クロの里山生活

愛犬クロの目を通して描く千葉の里山暮らしの日々

耕一物語ー生麦の浜

2014-08-23 08:58:41 | 日記

堤防先端の柱に灯る明かりの下を、数隻のだるま船(はしけ舟)がこっちに向かってくるのが見えた。

「耕一、おまえは機関室に入っておれ」

甲板にいた耕一は、機関長にそう言われて慌てて船の中へ入った。

そこは川崎の生麦というところであった。

生麦といえば、幕末に起きた生麦事件で有名であるが、その生麦地域は、戦前より日本でも有名な漁師町として栄えてきた所である。

しかし浜周辺の海は埋め立てられた京浜工業地帯の一部となっており、戦時中は中小の軍需工場が立ち並んでいた。そして、そのほとんどの工場は空襲で破壊され、廃墟となった建物が並んでいた。

またその漁師町は、戦時中の食糧統制の頃から、すでに魚を取引きする闇市があった。だから戦争直後のこの時期には、他に先駆けて、魚を扱う大きな闇市が存在していたのであった。

更には、横浜の駐留軍キャンプに近いことから、その闇市には米軍放出物資(闇物資)も相当量流れてきていた。

そんなところに、愛友丸は何を持ち込んだのだろうか。

 

愛友丸が荷揚げしたのは米であった。

いわゆる闇米である。

その当時、日本人の主食であるお米は全く不足していた。

配給米では全く足りず、都会に住む庶民一般は、闇米を調達して生活していた。

当時の生活を描いた映画やドラマでは、必ずと言って良いほど、列車による闇米買出しの情景が出てくる。

買出しの満員列車に揺られて東京に帰ってきた男や女達が、駅に降り立った途端に取り締まりの官憲に逮捕され、担いできたリュックの闇米を全て没収される。

家で待つ、お腹を空かせた子供達の哀れな姿が映し出される。

混乱の中で必死に生きようとする小市民達の努力は、いつでもそんな結果に終わってしまう。

小市民達だけではない。

東京の裁判所で闇物資犯罪を担当していた山口良忠という裁判官(経済事犯専任判事)は、闇米(闇物資)を一切食べないという生活をした結果、栄養失調で死亡するという事件が起き、世間を驚かせた。

 

そのような御時勢に、いやそんな御時勢だからこそ愛友丸は、貨物船1隻を使って闇米を運んでいたのである。

大胆といえば大胆である。

才覚のある人間であれば、その程度のことは思いつく。

しかし、それを実行するとなると度胸がいる。

闇米に限らず、闇物資の運搬が発覚すれば即逮捕拘留され、二度と船には乗れなくなるであろう。

しかし、成功すれば「一攫千金」の世界だ。

一度やって成功すれば、もう止められなくなってしまう。

耕一は、そんな船に乗っていたのである。

 

 

 

コメント (5)
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