約20年前の当時自治体、しかも山江村のような小さな村が225万円を議会を通していくというのは普通にはあり得ないことでした。内山さんは当時は村おこし係の平職員でしたがわたしに村に来てほしいとの連絡をくれた人でした。行ってから制作費が必要なこと、共同制作なのでこちらも遠慮なく村に対して言うべきことは言うし、村も我々に何でも言ってもらいながら創る本当の地域活性化番組を目指していると話しました。正直言ってこの無名の小さな村が予算を組んでこのテレビ局内でも理解しがたかった企画に乗れるとは想像してませんでした。ところが内山さんはその場で「30分待ってくれ」といって当時の村長室に入っていきました。そして帰ってくると「やらせてもらいます。村長のOKももらってきました。」とあっさりと言ってのけました。この日から内山さんとの20年来の付き合いが始まりました。
その後、村人の絶大なる信頼を得た内山さんは8年前に村長選に出て最終的には無投票で2選されました。そして11日、3期目は選挙になりました。そして敗れたのです。経緯は今日は触れませんが、当日の夜、ある方から「万歳です」とのメールを受けたのでTwitterにて3選をつぶやいたのですがその10分後には「負けました」とのメールが入り、慌てて誤報を削除し、謝罪と共に敗れた旨を今度はつぶやきました。実際に現場でも誤って当選と認識した一瞬があったそうです。しかし誤報でした。それを東京にいたわたしがメールで受けてそのままTwitterにつぶやいたのでした。実はこの過程で学ぶべきことがいろいろとありましたがそこはおいおい地域の実情や地域の課題として表現していきたいと考えます。
その夜、敗戦の弁で内山さんは「敗れたからといって相手陣営をどうこういうことは何もない。村民として村づくりに粛々と協力するのみです」というような意味のことを語ったということでした。彼らしい本音と感じます。わたしはどっちに転んでも内山さんは前向きにしか生きていけない人だとわかっていますので心配はしていません。新村長のさらなる村づくりへの精進を願うばかりです。内山さんには「人間万事塞翁が馬」との言葉を贈ります。
@写真は昭和46年から山江村に飼われているクロハゲワシくんです。わたしは約30年前にテレビ局の取材に行って面識があります。内山さんよりも前に知り合ったのです。
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