渡部さん・・・カープの応援団長で、
その時代の監督のユニフォームと
大きなマスクをかぶった団長といえば
球場に足を運んだ人なら、一度は見たことがあるはず。
いまは某会社の顧問をされているが
先日、来社された。
カープの話一色になると思ったが
意外や意外・・・
カープの話はあまりされない。
こちらが、ふっても・・・
下手に口を滑らされない。
ただひとつ・・・無念そうに言われたのが
自分の指定席である、一塁側で応援スタイルが取れないこと。
これは非常に残念そうに思えた。
自分の心は永遠に一塁側にあるのか
名詞には・・・全国広島東洋カープ私設応援団連盟
一塁側応援団 団長 渡部 基代次とある。
この様な人にカープは支えられているのだ。
その時代の監督のユニフォームと
大きなマスクをかぶった団長といえば
球場に足を運んだ人なら、一度は見たことがあるはず。
いまは某会社の顧問をされているが
先日、来社された。
カープの話一色になると思ったが
意外や意外・・・
カープの話はあまりされない。
こちらが、ふっても・・・
下手に口を滑らされない。
ただひとつ・・・無念そうに言われたのが
自分の指定席である、一塁側で応援スタイルが取れないこと。
これは非常に残念そうに思えた。
自分の心は永遠に一塁側にあるのか
名詞には・・・全国広島東洋カープ私設応援団連盟
一塁側応援団 団長 渡部 基代次とある。
この様な人にカープは支えられているのだ。
今年も喫茶店で最後のコーヒーを飲み、カープが優勝する話もなく、静かにカップを置いて、もう運転はしないであなたも引退よと、話して別れたのが最後の言葉でした。苦労をされた方ですが、いつも元気で、カープと刻まれた金歯で、笑い飛ばされていた若かりしの頃、私は東京の空で、渡部さんが、後楽園に来ることを楽しみにしていました。自宅の近くの太田川で、スッポンを釣り自慢げに見せてくれた童顔の渡部さん、カープ応援団で知り合い、また、私の仕事や人生の応援をしていただいた41年
少し寒くなった昨日の雨上がりの朝に、涙雨は似合わないぜ!と、ゆっくりゆっくり天国山という山を登り始めた。ありがとうございました。渡部さん、また、会いに行きますから。
ご苦労さまでしたm(__)m