三篠の寮に隣接されたブルペン後方に、月ぎめ駐車場があった。(今もあるのか?)
その一角から、黄金期の投手陣が投げ込むブルペンは覗けた。
池谷、北別府、山根などの豪華投手が投げ込み、受ける捕手のミットの音・・・とても響きのいい音、いまでも鮮明に記憶している。
当時の投手コーチは、龍さん(現広経大野球部監督)や大石清さん。
そしてそのなかで、コーチと同じく異才を放ち、選手に気合をいれていたのは、背番号64をつけていた石川ブルペン捕手であった。
この人の的確なアドバイスや、選手の乗せ方には、いま思い返しても凄さを感じたものである。(いまの水本コーチも同じく)
石川さんを初めて見たのは、私が小学5年のとき。
当時(昭和49年)は、いまと同じく20年以上も優勝とは無縁のチームであった。
監督も一年ごとに変わる状況で、負け続けるカープに、ファンのイライラはすごかったものである。
球場で酔っ払ったファン同士の喧嘩。
そして聞くに堪えない野次の連発。
子どもながら嫌な雰囲気を通り越し、恐ろしさを感じた。
当時のブルペンはグランド内にあった。
ピンチになれば、当然中継ぎ投手の準備が忙しくなる。
毎度贔屓チームが、負けの込む内容を見せられ続けるファンのイライラが頂点を極めたのか、そのときある一部のファンがフェンスをよじ登り、履いていたゲタを手にし、石川捕手に投げつけた。
この行為に怒った石川捕手はフェンスによじ登ろうとしたが、他の選手に引き止められ、その光景を見ていた線審が試合を中断させた。
心あるファンや、駆けつけた警察官に取り押さえられた その男性が連行されるなか、一人のファンがネット越しに石川捕手に謝た。
その人は、暴挙を働いた男性と無関係の人だったと思うが、石川捕手は「大丈夫。大丈夫」というようなゼスチャーで返していたのを記憶している。
いつもながら話が横にそれたが、この石川さんの逸話をOBの池谷さんに聞いたことがある。(昨年の3月)
「あの人は本当に厳しかったですよ。でも、結果で物事を見ない人でした。たとえば打たれてしょげ返っている投手には、何で下を向いてるんじゃ。打たれたけど、今日のオマエの投球は責めていた。あの内容なら必ず結果は出る。上を向け・・・とアドバイスしてくれるんですよ。また、古葉監督やコーチ陣の信頼は絶大でしたよ。ブルペンのことはすべて石川さんに任せてましたから。だから黄金期にはブルペンに投手コーチはいませんでしたから。また江夏さんも、私らに言われましたからね。困ったときは石川に聞けと・・・」
いまのカープで、石川さんの役目をするのは水本コーチ。
しかしその水本コーチは、三軍でリハビリ組を担当する長である。
これは推測であるが、リハビリ組に駆け込む選手が多いのは、水本コーチの指導力の良さと人を見る眼のよさかもしれない。
それだけ選手から、信任のおけるコーチがいないのも、カープが低迷する一因なのかもしれない。
最後に定かでないが、石川氏・・・
カープを退団後に、カープOBの方に請われ愛知の会社に就職。
その後、数年前に亡くなられたという噂を耳にしたのであるが、真実をご存知の方がおられましたら、ご一報ください。