「ご用聞き」というと子どもの頃よく色々な商売の方が家に来ていました。うちは父はサラリーマンでしたが母が兵庫県加古川市の中心街でお好み焼き屋をしていたので毎日賑やかです。
燃料に炭や練炭を盛ってきていた頃から覚えています。うどんやそばの麺類、酒屋、ジュースなどしょっちゅう色々な方が勝手口から声をかけます。母が留守のときはわからないながらに封筒を預かったり時には珍しいお菓子をもってきてくれる人もいました。母は加古川上流の田舎の山の中から嫁に来ましたが農業が嫌で商売がしたくて父のところに見合いでやってきました。
小さなお好み焼き屋ですが加古川の中心街で駅と商店街を結ぶ繁華街のど真中でしたから地元では「がら」のいいところではありませんでした。銭湯に行けば毎晩背中の彫り物の色々を楽しめるというのが普通の光景でした。そいうおっちゃんが結構やさしいのを子どもの頃からよく知っていました。じいさんの背中を流してあげたりこどもに話しかけたり。大人達が変に無視するのが嫌だった記憶があります。そういう光景が日常だったので大学時代に山口の湯田温泉に友達とはじめて行った時、鳥取から来た子が彫り物をしたおっちゃんたちと一緒になってびびっているのが不思議で可笑しかったのです。
大学を出てしばらく酒屋や土方、キャバレーのボーイ等でぷーたろうをしていて、別府温泉で働くようになったときもスナックで隣り合わせになったいなせなおっちゃんたちとよく飲み明かしていました。ギター1本をもった流しのおっちゃんにもよく歌ってもらいました。今思えばその後たまたま酒の縁で入ってしまったテレビ局で知り合った人達が最も苦手な人種だったのです。
しかしそのテレビのおかげで阿蘇や天草、人吉、山江村の人達とも会えて今があります。昨夜ついにFacebookで住民ディレクターのスタートであった山江村の松本佳久さんとトモダチになりました。人生は面白い!時代は大きく変わりました。
@写真は加古川の路地