いま37歳だから12年前だったな・・・
黒田に出会ったのは・・・
そのときの印象は・・・聞き上手。
私のカープに対する思いを ジッと目を見て聞いてくれる黒田がいたのを昨日のように思い出す。
ルーキー時代に、阪神とのオープン戦で 中継ぎで起用され打ち込まれた。
そのとき解説の木下さんが 「この投手は中継ぎより先発が向いている」と言われたのを思い出し、「自分は先発タイプよね・・・」と聞くと 「そう思います。中継ぎは向いていないと自分でも思います」と語った。
また・・・「先発は中何日とか間隔があるじゃないですか。中継ぎは毎日出番を予測し待機が必要。だから自分が投げるときは一イニングでも多くマウンドに立っていたい。そうしないと中継ぎの人に申し訳ない」とも語った。
当時から登板日に、打線の援護が少なかった。そこで彼のコメントは 打線を擁護するものだった。
同席していた佐々岡氏が言った。
「黒田は偉くなったと思ったのが、昨年までなら 愚痴のひとつも出てました。先日完投はしたが僅差で負けた試合があったんです。そのときマスコミに囲まれ打線の援護がなかったことに言及されたとき、一点でも取られた自分に責任がある。相手の投手はそこを我慢した。僕はそこが踏ん張れなかった。次はそこを踏ん張れる投手になりたい…とコメントしたんです」
また佐々岡氏は・・・
「僕ら投手が打って勝つのは 確率的にものすごく少ないんです。やはり野手とは持ちつもたれつの関係でないと・・・」と語った。
当時のエースは佐々岡であった。
黒田はローテーションが何とか保証された若手の有望株に等しかった。
その証拠に・・・その年のオープン戦の広島市民球場で行われた西武戦。
東尾監督が、「明日の広島での試合に松坂を先発させる」と語ると、広島の山本浩二監督は、「うちは黒田で挑む・・・」との記事が掲載された。
黒田はその時のことを こう語った。
「あれは期待の重さを感じました。相手が松坂でしょう・・・オープン戦でしたが、負けたくない。このチャンスは絶対にものにするという気持ちでしたね・・・」
その試合・・・黒田は予定の5回を投げぬいた。
それからの黒田は 着々と自分の立ち位地を決めたと思う。
今となっては懐かしい思い出であるが、最後にファンへの思い・・・彼も佐々岡も盛んに口にしていた。
「僕らはファンあっての職業。本当に心からそう思っています」
彼の口から発信される言葉は、10年以上たって環境が変わっても不変であろう。
当時 黒田が色紙に書いた座右の銘・・・
不苦無栄光・・・(苦しみ無くして栄光なし)
彼は野球生活最後の 大きな苦しみを迎えているのかもしれない。