八郎の壷は今見ても小道具とは思えない程しっかりとした焼き物でした。あらためて本物志向の住民手作りドラマだったと感じます。
このドラマは2作目でわたしはプロデューサーとして玉三郎さんで有名になった八千代座での試写会や日テレのドラマ「池中玄太」のプロデューサーを呼んで来てドラマ制作の舞台裏を伺ったり地域づくりに関連する動きを展開しはじめました。シナリオは地元の女医さん、監督は熊襲復権ドラマでもお願いした永村さん、スタッフもこの頃は豪勢でした。
始祖の園田さんは独特のドラマづくりを続けられていましたので県民テレビは二人で手づくりドラマを次々と手がけました。わたしはとにかくドラマが地域づくりになることを実感し、最終的には熊襲復権という重いテーマを面白く創りながら地域コミュニティの活性化になっていきました。そうドラマは現代の神輿だったんです。
フィクションのドラマが見えない形ではあったものの住民みんなで担ぐ神輿のようなものに成っていったのでした。そろそろ東峰村への移動時間です。つづきがまたありそうなドラマの話しでした。