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小説…葬儀屋の私が、カープの監督になった

2009年07月29日 09時42分47秒 | 広島

この小説は架空の話です。

登場人物は実在しますが、あくまで推測です。

だから、楽しく読んで下さい。

もし、異論があれば、すぐにやめます。

カープ関係者の皆様…

架空ですから誤解のないようにしてくださいね。

 

 

 

平成21年…広島カープは、新球場完成で大いに盛り上がった。

開幕まもなく、それなりの好成績を残し、セパ交流戦では

過去最高の成績を残し、ブラウン采配も軌道に乗ったと

誰もが確信した。しかし…

 

悲劇は、その交流戦後に始まった。

このシーズンは、当初の予想を覆し、投高打低で推移した。

その予兆は、開幕前の前田智徳の離脱で始まった。

 

前田はキャンプ当初、燃えていた。

しかし…待てど暮らせど、指揮官からレギョウラーの確約が

もらえず、暗中模索の日々を送っていた。

 

たまりかねた前田は、指揮官に打診を決意した。

しかし…その朝、スポーツ新聞に掲載された記事に

大きな衝撃を受けた。

 

「私の構想には、前田はレギュラーとして決めていない…」

 

前田は、その新聞で発せられた、指揮官の言葉に失望を覚えた。

 

「ナゼ…新聞でなく直接話してくれないんだ…」

次第にその思いは、やるせない怒りに変わった。

 

その時、たまたま通りかかった、守備コーチの永田が声をかけた…

「どうしたんない…さえん顔してから・・・」

前田は無言で、その場に掲載された記事を、

永田に見せつけるがごとく置き、立ち去った。

 

永田もその記事を見て驚いた。

 

ナゼなら…昨日までの練習では、まるで今年に選手生命をかけて

いると感じる練習を、前田は行っていたからである。

 

永田は、寡黙とか求道者とマスコミが報じる前田の姿は虚像だと

知人に話していた。ナゼ、前田は誤解されて報道されるのか

不思議でならなかった。

 

それだけ前田は、永田に心を許していた。

 

選手としての実績は、前田にかなわない永田であるが、後輩の面倒見は

コーチ陣の中では、1・2を争う。

それだけ、永田の周りには、いつも選手の輪ができた。

 

永田は前田の胸中を案じた。

「腐らなければいいが…」

 

その嫌な予感は的中した。

 

数日後、コーチ陣に1枚の紙が回ってきた。

「前田智徳…足の治療のためオープン戦は不参加

リハビリ組(3軍)に移動…」

 

永田には、前田の思いが痛いほど理解できた。

「つらいよの…昨年も気力体力充実していたのに、代打屋だった。

トモ…我慢せいよ・・・と言った時のアイツの顔…忘れられんわ…」

 

そんな永田が一度だけ、指揮官に申し出た。

「前田をレギュラーで使ってほしい…それもゲームの流れを読みながら…」

永田が申し出た、ゲームの流れとは…

前田がレギュラーに出ると出ないでは、相手の心理が大きく違う。

前田には、1打席に集中する技術も他の選手とは比較にはならない。

しかし、4打席の打数の中には、前田にしかやれない仕事がある。

それは終盤にもつれた試合である。

前田の打撃センスは球界では一番である。

そのことは、球界関係者の誰もが認めている。

 

永田には、勝ち試合で点差がある場合は、前田を5回でベンチに下げ

休養させ、他の選手にも経験を積まし、競った試合では終盤まで起用する。

その方が、チームのためにも、前田にもいいと感じていた。

その思いを、指揮官にぶつけた。

 

通訳のジョー古川は、永田に指揮官の思いを伝えた。

 

その言葉に、永田は驚いた。 つづく

 

 

 

 

 

 

 

 


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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Yaiba)
2012-11-07 17:01:41
初めまして、Yaibaと申します。
親の影響でCarpファン歴15年です←

すっごく感動しました。
前田様は、誰よりも尊敬してるし、大好きなので
本気で涙出るかと思いました。

続き楽しみにしてます!!
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