まだ気持ちは…オープン戦か?
野村監督と浅井打撃コーチさん
それにしても バリントン…コントロールが甘かったね。
次回の登板で、もし今日のような状態だと
今年のバリントンには、大きな期待をしないほうがいいかも知れない。
それにしても明日・・・野村で落とすと、今年は暗雲立ち込めるぞ。
次のカードは巨人だし・・・
いい加減、本気の開幕モード前回してほしいものである。
「おい。責任者・・・出て来い」
まだ気持ちは…オープン戦か?
野村監督と浅井打撃コーチさん
それにしても バリントン…コントロールが甘かったね。
次回の登板で、もし今日のような状態だと
今年のバリントンには、大きな期待をしないほうがいいかも知れない。
それにしても明日・・・野村で落とすと、今年は暗雲立ち込めるぞ。
次のカードは巨人だし・・・
いい加減、本気の開幕モード前回してほしいものである。
「おい。責任者・・・出て来い」
東京出稼ぎ4年さまが、ついにブログを開始されました。
内容は・・・独自に分析されたデーターを基に、対戦投手の攻略法や試合後の結果などを分析された読み応えのある内容です。
カープファンの皆さん、私のブログは読まなくても、この東京出稼ぎ4年さまのブログは是非一読ください。
カープに未来はあるかさま・・・
R/Yさま・・・
そしてネコさん・・・
また昨年と同じコメントか・・・
オマエさんに責任があるだろう。
選手をかばえよ・・・
オマエさんまで野村と同じようなコメントをマスコミに話すなよ。
選手は信頼しないぞ、そんなコーチは。
「吉見を攻略できなかったの自分の責任。選手にしっかりした指示ができなかった。マエケンに申し訳ない。明日は必ず巻き返す。」…くらい言えよ。
ニックほしかったです。
しかし相手の吉見・・・緊張してますね。
それに比べてマエケン・・・大したもの。
今年は大きく期待していいでしょう。
さて堂林を起用しましたね。
これは凄いことです。
さあ・・・がんばれカープ!!
さあ、間もなく開幕です。
今年に監督生命をかける野村・・・
堂林をスタメンで起用しましたね。
さあ・・・がんばれカープ!!
私のような会社は両方も購読する必要はないのだが、このたび久々に心するものがあり広島経済レポート(青)も取り始めてみた。
この2誌・・・なかなか頑張っている。
これまで多くの地元経済誌関係の書物が販売されてきたのだが、この2誌だけが生き残っているといっても過言ではなかろう。
似通った内容が経済誌だけにあるのは仕方がないのだが、わたしが個人的に注目し興味を持っているのが、経済レポート(赤)ではパラボラアンテナ、広島経済レポート(青)は、こぼれ話である。
これは両社の特徴が出ていると勝手に思っている。
経済レポート(赤)は 思想信条を前面に出し憂国の士を強調しながら毎回奮闘するパラボラには共感を覚えながらも、抗議の電話や不買運動は起こらないかと心配もする。
あのパラボラを書かれる記者さんには、お会いしたことは当然ないが、意外やこのような方は会えば普通の人だったりすることが多く そのギャップもまた良かろう。(笑)
かたや広島経済レポート(青)は、今月久々に散見すると企業にスポットを当てまとめてある。
両者とも、当然購読数や協賛広告がカギになり、毎回取材される記者の方は取材をしながら営業も行うという過酷?また表に出せない話しなどと毎日葛藤の連続であろうが、多くの読者に有益な情報を掲載し続ける書物であってほしいと願う。
がんばれ・・・記者のみなさん。
カープの強かった時代・・・
それを知っているのは30代後半の方ではないだろうか…
私の子どもは今25歳になるが、彼が生まれた昭和61年・・・カープは強かった。
そして彼が5歳の平成3年・・・カープは最後の優勝だっただけに、息子は強いカープの記憶が皆無に近い。
カープがここまで20年間優勝に見放された原因は、多くの方が指摘されているので、いまさら私が語る必要もないのだが、私なりに強かった時代を改めて回想してみたい。
強かった時代・・・この筆頭は、古葉監督と松田耕平オーナーの協力体制が強固だったことである。(晩年は崩壊し、古葉監督は去ったが・・・)
それは、古葉監督の率いる現場は当然のこと、編成に関する大半に信任をおいたことからも伺い知れる。
一年を戦った結果、チームとして不足している補強部分を出欠覚悟で行えたことは、チームに毎年のように緊張感をもたらし、選手の意識改革に成功した。(松田オーナーの器量の大きさもあった)
また古葉監督は、選手を好き嫌いで起用することは殆んどなく、実力主義の起用を行った。
衣笠の連続フルイニング出場を断腸な思いで止めた決断(昭和54年)や山本浩二を4番やスタメンから外す大胆さ(昭和59年)から見られるように、情に流される選手起用を行う監督ではなかった。
そして伝説の江夏の21球・・・これはカープ初の日本一となった試合であるが、この21球のなかでも、古葉監督は冷静沈着な対応を取った。
あの絶対絶命のピンチを迎えた場面、ブルペンに池谷と北別府を向かわせる用意周到さ…あれは当時の古葉監督でなければできない采配だっと言っても過言ではなかろう。
江夏はあのとき…マウンドからベンチの指揮官を睨みつけた。
ナゼなら、このシリーズの あの瞬間まで、カープベンチには江夏以降の投手起用はあり得なかったからである。
そこまで絶対的な守護人として、江夏への信頼と信用は誰もが認める存在であった。
ブルペンに行かされた池谷も北別府も、それを受ける石川ブルペン捕手も柴田猛コーチも、当時の模様を複雑な思いで受け止めていた。
恐らくベンチの古葉監督以外の全員が、そう思っていたことであろう。
しかし古葉監督は、あのときの模様を「確かに江夏以外に、あの場面にマウンドにいる投手はいなかったでしょう。しかし私はあの場面、残り時間など色々なことを考えた。もしあの回、同点で終わると延長戦に入る。そして次の回…江夏に打順がまわる可能性もありました。そうなれば、当然交代も視野にいれなければならない。また江夏にアクシデントも予想される。そのようなことから、あの場面、監督として当然のことをしたまで・・・」と、語った。
その様な事情を知る由もない江夏は、マウンドで怒りをあらわにする。
それを目にし、江夏のもとに駆け寄っり、落ち着かせたのは盟友の衣笠である。
「オマエ何をイライラしとるんじゃ。オマエの相手は近鉄じゃないのか?自軍のベンチと喧嘩してどうする。」この衣笠の言葉で、江夏は冷静さを取り戻し、見事に近鉄打線を封じたのは有名な話。
(あのときの選手には、反江夏も多数おり、あの伝説の21球は自作自演と囁かれたもの。それにしても例え事実であったとしてもスゴイ偉業で、誰も真似はできないであろう)
衣笠の連続イニングを止める決断をした際には、衣笠に自ら歩み寄り事情を説明したと聞く。当時の衣笠の不調は深刻で、さすがに我慢をし続けていた古葉監督も衣笠をスタメンから外すには、相当悩んだと語っていた。(連続試合は継続させると伝え、後に偉業は達成した)
山本浩二の場合は少し事情が違った。
当時報道された内容に目を通すと、スタメン落ちを内田コーチに知らされた山本は激怒したらしい。「何で監督でなく、コーチのオマエが伝えるのか・・・」(内田コーチは山本より年下であった)
衣笠と山本浩二への古葉監督の対応の差・・・
この真相を知る由もないが、次回はこの両雄に対することを振り返ってみたい。 つづく
最近、葬儀後の相続に関して、士業の方の売り込み(セールス)が活況を呈してます。
一番多いのは司法書士のかた。
次いで弁護士、税理士とつづく。
なかには、それらの方がタッグを組み、相続何でも相談事業所もお目見えする。
ナゼここまで活発なのか?
結論から言えば、士業の乱立からきた競争激化に思える。
数年前に、ある弁護士さんが言っていた。
「国の政策で、弁護士を増やす傾向なんだよな~これから大変だよ。」
その弁護士さんは少年裁判を得意分野にしており、当時、弁護士のイロハを教えてくれるなかで、弁護士の増員政策を危惧していた。
さていつもながら話しがそれたが、現状の相続に関する状況はどうであろうか?
相続関係の需要から見ると、老後の不安に多くの方が関心があるようだ。
自分の財産で子どもが争う可能性を示唆する人や、子どもがいないため有効な活用策を模索する人など、結論から言えばお金絡みの相談が多い。
これまでも潜在的に需要はあった相続だが、今のように色々な媒体で取り上げられることは少なかった。
昔・・・葬儀終了後に集金にお伺いしたとき、時たま「子どもには言えないのだが・・・」と、相続に近い相談を受けたこともあったのだが、そのときは笑い話で済ますこともできるkらい、今ほど深刻なものには思えなかった。(実際は大変なことも発生したのだと思うが…)
しかし時代も変わり、いまのように家族葬が主流になると、我々葬儀社には葬儀の話より、その家族の核心に触れる相談が増加したのも事実。
その時は、「相続人全員で、洗いざらい話しをしてみて、それから法の専門家なり入れてみるのが得策でしょう・・・」と言うものの、肝心の法の専門家を信用しない人が多いのも事実。
ネット社会に入り、瞬時に情報を仕入れることもでき、それで理論武装を行う人も多く、「自分の財産は自分で守る」ひとも増加傾向にある。
私がこれまで係わった経験で言えば、自身のお金を他人様に采配されたくない人は、家庭裁判所に駆け込むことをお勧めする。
そのかわり・・・自身ですべての必要書類などを用意することになるので、時間はかかり面倒なのも事実。
しかし・・・行ってみれば、意外や簡単なこともあった。(これは経験からそう思う)
その反対に、足がないとか、多くの時間を費やす暇がない人は、その道のプロに任すのが早道。
幸いにも私には、それらを信頼して任せるプロがいただけに、父や伯母の相続では大変に助かったと、今も思う。
いずれにしても自分の財産を守るのは、自分の考えひとつ。
もしこれから、相続で悩むことがあるなら、いまから良い人脈を築き、自分なりの対策を講じておくことが重要ではないかと思うのだが…皆さんはどう思われるであろうか?
昭和54年の開幕前・・・
開幕ベンチ入りが発表される前のこと。
私は高校入学まで暇だったので、市民球場や三篠の合宿所めぐりをしていた。
晴れた日は市民球場、雨天の日は三篠という具合に・・・
そして唯一の楽しみであるサイン集めをしていた。
開幕前は、どの選手も緊張感にあふれ、練習終了後に球場正面に待ち受けるファンに対し、様々な対応であった。
気さくにサインをしてくれる人や全く無視する人・・・
名前を出さないが、中には「寄るな・・・」と、怒鳴る選手もいたが、池谷、北別府、江夏、高橋慶彦、衣笠、三村、木下、水沼、道原などは。気持ちよくサインをしてくれものである。
そのなかで、もったいぶりながらサインをする面白い選手がいた。
あの年トレードでやってきた金田留広投手。
あれは、オープン終了後で傘を必要としない小雨が降っていた時である。
金田投手が出てきたのだが、ほとんどのファンは追いかけようとしない。
そこで私ひとり、金田投手のあとをつけ車まで行き、「すいません。サインもらえますか?」と聞いた。
すると、「ワシが野球選手に見えるんか?誰かわかるんか?」と、不機嫌な返事。
私は不覚にも、「金田じゃろう・・・」と呼び捨てをしてしまった。
すると、顔つきが変わり 「あのなぁ~呼び捨てはなかろうが。呼び捨ては、金田さんじゃろう・・・」と、怒らせてしまった。
車に荷物を積み込んだ金田投手は、私を無視するように再度球場正面のほうへ歩みだした。
私は追いかけ、「すいませ~ん」とイヤーブックの金田投手のページを開きサインを願った。
すると、しょうがない…と言いたそうに 「マジックを貸せ・・・」と一言。
マジックとイヤーブックも渡そうとしたら、「それはオマエが持って」と、イヤーブックは私が持ち、何とかサインをしてもらった。
しかしそのサインは、気の抜けたようなサインであった。(金田留広のみ)
数日後・・・また金田投手に遭遇した。
再度サインをお願いすると、この日はすこぶる機嫌がよかったのか、ナゼか笑顔の対応。
「広島東洋カープ 金田留広 44」と、先日のサインとは気の入り方も違い達筆なサインだった。
ここで私が要らぬ一言を発した。
「この前のサインとエライ違いますね・・・」
すると金田投手は、思い出したかのように・・・「あ~先日のオマエか。あの日のワシは機嫌が悪かったんじゃ。しかし今日は機嫌がええんよ。」とのこと。
その年、金田投手は、序盤こそファームで調整を図っていたが、8月のお盆に一軍入りし谷間で先発。自らホームランも放ち5回を投げきり勝ち投手になる。その後も中日キラーとして名を馳せ、優勝に貢献。
しかし2年後の…昭和56年限りで現役を引退した。
起用法をめぐり首脳陣と衝突し、ファームでも調子がよかったのに、一向に上からお呼びがかからず、やる気をなくしたとも言われた。
昭和57年の春・・・
私はスポーツ店に勤務していた。
その取引先に、ヒット・ユニオンという会社があった。
そこの営業担当の人が、「今日はうちの新入社員をつれてきました」と言われ、その新入社員の顔を見て驚いた。
何と・・・金田留広である。
私はまたもや不覚にも・・・「アッ、金田じゃ」と、呼び捨てをした。
すると昭和54年のカープ時代とは違い、金田氏はニコヤカな笑顔で、「金田です。よろしくお願い申し上げます」と、元気よく挨拶をされた。
スポーツ店の社長は、
「河内くん・・・あんた金田さんを知っているんかい?」と言われ、
「社長、この人は去年までカープの投手だったんですよ。お兄さんは400勝投手の金田正一さん」と、言うと…「金田正一さんは知っているけど・・・」と、困惑?されたものである。
その後、再度プロ野球のロッテオリオンズの投手コーチに就任され、数年前・・・何やら問題があった記憶があるのだが、それも金田留広さん ならではのトラブルという気がしたものである。
どうしても贔屓チームの選手ばかり気になってましたが、日刊ゲンダイによれば、ラミレスも夏場から本領発揮だそうです。
意外や、多いんですね・・・
しかし、今年の栗原・・・体調がうまく噛み合えば期待できますぞ。
がんばれ・・・カープ最後の???
いや、これは間違い・・・
がんばれ・・・カープ
がんばれ・・・KURIHARA
世の中、何事も結果がすべてとまでは言わないが、大半がそのように見られがちである。
私は会社経営を行うなかで、心の片隅にプロ野球のオーナーや監督を意識した経営を行っている。
時には社員にハッパをかけ、また同調したり、突き放したりするなかで、社員はどのように思っているかもしれないが、「とにかく一番は、このワシ…とにかくついて来い」的な、ワンマンな社長だと思う。
当然、会社の業務を遂行してくれる社員がいるから、私が社長として自由に動け、また、よくよく考えてみれば、うちの社員の能力が高く、私が自由に動けるとも言い替えられる。
それだけ…社員には、本当に感謝に堪えない。
もし社員が、私の納得しない仕事ぶりであれば・・・私の性格からして仕事を任せることは、なかったであろう。
それでなくても・・・良くも悪くも、私は他人に仕事を任すことが出来ない人間だっただけに…
さて…私が社員に任すようになった一因・・・
それはあるお客さんとのトラブルであった。
詳細は特定される可能性もあるので、ここには書くまい。
ただひとつだけ言いたいのは、相手が悪すぎた・・・(これは今でも思う)
ただこのトラブル・・・私なりに、そのお客さんに感謝もしている。
それからの私は、社員に厳しいことも口にし、気になったことも、その場で指摘し、とにかく緊張感を持たせる経営を心がけたている。
さて前置きが長くなったが、いま私はある人に注目し、交渉を行っている。
その人の表に残る足跡から見えない、何かを求めて・・・
いま交渉は難航を極めているが、私の求めているものを、その人が理解してくれる日は必ずくると思う。
ナゼなら、人間とは…まさしく紙一重(成功や失敗)の人生を皆が歩んでいると思っているから・・・
表に見える結果だけで人を判断するのでなく、見えない結果・・・それを掘り起こし見つけることが、人を評価するのに必要ではないかと・・・思いはじめたからである。
大げさに思えるか、意味が見ないかも知れないが、この交渉が成功した暁には、多くの人に別の形で報告させていただきたいと思っている。
全員とは言いませんが、傍から見てそう感じます。
本当は監督たるもの、そのような雰囲気を作り出さないといけないんです。
それが出来ないから、すべてがチグハグに見えてしまうんです。
コーチ暦が一番長いのは誰か知りませんが、本来であれば、その人が監督とコーチの間に立ち調整を図るのが、年功序列のプロ野球の世界なんです。
しかし、そうならないのがカープ。
あの・・・「投手や投手コーチは、いまだキャンプ中なんでしょう・・・」発言。
あの発言、私にはいまだシツコイですが、どうも開幕を控えた今も・・・気になります。
追伸・・・石原のことで、東京出稼ぎ4年さまに、またもや確信に触れるコメントをいただきました。
東京出稼ぎ4年さまには、いつの日かお会いして、本音を語りたい・・・その思いが一層強くなりました。
トランペット軍団の平岡さんのコメントには、正直驚きました。
実は・・・平岡さんという名前を知っていまして、出そうか出すまいか非常に迷った挙句、個人情報保護法などもあり、やめたんです。
山本浩二ファンクラブ・・・実はわたしも中学のとき、東広島の西条に住んでましてね、初代の悪友が、このファンクラブのハッピ着て入団していたんです。
それでこの悪友が、結構幅を利かせてまして、当時のU会長に・・・「こいつも入れてやって~や」と談判し、昭和53年の8月の盆から9月終盤まで球場に行って、旗を振ってました。
そのとき、平岡さんとも触れ合ったりしたんですよ。実は・・・
ところで・・・昭和53年9月23日のヤクルト戦・・・
確かカープに大逆転優勝のチャンスがあった試合ですけど、結果終盤ヤクルトにひっくり返され負けたんです。(ここで負け越し、ヤクルトにマジックが点灯したんだったか…)
スタンドは超満員で、三塁側内野スタンドには、あのヤクルトの名物応援団長の岡田さん率いる相当数のヤクルトファンがいました。
そして試合終了後に、何とカープの応援団とヤクルト応援団が、スタンドをまたぎながら大喧嘩をしたんです。
当時の山本浩二ファンクラブには決められたルールがありまして、「他チームの選手やファンに野次は飛ばすな」・「応援団としてマナーのよい応援を心がける」などと・・・
それがあの日は違ったんです。
確か私の記憶では、試合終了後にヤクルトの東京音頭を聞かされながら、「クソったれ~」とか「頭にくるの~」などと、コソコソいいながら腹を立てていたんです。
すると、スタンドのお客さんが・・・「お前ら応援団は腹が立たんのか~」などと逆に野次を飛ばされてしまい、それでも応援団の先輩たちは 無言で我慢していたんです。
するとヤクルトの応援団が、「負けた、負けた、また負けた。鯉の季節は終わったよ~」と、刺激的なコールをかましてきました。
これには我慢していたU会長もキレまくり、「おどりゃ~なめとんかい。こうなったら売られた喧嘩じゃ・・・やったらかい」の一言で、何を思ったか初代悪友が、叫びながらレフトスタンドの3塁側ブルペンのあった方向まで団旗を持ち駆け込んでいきました。
そしてフェンスによじ登り、「わりゃ~こっちに来いや・・・喧嘩ならこうちゃろう」とか、「オトナしゅう、ここから出れる思うたら大間違いど~」などと叫びまくりました。
当然ヤクルトファンも、「おう、やるならやっちゃろう・・・」などと収まりがつかなくなり、気がつくと互いの応援団がレフトと三塁側のブルペンをまたぎ口論になったものです。(得意の口喧嘩ですね・・・いま考えると)
球場警備員も危険を感じたのか、警察官に応援を頼み、最後は互いの団長が呼び出され終息となりました。
しかしあの興奮は凄かった・・・
東京出稼ぎ4年さまより、久々に内容の濃いコメントを頂戴しました。
ありがとうございます。
このコメントを読み、ある話を思いだしました。
拙い話を書きますが、読んでください。
ある人が、当時現役だったプロ野球選手2名に気がついたことをアドバイスした話を聞いたことがある。
一人の選手は・・・その人自身が記録した、その選手の打席を詳細にメモしたもを渡し、改善点を伝えた。
選手は「このような見方があったんですね・・・」とえらく感激してくれた様子。
当然、「よかった。伝えて・・・」と思った。
しかしその後、その選手の様子を見ても一向に改善傾向が見えない。
その後、選手に確認をしたところ、「コーチに指摘された問題点を伝えたんです。するとコーチが、ワシの言う事と素人の野球好きが言う事のどっちが正しいと思うんじゃ。お前がワシを信用できないのなら、今後一切使わない・・・」と、言われたと話した。
その後 その選手は、一軍と二軍を行き交いしながら、持つ能力を開花させることなく引退した。
次にもう一人の選手にも、同じく詳細にメモした内容を渡すと、「やはりそう思われますか。自分でもそうじゃないかと思ったんです。このメモいただけますか・・・」と言った。
しばらくしてその人は、ある光景を目撃し驚いた。
その選手が奥さんを引き連れ、公園でティーバッティング(新聞紙を丸めたものをボール代わりにして)をしていた。
次の日も、また次の日も・・・
その人は近寄りコエをかけた。
「先日はありがとうございました。あのメモのお陰で何とか改善の傾向が見えました。」
その選手は数年後にタイトルを獲得し、引退後は打撃コーチとなり多くの選手を育成した。
コーチとなったとき、「野球選手で成功するには、素直な気持ちが必要です。何でもかんでも聞く耳を持てとは言いませんが、これなんだという、自分だけにしかわからないものって、あると思うんです。それを確信にするには、人の声は大切なんだと…あのメモを見たとき思いました。いまも指導するとき選手に言うんです。オレにアドバイスを求める前に、自分で何かおかしい・・・こうではないのか・・・と、思うことがあるんじゃないかと?それを伝えてくれることにより、アドバイスをしやすいんだよ…って」
同じアドバイスを行ったのに、両者とも素直という点では共通したと思う。
しかしこの二人の選手の大きな違いは、自分を客観的に見れたか見れないかの違いにあったのかもしれないと、感じる。
プロ野球に入る大半の選手は、アマチュア野球で群を抜き、選びぬかれた精鋭たち。
しかし毎年多くの選手が、入団時の脚光とは逆に寂しく引退していく様子を見るにつけ、指導方法だけでない何かが存在するのであろうと、思わされる。
その何かは、自分を客観的に見れる素直さなのか…
赤松に関する東京出稼ぎ4年さんのコメントをコピーし、ある人に見てもらったところ、「恐ろしい内容だな~ここまで分析するとは…この人プロ経験者ですか?」と、聞かれたものである。
私も多くの人にコメントをいただく。
そして、建設的なコメントや有益と判断した場合は、数名の関係者に渡す。
今回のコメントも東京出稼ぎ4年さまに了解なく、提出させていただくことをお許しください。
ニック、永川、天谷、末永、山本、井生に、是非とも役立ててほしいだけに。
私の自宅から会社のある府中町まで行く道中で、前から気になることがあった。
信号機のない横断歩道を渡る学生さんなどに見られる光景なのだが、渡る際に足早に走り、下を向いていることである。
朝のラッシュ時には、車が渋滞しており横断歩道で待っている人を見かけると、親切なドライバーは停車し歩行者に道をゆずる。
その光景は、見ていて気持ちがよいもの…
しかし、その親切心が大きなアダとなる光景を私は過去に2回目撃した。
それは、車に道を譲られた歩行者が勢いよく横断歩道を駆け抜けたその瞬間のことである・・・停止していた車の左側から猛スピードを出したバイクが、何と歩行者をはねた。
そのあとの光景は、皆さんが想像してほしい。(まさしく生死は表裏一体だと思い知った)
今日その悲劇は起こらなかったのだが、気になったのは歩行者が横断歩道をわたる際には、絶対なる安全確認を行ってほしいということ。
車が道を譲ってくれ、それで安心というわけでなく、渡りきるまで安心ではない・・・その向こうには自転車やバイクなどの存在が必ずある・・・ということを周知徹底してほしいと願う。
小学生から高校生までのお子さんをお持ちの方は、特に気をつけてほしい。
特に年頃の女の子は・・・横断歩道を渡る際に恥ずかしさが出るのか、下を向き走ることが多い。事故が起こってからでは遅い。そして最悪命を落とすことになれば、悲劇以外の何物でもない。
親切心がアダになるようなことのないように、家庭のなかで交通ルールふくめ、最低限のマナー教育を行う会話は、どんなに忙しい人でも行ってほしい。
今日から、無駄なアクシデントで人命を失うことのない社会の実現に向け、歩んでほしいと願っている。