パブリックアクセスという言葉は現在はあまり知られてないとおもいます。わたしが15年前、地域づくりのリーダーがIT活用力を備える「住民ディレクター」を発想した時、市民が公の電波(特にテレビ)で意見を表明する権利という少し難しい説明のものでした。
テレビ局に14年間もいたわたしでさえ聞き慣れない言葉でした。米欧では当たり前と聞いてもいまひとつピンと来ませんでした。住民ディレクターはそのころもひたすら手間ヒマかけて安全に作った有機米をどう売るか、若手が次々と出て行く過疎の村をどうしていくかを考え、実戦するために動いていました。
熊本ではすでに12年前から民放で放送枠をもち住民ディレクター番組は夕方ワイドやゴールデンタイムで放送される番組としてすでに確立していました。そのころもわたしたちはパブリックアクセスとは考えず、住民自身が作った番組が地元テレビ局で放送される地域興し番組の認識でした。プロデュースをしていたわたしがこの「熊本モデル」を全国に広めようと列島を行脚するうちに番組の方向性は随分テレビ局寄りに変わってしまったのですが、しかし未だに放送枠は継続しています。
そして今、東日本に必要なことのひとつはこの住民制作番組の放送枠確保ではないかとずっと考え動いています。被災地が自律した情報受発信力を備えること(サポートシステム含め)を前提で考えると、まだまだ現状を発信できていない地域がいっぱいあると感じますし、マスコミの関心も一極に集中しがちです。今こそ「住民ディレクター」の理念で地域復興、地域創造へ動く時です。近隣、周辺地域の人材やシステム環境も整える情報受発信力のシステム化が必要です。基本は人です。復興構想会議に提案すべく動いています。
@写真の本は2002年出版、12章に「IT時代の紫式部と國創り」を執筆しました。