Diary
tomorrow is a WAZO holiday in Myanmar though Saturday is on duty.
昨年の今頃は猛暑だった日本。
病後だったので自宅勤務にしてもらい赴任に備えました。

明日はオールアフリカとMMチームのサッカーフレンドリーマッチ。
ご招待を受け朝からMayo選手のご飯作り
1600pmのキックオフにはVIP席での観戦が楽しみです。

Sports should be for the peace in the world.
I am waiting for beautiful goals from both team!!

GO FOR NIGERIAN!!
I love them all


*******以下は昨年の記述です






7月は忙しさに拍車がかかってしまいました。
前回お知らせしたように、赴任前の定期検診で
乳がんが疑われ細胞診までしてミャンマーに出かけ
一時帰国で診察に行くとやっぱり乳がん。
南共済病院・乳腺外科に7月5日(金)入院 8日(月)手術 9日(火)退院
というスケジュールで入院しました。

といっても週末は外泊許可がでたので
実際に病院に泊まったのは、手術前後の2泊だけ。

7年来の主治医・加藤直人先生は年間に200以上の
オペをこなす乳がんの専門医。
診察とカウンセリングが丁寧なので
外来はいつも時間が延び、2時間待ちは当たり前
しかしながら、医龍にも劣らぬメス裁きで
多い日は5人のオペをこなす、評判のお医者さんです。

7年前はリンパ節の検査までしましたが、
術後も良好で、その後の放射線治療も7:30amからやっているので
仕事前に駆け込み、45日間、休むことなく終了。
副作用も殆どなく、元気に仕事も続けられました。

今回、本当に小さな小さな癌が見つかったのは
勿論、1年に1回の定期検診を続けていたからですが
腕のいい、エコーの技師さんが、ちゃんと発見してくれ
主治医に繋いでくれたお陰でもあると思っています。

傷跡はまだ少し痛みますが、大きなセロテープの下に
きれいに縫合された、手術跡がうっすら見えるだけ。
今回の手術時間は30分だったそうです。

繰り返しお願いしますが、どうぞ皆さん
乳がん検診を1年に1度は受けてください。
全女性の4人に一人は、生涯に1度は乳がんを経験するのです。
検診も、たとえ手術になったとしても怖くありません。
ほんの少し痛いだけで、通常の生活が送れるんです。


Here in Japan, light after rainy season over
burning hot days are coming in this week.
Every day weather forecast reports over 35 degrees
which is about 95F all over the country.

Fortunately i could work at home because of my operation
BUT today i need to go to Tokyo office riding KQ red train for 1.5H.
To the train station, it takes 25 min to walk then 1.5H train
end 7 min to walk to the office just near Sky Tree Tower.
Can you believe?
This is Japanese ordinary working person doing whole their life.

Well, TGIF!!
I am a great survive now.
pls have a cozy weekend.

Lost and Founds

2014-07-09 | Diary
last year of this day, i had a brest canser oparation.
It was my second time to have it.
Thanks to God, one year has passed without anything.

沖縄の大好きな青いピアスは結局、ヤンゴンの路上でまた
片方をなくしてしまった。

「本当に大切なものはたった一つだけ」
アクセサリーもブラウスも必要な分だけもって
大切に大切に使えばいいと思えるようになったのはこの頃かな。

食べ物に恵まれ、着飾ることもいらないヤンゴンでの生活
いただいたものを大切にしながら汗を流して生きたいですね。


にほんブログ村 海外生活ブログへ
にほんブログ村


***** 以下は昨年7月9日の記述です。


縄勤務時代、首里城近くのホテルのジュエリーショップで
青く光る小さな石がついたピアスを見つけました。
値札は4桁だったけど、当時のお財布状況にはずいぶん高嶺の花。
沖縄の深い海の色を纏った小さなPerlのような石には
沖縄原産ホタル石
科学記号Caf2、フッ化カルシウムを主成分とするハロゲン化鉱物
という説明書きが。

迷って迷って、朝も夜も、次の朝もお店を覗いて
3回目にお店を訪ねた時に
ちょっぴりオマケをして貰い買い求めました。
ベリーショートのヘアスタイルで2月に横須賀に移った私の
凍えた耳をいつも飾ってくれるお気に入りのペアだったのに
寒い寒い夜、コートとマフラーで外出した時に
うっかり片方をなくしてしまったんです。

アメリカに行く前に通販で似たものを買ったけど、
結局気に入らなくて引き出しの奥にそのまんま。

夏が終わり、秋が来て、次の冬になってもう
代わりになるようなペアに出会うことなく
今年の夏はピアスも止めていたんだけど............

ヤンゴンへの荷造りで、クローゼット内の大移動をしてたら
「あった~~ーー!!!」
今年は使わなかった、オイルヒーターの下から、コロッと。

ユーミンのパールピアスは
その後どうなったのかは解らないけれど
この石はきっと生涯私のところに戻ってくる宿命なんだなあ。

忙しかった六月の、一番嬉しいニュースです。


i just come back home from Brest cancer operation.
As you know I survived from same cancer in 2006 and
checking breast by manmmo and echo every year.

This year just before I went to Yangon,
I spend one day for breast checking at Yokohama Minami Kyousai Hospital
where I had operation beforehand.

Dr Kato my breast doctor has god hands in reputation
and he operates more than 200 breast cancer patient yearly.
But this time not him found my cancer.
Lady echo medical technologst carefully found out just a small bit of cancer and report tp Dr.
In same day Dr Kato kindly ordered biopsy ,using needle to pull out gray cell out from the breast
under the echo televisions.

I flew to Yangon 3 days later waiting next step to know the result.

Anyways I am here in my house as a 2nd time Brest cancer servicer.
Brest Cancer is not devil desese any more.
Only you need is to check yours once in a year.
Every women 1 out of 4 in the world have a chance
to be a breast cancer patient at least once in their life.
Unfortunately some still lost their young life because .........

I will be happy if you would share my story to your girl-friends and family.

写真は去年の夏
SF ベイエリアにて、友人Kathyお連れ合いのJim
Apple本社勤務のエンジニア


たなばた 七夕 Qixi Festival July 7th  元宵情人节

2014-07-08 | Diary
ささのは さらさら
のきばに ゆれる
おほしさま キラキラ 
金銀 砂子



おりひめ・ひこぼしの恋愛にまつわる
中国故事はあまりにも有名ですね。


日本では7月7日 または旧暦の地方は8月7日前後に
七夕のお祭りがあり
笹の枝に夫々の願い事を書き
夏の到来を楽しみます。


皆様の願い事は何でしょうか?
ヤンゴンは雨季の晴れ間、今夜は星が楽しめそうです。


素敵な七夕をお過ごしください。

from wiki

Qixi Festival (Chinese: 七夕節),
also known as the Qiqiao Festival (Chinese: 乞巧節),
is a Chinese festival that celebrates
the annual meeting of the cowherd and weaver girl in Chinese mythology.


It falls on the seventh day of the 7th month on the Chinese calendar.
It is sometimes called the Double Seventh Festival,
the Chinese Valentine's Day, or the Magpie Festival.

This is an important festival, especially for young girls.

The festival originated from the romantic legend of two lovers,
Zhinü and Niulang, who were the weaver maid and the cowherd, respectively.

The tale of The Weaver Girl and the Cowherd has been celebrated
in the Qixi Festival since the Han Dynasty.

The earliest-known reference to this famous myth dates
back to over 2600 years ago,
which was told in a poem from the Classic of Poetry.


The festival inspired Tanabata in Japan and Chilseok in Korea.


にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村


新しい憲法の話

2014-07-06 | Diary

子どもの頃、8月15日の正午には姉妹揃って黙祷
昼ごはんはスイトンだった。
昭和12年生まれの母からは、空襲や赤紙が日常的に語られ
伯父は小倉で終戦を迎えたあと、広島の廃墟を歩いて通過し
郷里の岐阜まで戻ったという。


小学校1年の時沖縄が返還され
校内放送で校長先生のお話があった。

70年の安保は大阪万博にかき消され
80年には大学に入ったけれど、平和への叫びは感じらず
12月8日、太平洋戦争勃発の日にジョンレノンが銃弾に倒れた。

文学部掲示板に新聞記事を誰かが貼り出したのが記憶に残る。
湾岸戦争の頃はオレゴンの片田舎で勉学に励み
イラン人の友人が、心ない学生に生卵を投げつけられるのを見て憤った。


大学の教職課程の中で「日本国憲法」の授業を履修し
「教育原理」では教科書の変遷を紐解き
就職後は語学教員として、恒久平和に尽くせる生徒・児童の育成のために
日本国憲法の崇高な精神を遵守し
教育基本法に則った授業をしてきたつもりだけど.......


今一度、立ち返り日本の進むべき道を、舵取りを検証しなければいけない気がする。



以下、Wikipediaから


********




あたらしい憲法のはなし(あたらしいけんぽうのはなし)は、太平洋戦争終結後に短期間使用された、中学校1年生用社会科の教科書。


1947年8月2日に当時の文部省は、同年5月3日に公布された
日本国憲法の解説のために新制中学校1年生用社会科の教科書として発行した。

「憲法」「民主主義とは」「國際平和主義」「主権在民主義」「天皇陛下」「戰爭の放棄」「基本的人権」「國会」「政党」「内閣」「司法」「財政」「地方自治」「改正」「最高法規」の十五章からなり、
日本国憲法の精神や中身を易しく解説している。

朝鮮半島が不穏な情勢となった1950年4月に副読本に格下げされ
1952年4月から発行されなくなった(逆コース)。

「戰爭の放棄」における「戦争放棄と書いた大きな釜の中で軍艦や軍用機を燃やし、
その中から電車や船や消防自動車が走り出し、その脇で鉄塔や高層建築物が光り輝いて出てくる挿絵」は有名。
1952年4月以降も、小中学校で使用される社会科の教科書や副読本で、
この挿絵が日本国憲法誕生時に関して使われることがある。

著作権は旧文部省に属するが、保護期限は過ぎてパブリックドメインとなっており、
各社から(果ては個人からも自費出版の形で)復刻版が出版されている。

1993年、外山雄三により文章に曲が付けられ、合唱曲として発表されている。

Memory in Chicago

2014-05-29 | Diary
Here is the picture from Chicago bussiness show.
Our family spend Junein sothern california where sister lives
then moved to Plastic show for father business.

It was hot and fuid there.
At the airport we saw the news of Mickel Jackson passed away
and typhoon was attacking our area.


I still use press set USB memory sticks from that show.




****** 以下は2009年夏の記述です



さて、寧波・ベイルン3日目。
あっという間に生活が整い、洗濯機を回しながらベッドでPCタイムです。

食料品の袋を開けるのも、ペットボトルのリサイクルのために
ビニールをはずすのも、玄関の鍵も、窓の開け閉めも....
とにかくここは何でも堅いのです、硬いのです、難いのです。
とうとう右手の人差し指の爪が折れてしまいました。
幸い深爪にはなっていませんが...

ちょっと伸びすぎているのが気になっていたので
爪のお手入れにはちょうどよい機会だったのですが、
除光液を持ってきていないので
昼下がりのビールの後にネールを楽しむこことも出来ず、
近くにネイルサロンの看板も見かけないし...

牛乳・ビールがなくなったので、ダイルーファー・スーパーに行って、
ネイルキッドでも探してみます。
化粧品コーナーには資生堂・DHCなどがあったので
そこもついでに探検。
お給料日は15日。
両替した1万円=   元はそれまで持ちそうもありません。

そういえば、ダイルーファーの中にクロロフィルのエステを見つけました。
フェイスのフルコースで60元(×15で日本円)。
よっぽど疲れた日にはいって見ようかな。
予約なしでいつでも出来るそうです。

写真は校内のいたるところにある、リサイクル用ゴミ箱





Make a wish 夢を叶えるって

2014-05-28 | Diary
Here in Myanmar many volunteer organaization, variaty of NPO is comingin in different firm. Here is my previous article about MAKE A WiSH in Japan 2009 summer. Keep doing step by step, i admire my friend who coordinate this project in Shizuoka, Mt Fuji place. 洪水のように流れる近代化の波の中で 1日何時間仕事をしても積み残しが堆積してしまい どうしてここにいるのか、どうあるべきなのか そして、何を目指して生きているのかを見失いそうな中で 「温故知新」古きをたずねて新きを知る 海外にはじめて出たころの日記を読み返し反省の日々です。 評論や批判、はたまたボヤキに流れることなく 小さくてもいい、自分の出来ることを実践し 人の輪を、心のつながりを正しい技術で作れるように 今日も前に進みます。 大きな写真はアメリカ カリフォルニア州 サンディエゴ ミッションベイ    妹夫婦が暮らす、大好きな場所のひとつです Pray for all who work so hard everyday both in business and non business especcially children and education ***** 以下は2009年8月の記述です。 にほんブログ村 海外生活ブログ ミャンマー情報へ
にほんブログ村

8月23日(日)静岡県でMake a wishという団体が開催するチャリティーライドが開かれます。
学生時代の友人が事務局で奔走しているので、報告します。

Make a wishとは  1992年当時沖縄在住の主婦・スーザン・アルブライトが、
 アメリカで理学療法士をしていたときに 
「闘病生活の中での、夢を持つ子どもの瞳の輝き」に心を打たれた経験から、
 日本でもぜひメイク・ア・ウィッシュの活動を始めたいと願ったことが始まりでした。

 1993年に「遊園地に行きたい」という夢をかなえたことを第1歩として、
 その後「野生のイルカと泳ぎたい」 
「ウルトラマングレートと一緒に闘いたい」 
「世界一大きいヘラクレスオオカブトムシに触りたい」
 「サンタクロースと遊びたい」等など、  
難病の子どもの夢を叶えるお手伝いをしています。 

 メイク・ア・ウィッシュの活動は、 子どもの夢をかなえて「あげる」のではなく、
 夢をかなえるのに必要な、さまざまな手配や配慮をしてその手伝いをすることです。 
子どもたち一人ひとりのために、子どもとその家族と力を合わせ、
 夢の実現というかけえのない体験に向って進んでいきます。  
 
  日曜の夕方、友人から笑顔同封(今は「笑顔添付」になるのかな?)の報告のメールが届きました。

三時半位に終了しました。180人の方々が参加して下さり、
静岡支部主催のこれまでの中でも最もスケールの大きなイベントとなりました。

晴天に恵まれスタッフも気持の良い汗を流せたと思います。

メイクアウイッシュは全てがボランティアさんの力で成り立っています。
今回もボランティアさんの企画から実際に当日の運営までやって頂き、
その実行力たるや凄いもの・・脱帽です。

スポンサーさんにも恵まれて参加賞のグッズ・飲料からじゃんけん大会の自転車5台まで
全て無料協賛頂きました。
じゃんけん大会は盛り上がり、ウイッシュチャイルドの女の子と対戦して
勝ち残りの参加者の方々が、定価5・6万円はする自転車を持って帰られました。
羨ましい

この収益金が難病と闘うウイッシュチャイルドのお子さんたちの夢を叶えるための資金として使われます。
有難いことでした。
来年も五回目が開催されるように祈りたいと思います。

無事終了したことに感謝しています。


ネピードーFC 背番号6

2014-05-26 | Diary
I Myanmar it had been 200 years first Christian mission Jadson landed.
Can you guess how hard life they had lived at that time in Yangon.
Last December 200th anniversary for Buptist ceremony was held in Yangon.
Hot hot hot 4 days we spend.

Today my friend's wedding in Central Hotel.
Actually he is my volunteer cheam mate's brother.
His name is SUPER, Ne pew do FC pro soccer player
His mother is my age and first woman pro football reflie in Myanmar.
We both live in same street.

5月25日(日曜日)
昨晩、九州から駆けつけたゆうせい君・
ヤンゴンでがんばる九州男児こうじ君が
介添えを務め

中島くんとわたしは浴衣で参列。
お父上が早世されたスーパー君の家族席、母上の隣で
たくさんの美酒とご馳走を頂く幸せいっぱいの日曜日です。

乾杯!!


にほんブログ村 海外生活ブログ ミャンマー情報へ
にほんブログ村

***** 以下は2009年夏の記述、
    さとう牧師夫妻に連れられ参加したセレモニーの感想。
    守られて生かされて、宗教を超え現地化しているわたしです""'


浦賀にペリーが来航し、1859年に横浜・函館・長崎の港が開港されてから150年だそうで、
横浜ではY-150というイベントが繰り広げられています。

同じ1859年に欧米宣教師によるキリスト教プロテスタントの伝道も始まりました。
その宣教師の一人アルバート・A・ベンネットが創設した大学で学んだ者としては、
古(いにしえ)の宣教師たちの苦労と働きに感謝します。

港が開港したとはいえ、1873年に日本政府がキリスト教禁令の高札を撤去するまでは
医療・教育を中心とした宣教だったことでしょう。
言葉もわからない、風習のまったく違う異国での生活の苦労が偲ばれます。

150年前の宣教師たちとは雲泥の差ですが、
言葉のわからない異国での生活をひかえて、ふと考える朝です。