二つの園舎も再生のスタートを切り、次の復興に向け歩を着実に進められています。
しかしながら…気仙沼市はじめ、震災の傷跡は被災地全般に、まだ震災後遺症として依然深く残っているのも事実でした。
「いま私たちが望むもの…それは被災前の状況に一刻も早く戻りたいことです。園児の生活はもちろんのこと、被災者すべての生活が…震災前のあの時代に早く戻したい。」
私たちが…学園に対する次なる支援策を問いかけた時に発せられた、園長先生の声です。
その言葉には…正直、返す言葉はなく私たちも同感でした。
今回は気仙沼のほかに、あしのめ学園さんの案内で陸前高田市にも行かせてもらい、気仙沼より復興が遅れている現実に…そこでまた大きな衝撃を受けたものです。
訪れた道の駅…外観はそれなりにとどめてはいましたが、内部は多くの傷跡が残り…改めて津波の恐ろしさを感じさせられました。
今回も同行された国前寺の疋田住職の読経が流れるなか、昨年…最初に慰問した気仙沼の光景を想い出し、複雑な心境になったものです。
目の前にあるセルフのガソリンスタンドでトイレを借用すると、こう書いてありました。
「ここはまだ水道が満足に復旧していません。ここの水も全て私たちが毎日を汲んで補充しています。大切にご使用ください。」
普段、水が使えることが当たり前になっている自分が、本当に虚しく思え、反省させられたものです。
表面的には復興が済んだように感じられるように思えましたが、現地で行った反省会では多数の意見が参加者より寄せられたものです。
今回お会いした被災地の方に、何が出来るのか…
今日も仕事の合間に考えました。
気仙沼市にある、すがとよ酒店の奥さん…
「遠い広島から来てくれて…本当にありがとう。皆さんに勇気をもらいましたし、津波で亡くなった主人のためにも頑張って生きています。皆さんも元気でシッカリ頑張って、また気仙沼や東北へ足を運んでください」と言っていただきました。
また…あの悪夢のような震災をプラスに受け止めている人が、前回よりも増えていることに、人間の逞しさを感じました。(歴史ある料亭を津波で壊滅された、世界のご主人や奥様など)
私個人の思いは…いろいろなことを考えましたが、やはり気仙沼を見捨てることは出来ません。
今回の縁を台無しにしないように、これから新たなプロジェクトを考え、来年の立場は補佐役ですが…また新たな笑顔に触れ合える行動をしたいと思います。