立川談志の田んぼの近くにある観光案内板
春樹の夏の想い出の双璧といえば、間瀬海岸の海水浴と並んで鎮守の杜の盆踊りである。
彼が子供の頃の故郷の盆踊りはとても賑やかであった。
西の山の向こうに陽が沈み、北の山裾から涼風が渡り始めると、近くの鎮守の杜から太鼓の音が聞こえてくる。
「トンツクトントン、トンツクトントンーーーーーーー」
遠くで静かに聞こえ始めたその音は、夕闇の深まりと共に、次第に大きな響きとなって村中の家々に届く。
早めの夕食を終えたゆかた姿の村人達は、太鼓の音に誘われるかのように、カランコロンと下駄の音を響かせて、裏山にある鎮守の杜を目指す。
森の中にある鎮守の杜の広場には、たくさんの提灯に火が灯されて村人達を迎える。
その提灯の輪の真ん中には、高く組まれた櫓(やぐら)があり、村の若衆がフンドシ姿で威勢よく太鼓を叩いている。
その太鼓の音に合わせて、のど自慢のおばさんが民謡を歌い始める。
♪ ハァーーーー佐渡をへーー、佐渡をへーーとを草木もーなびーくよ ♪
「ハァ どぅしたどぅした!」
あでやかなゆかた姿の娘達が踊りの輪に加わり始めると、櫓の上の若衆の太鼓は一段と威勢を増す。
ウチワを片手に遠巻きに眺めていた村の若者達も、一人二人とその輪の中に入って行く。
♪ ハァーーおらが若い頃、 弥彦参りをしたればなーーーー
「ハァ どぅしたどぅした!」
♪ なじょ(女)がなーー見つけて、寄りなれとゆうた(言った)ども
かか(女房)がいたれば ああ声も出せぬーーーー ♪
おばさん達も若い頃を思い出し、しなを作りながら(色気を出しながら)踊り始める。
やがて一杯機嫌のオヤジ達も加わり、踊りの輪は二重三重になり、異様な熱気をはらんで広がって行く。
そして若衆が交代で叩く太鼓の音は、村人が踊り疲れるまで続いて行く。
ところで、その盆踊りは、村の若者達にとって、一年で一番心ときめく一大イベントであった。
田舎の初心な若者達は、踊りの輪を眺めながら、思いを寄せているあの娘(こ)はどこかと興奮しながら探す。
その娘の姿を見つけると、心ときめかせながらその列に加わり、娘の後に付いて踊り始める。そして言葉をかけるきっかけを、今か今かと待つ。
前で踊る娘もやがてその若者の姿に気づき、恥ずかしそうに時々チラチラと微笑み返す。
若者はもう気もそぞろとなり、前の娘のしなやかな踊りをただただ見つめるばかりとなる。
その若い二人の姿は、やがて踊りの輪から離れ、そして森の中へ消えて行く。
盆踊りの夜は、昔から無礼講の慣わしがあった。
テレビもないラジオもない、何の娯楽もない昔の時代から、盆踊りの夜は若者達にとってまたとない、心ときめく夜なのであった。
この日の夜を思い、興奮して幾日も眠れない夜を過ごした若者もいたであろう。
従って、その村に飛び切りのベッピンさんがいたら大変なことになった。
近くの町のチンピラが押しかけてくることもあった。
そして刃傷沙汰に及ぶこともあったという。
盆踊りの夜は、その昔から様々な物語を作り出してきた。
春樹が子供の頃は、そんな時代であった。