癒しの森 湯布院(仙人の健康相談室)  


人を、そして自分を癒し真なる喜びをもたらす
   
        人生の生き方を学ぶ 癒しの森湯布院

NO647・・・ババとのコネクト行

2022-06-16 | 聖者

 一か月間日本人3人の為だけに私のエネルギーを使うと外人の前で断言しました。これは打ち合わせもなく、急な事で私たちも外人も「ええ~」と大きなどよめきがホールに響き渡りました。まさか、本気ではないだろうと思っていたら、本当に実行することになるのです。このように、時として予期しない事を起こすのもスワミの特徴で、一度決めたら外人が何を言おうが去って行こうが続けるのが、スワミの怖さでもあるのです。

 

 翌日から、実行されることになりました。スワミが「ウッシー、ウッシーと呼びます。」ババステージに上がってアビシエイクを手伝えと呼びます。また、ウッシーウッシーと呼びスワミがシャクティーパットをします。ウッシー、ウッシーデーが何日か続く内に正観さんはイライラが募って行きます。それまでは、どちらかというと正観、正観とスワミに一番愛され、それが当然と思っていた正観をいたぶります。

 

 外人も同じで、日本人グループが形成されるまでは、外人主体だったのが天地がひっくりかえったので動揺を抑えることが出来ません。1週間たっても外人には目も触れず、ウッシー、ウッシーですから、正観も外人も発狂寸前です。ババクロスをウッシーに掛けます。少し時間を開けて正観に掛けます。今度は私の番かと思ったら来ません。ほうほう、少し正観をなだめ、今度は私をいびりに来たか?スワミの考えが読める私は動揺しません。

 

 これだけで、多くの人は、我慢の限界ですからスワミに良いように揺さぶられ。特にアメリカ人はもろいですね。忍耐がまったくないですね。それを観察するの楽しく行も行いながら、目は外人たちに向いていました。大きな行は毎日朝ババ像のアビシーエクをすることで、外人と合同行の時は、日本人中心で行われました。ババステージにはスワミの許可がなければ上がる事は出来ません。ましてアビシエーク(ババ像を洗い清める)なんか、外人が何年滞在しても許可は出ません。

 

 それを毎日することが出来るのですから、羨ましい、羨ましい、で気が狂いそうになるのは当り前でしょうが?私には苦痛が起こり始めていました。たまになら、感激もあるのですが、毎日となると修行ではなく、仕事をさせられているように感じるのです。なんや!罰則行やないか?というと、ウッシーは罰が当たりますよという。2週間経った頃、我慢の限界であろうか?外人たちの行動に変化が現れ出した。

 

 ホールで瞑想する外人の女性たちは、集中して瞑想が出来ない。ソワソワとエネルギーが粗くなっていくのが、コチラまで伝わる。今日はババに掛けていた大きな花輪が私たちに掛けられている。こんな行は、外人にはあり得ない事であり、見たこともないであろう。遂に、大口献金の大男が切れた。歩く音がホールに響き渡るようにドンドンとわざと音を立てて歩く。この大男はアメリカでかなり大きな会社のCEOをしていたのだが、会社の持ち株の半分を売却し、60億円を手にした。30億円を妻に贈与し、親しい人とアシュラムに滞在している。その時スワミに5~6億円献金したと噂されていた。

 

 その時、想像であるが、スワミは「おお~サンキュー、サンキュー!このアシュラムは、お前の物だ。大男アシュラムと名付けよう、好きなように使えば良い」とでも、言ったのだろう。この言葉は、この後の修行中に良く聞かされたので、インドでは普通に言われている事と思う。が、本人は信じたのだろうか?常に横柄な態度を通していた。この行のもう一つの目的は、私たちが天狗になるのを戒め、天狗になった外人たちの鼻っ柱を叩き折るのが目的の一つである事に、私は気づいていたので有頂天になる事はなかった。

 

 翌日長期滞在者の全員がガーデンに集められた。「私は日本人に一か月間全てのエネルギーを使う行を行っている。後2週間続ける。」そこで、また大男がブチ切れた。「スワミ、おかしいじゃんけ、俺たちは何のために滞在しているのだ。俺はもう我慢の限界だ。ちびの日本人どもを追い出してやる」みたいな事を言ったのであろう。スワミは怒った。「ここは、私のアシュラムだ。私がどうしようが、私の勝手だ。文句がある奴は今スグ出ていけ。」周りはし~となる。ドイツの女性は成長ホルモン入りの牛乳の為かでかい。アシュラムの部屋の前に置いているサンダルに足を入れたらぶかぶかだ。それがシーンと首を下げる。180cmはあるドイツ女も小柄(173cmくらい)のスワミには、たじたじだ。スワミが24~5歳ころの事であったが、エネルギーのせいか、大男も大女も子供みたいに見える。この私でさえ、エネルギーに圧倒され、息子と同じ年齢のスワミに頭を下げる。これがエネルギーだとエネルギーの凄さに逆らえない時がある。

 

 いくら大金を献金しようが、スワミはやる時はやる。これが怖いのです。ある程度までなら許されるが一線を越えるとやられるのです。一か月は長いですね。この期間ありとあらゆる行(ビブティーを全身に塗るや特殊オイルを第三の目に塗って頂くや)で浄化して、最後の仕上げは、ババステージの上で一晩ババマントラ瞑想を行い、ババと完全に繋がる事でした。私には、苦行でした。周りから見れば、一生に一度もないであろう特別行が苦痛でした。

 

 私は、瞑想では上がれない事になっていたのでしょう。人が絶対やれないセバ行でババのハートを掴むように生まれてきたのでしょう。特に私と正観は不真面目でした。3人で一緒に、必ずしなければならないマントラ行を3人は部屋で行っていました。ウッシーは、正観に怒ります。正観さん、真面目にちゃんとやって下さいよ。「わかったわ~」と言いながら、ベッドでジャパマーラーを繰っていましたが、2分後には、いびきが聞こえ始めました。駄目だ!こりゃ~、やっぱりとウッシーと私は目を合わせたのです。

 

 今、湯布院アシュラムでは、月に一回、特別行の資格者にババ像の横で二晩寝る行を行っています。これは、インドで私が授かった行を日本で行えるように回数をかけながら行っているのです。


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NO646・・・アートマリンガム

2022-06-15 | 聖者

 アートマリンガムとは、アートマが魂であり、リンガムはシバ神の男根の事を言う。これを象徴した物質が卵の形であり、これを再現するために聖者の胃の中で創造(クリエーション)される。アートマリンガムは、聖者の子供とも言われており、聖者の魂を引き継いだ子供と一緒に修行できるので、最高峰に近いものと言われており、これを手にするには、流れ星に当たる確率くらいと言い伝えられているのです。

 

 毎年、2月のシバラトリ祭の夜に世界中から集まった信者の前で行われる一大イベントであり、実際多くの人が集まる。アートマリンガムは聖者の胃の中で聖者の魂を削りながら長時間かけて育てられるマハーアートマリンガムと年12回は出すことが出来るアートマリンガムの二種類があり、違いは短時間で育てるか?時間をかけて育てるかによって、その意味は変わる。

 

 マハーアートマリンガムが聖者の子供という事になるのであるが、今は曖昧になっている。インドで行われる一大イベントであるのは確かであるが、聖者の全ての人が出来るのではなく、南インドのアーンドラ・プラデーシュ州で活躍する聖者に偏っている傾向が伺える。それも多くの聖者ではなく、本物のは7人くらいと言われているのだが、その祭典に参加する外人が増えた頃からは、インドの各地で行われるようになった。のだが、その殆どはインチキである。

 

 店には多くのリンガムが売られており、中にはそのリンガムを購入し、口に入れて吐き出す仕草をする聖者だらけである。それがインドでは当たり前なのだ。今が大事なインドでは、今、如何にして喜んで頂けるしかないのである。多くの人が集まって来るので、その人達を悲しませたくはないので、インチキでもなんでもするのです。それがインドの文化だと何度でも言わせて頂きます。

 

 アーンドラ・プラデーシュ州はサンスクリット語とほぼ同じ言葉が使われており、マントラの多くはサンスクリット語であるので、サンスクリット語を理解しなくては、マントラの効果も十分でないという。スワミは良く、ウッシーにサンスクリット語を勉強せよと言っていた。私には無理だと思っていたのだろうが、一度も言われた事はない。良い見方をするなら、そんな時間があるなら、セバに徹しろいう事なのだろう。

 

 そのセバのお陰か、誰よりも多くのグッズや法を頂くことが出来た。アートマリンガムも金・銀・黒・クリスタルと全部頂いたのは、私だけである。このアートマリンガムは魂のエネルギーを、スワミの想念によって創られるので、スワミが金と念じ続ければ金のアートマリンガムが出来る。それから、考えてもわかるのであるが、育てる時点で誰に渡すかは決まっているのでありますから、期待して集まる人の期待は裏切られることになる。

 

 そして、これを拝受される人は、スワミの心を掴んだ人で、将来的にババのお役にたつかどうかで決められる。私たち3人か外人で言えば本を書く人やババを多くの人に知って頂く活動をしている人に与えられる。ので、いくら多額の寄付をしても拝受されることはない。現実に大口献金の大男が拝受されるのを一度も見たことはない。その難しい事を、私は日本人に20個以上拝受させたのですから、外人はその力に恐怖を感じる共に嫉妬心のネガティブがアシュラム中に放出されていた。これほど外人のネガティブを受けながら交渉しいるのに、日本人からは感謝の気持ちは伝わって来ない。お金で買えるくらい思っているのか?スワミのハートを掴んだと勘違いしているのか?色仕掛けが通じるような甘いスワミではない。

 

 やっぱり簡単にやるべきでないと思うし、それかと言って、私に襲い掛かるネガティブに耐えきれない時もあった。ある時、私はスワミに隠れてくださいとお願したことがあるのですが、「何故だ~!これはインドでは一大イベントであり、全員の前で行う事によってネガティブを吹き出す大事な行事なのだ。」と言って最初は何回か断られたが、その内、実情を察知したスワミは、陰で出して頂けるようになった。金と銀は陰で頂いたものであるが、生徒からネゴシエーターに変わった頃、スワミはこのように言った「KEZOお前たちは、生徒でなく、私の横で指導者になる工程を歩み出したのだから、物に執着してはならない。与える立場にならなければならない。お前より必要だと思う人が現れたら、その時は手放さなければならない。決してグッズのコレクターになってはならない。」と言われたのです。

 

 ええ!スワミの子供であるアートマリンガムも手放して良いのですか?「そうだ、何もかも全てだ。その代わり相手を見なさい。与えるに相応しい者か考えなさい。特に私の子供を渡す人には十分気を付けなさい。そして物に対する執着を切っていくのだ。それが出来れば、お前が思う事は叶うようになるだろう。!」この時、スワミのサンカルパ(想念の力)が私の魂に植え込まれたのです。「思えば、叶う力」が与えられたのです。その条件として、どんなに大事なグッズでも手放さなければ叶わない事が、設定されたのです。

 

 今回もプログラムが成功してババの献金が出来ますようにと祈りながら、その後協力者に渡していき、私の手元になくなるか、どこに置いたかさえも わからない状況ですが、どこか探せば出て来るかも知れない。ですので、一度手元に届いても誰かに回すわけですから、私が拝受されたのではなく、日本人の誰かに渡る物だったのです。

 

 アートマリンガムを拝受した日、数人の外人の女性から見せて欲しいとお願いされた。OKと言ってその人の手に握らせた。握らせてくれることにビックリした彼女は、有難うといって涙を流していた。順番に好きなほど握れば良いと自由に使わせていた。私は、彼女に外人も拝受されているのに、彼にお願いすれば良いでは無いかと尋ねると、今まで一回も見せてもくれなかったという。隠して自分だけでこっそり拝んでいると言った。これが外人の勝手主義なのだろう。外人はアートマリンガムを授かる時、これ見よがしに大きなゼスチャーで拝受される。

 

 有頂天な者が、同じ国の人にも触らせないで、見せもしないで、ババのハートを射止めることは出来まい。拝受された意味さえ理解していない。マヌケばかりだから次から次に日本人に拝受される事になったのだ。その後一人一人に第三の目にシャクティーパットをしてあげたら、その光景を見た多くの外人が押し寄せて来て全員に行ったのであります。ある者をマリア様を見るように涙を流して私を見つめていた。その時は、私も聖者気取りで心地良かった事を思い出す。こいつら、全員俺の弟子にしてやろうかと悪の囁きが聞こえたが、英語が出来ないので無理。英語が出来なくて良かったと思う。

 

 日本では、女房と義理の母が会話している。女房に義理母は言っている。最近頻繁にインドに行っているが、インドに愛人が出来てるんじゃないか?その内黒い子供を連れて帰るかも知れんでと、女房を脅している。女房は、日本にもいるかわからんし、黒い子が増えるだけでびっくりもせんは、と言っている。私は黒いのではなく、白いのかも知れんぞと言っている。本当に英語が出来なくて良かった。良かった。

 

 アートマリンガムは胃の中で魂のエネルギーで育て、臨月の日の夜に牛乳を飲み咽喉で物質化して吐き出す。ある時、どう間違ったのか?横向きに物質化をしたのだろうか?リンガムはやっと出したが声が、出ないスワミは、私の方を見てウーウー言いながら来いと手招きしているが、私の横にいる者との境界線があいまいで、行きたくて、行きたくて堪らないが、行けないという苦しみが私に伝わってきた。私は、彼の背中を押した。そして有頂天にさせた。後からこっぴどくスワミから怒られた。「お前に来いと言っただろう」とこっぴどく怒られた。アートマリンガムは誰でも良いわけではないのだと怒られた。私は隣の人のネガティブに負けた。が、後悔はしていない。所詮、物だと自分に言い聞かせ、その気持ちだけで十分だとババとスワミに感謝した。


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NO644・・・チケット紛失

2022-06-13 | 聖者

 ミート&ミートのイニシエーションが終わって数日間アシュラムに滞在した後、正観さんと二人でバンガロールに向かい買い物などして帰国することになった。日本に帰ったら仕事が山積している。社長業とセバの二足のわらじを履きながら、気の里(栃木県にあった合気道の治療法)で行われるスクリーングに年4回行かなければならない多忙な時期であった。

 

 バンガロールに着きホテルで帰りの支度をしている時チケットがない事に気が付く。当時のチケットは今の様にパソコンで打ち出すものではなく。小さな字で注意事項や説明文が書かれた綴りの中の1枚になっていたのであるが、その綴りの中にチケットが入っているとは知らなかったゆえに、チェンナイのホテルで整理しゴミ箱に捨てたのであり、今の今まで気が付かなかったのであります。私の頭の中のチケットは、映画館の入場券などの少し厚めの物と思っていた。

 

 どうにかなるさと、空港カウンターに行くが再発行は出来ないという。そこで困った二人はシンガポール航空の事務所に行き、説明するが、再発行は警察の証明がいるとのことで、近くの警察署に行くと、担当部外だとのことで違う警察に行くように促される。そして、行き説明するが、ここでも担当外だと言う。空港で失くしたのであれば空港警察の担当だから空港に行けと言うが、失くしたのはチェンナイのホテルである。失くしたというより間違って捨てたのであるが、どうも警察はやる気がないようにも見えるし、違う意図があって、たらい回しになっているように直感が働いた。

 

 二度目に行った警察の所長の仕草というか言葉がどうも引っかかる。お前たち、コーヒーと紅茶のどちらが良いか2~3度聞かれたことが気になる。普通コーヒーとか紅茶を出すだろうか?何か机の引き出しを開けたり、ポケットに指で物を入れる仕草をしたりと、普通と違う仕草だったことを思い出し、もう一度その警察署に行くことにした。そして、どこの警察も駄目だったことを告げると、そうだろうというような顔になり、また、コーヒーか紅茶のどちらが良いか尋ねる。

 

 これは賄賂の隠語だと気が付いた時、2~3人いた部下を部屋から出るように指示した。これで間違いないと確信した二人は、いくらが相場か分からないので少し多めと思われる1000ルピー(2000円)を小さく折り畳み渡すと、ちらっと見て胸ポケットに入れた。このような事が結構あるのであろうか?紙とペンを出し、それでどうした?ほ~チケットを失くしたのか?それで空港で失くしたのか?OK,OKと言いながらすらすらと書きていく。こちらのいう事は嘘であろうが、何でも書いてくれる。

 

 後から考えたのであるが、空港事務所と警察はグルではないのだろうか?本当ならシンガポール航空などの信頼のおける航空会社なら事務所で対処出来るであろうに、航空会社と警察の癒着のシステムだと思った。こちらの言う通りに書いて頂ける警察の証明書が何の役に立つだろうか?警察の印鑑一つ押しておけば良いのであり、文書は何でも適当に書いて置けば良いのではと思ったが、それがなければ帰ることが出来ないので賄賂も仕方ない。

 

 このようにインドの公務員は給料が安い故か賄賂だらけである。車の免許がなくても運転する。たまたま検問にあったら賄賂。なんでもワイロ、ワイロ王国である。そして権力は絶大である。別件であろうが、なんであろうが、自分の気分次第やワイロでどうにでもなる国である。日本の常識で考えては、インドでは暮らせない。インドだけでなく、東南アジア全ての国は似たかよったかである。

 

 ゆえに、権力に逆らったら大変になる事は想像できることであります。とにかく日本に帰ることが出来たのでハッピーだと思わなければならない。そして次の準備というか仕掛けを始めなければならない。スワミもインド人だから、インド人になったつもりで、インドの聖者から考えたプログラムを考えなければならない。すべては、ババの指示によるババの為の使命を果たさなければならない。寝る間も惜しんでやらなければならない。

 

 過去を振り返って分かる事であるが、当時は本当に神がかり的に全てが上手く行っていたように思う。4人が一体になって前に進む目に見えない力に操らていたように思う。この4人のチームワークがなければ、とても達成できなかったであろうことが達成できたのは、自分たちの力だけではなく、裏で応援して頂ける力があっての事だったのだろう。神の為に、神から見た行動を常に行えば神は力を貸してくれる。神から離れて私利私欲で行えば流される。

 

 自分の為ではなく、人々の救済を無償で行えば神と一体になれる。これらを通じて確信していく事が、行の成果であり、一番難しく、一番苦しい道が、神と一体になれる事を身をもって掴むことになる。そしてずっと神と共に歩くことが出来る。無償の救済が菩薩様で、無償でなく営利を目的にしたなら流される。表裏一体である。私たちは一生賢明に無償で行って出来上がって行くと、苦労をしない人の口から、ビジネスという言葉が出てくるようになる。これが別れの時で、その場所にいては、自分も腐っていく。一生菩薩行に徹し、神と共に歩きたいものである。スワミはセバ(無償の奉仕)に勝る修行はないと常々言っていた。それを通した結果ババは私の魂の中に安置して頂けた。

 

 苦しい時もあった。人より多くの苦しみを味わった。その時は苦かったが、今は甘く感じる。その苦しい中を4人タッグで乗り越えた。今、思えば史上最高のコンビであった。世界一のコンビだったと思う。「縁とは、会うべき時期に会うべき人に出会うという。偶然ではなく、必然的に出会うという」。ババによる神縁であったと確信しているところです。

 

 

 


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NO641・・・ダブルブッキング

2022-06-10 | 聖者

 当時私たちは、成田か関空に集合し、不慣れなため、馬鹿の一つ覚えでエアーインディア航空でインドに向かっていた。ルートはその時一番安い団体割引で行っていたので主に3方面から向かう事になる。チェンナイ・バンガロール・ムンバイの3方面が多かった。当時の空港は、今の様に世界の主要空港に見劣りしないレベルではなく、日本のちょっと大きな地方空港並みで、設備もびっくりするようなレベルであった。

 

 トイレには、必ずカーストの低い少年かおばさんがいて、用を済ますとチップをねだる。便器の横にはバケツが備え付けられていて手桶がある。インドの排水管は小さいために、トイレットペーパーは使用禁止の為、左手で洗わなければならない。初めての時は、その作法というか洗い方が分からない為、難儀したものである。インドでは経済急成長の時であったのだろうが、何回か行くうちに空港内はタバコを吸う事が禁止された。これは飛行機内もそうであるが、エアーインディアは最後まで頑張ったが、時代の流れに逆らう事は出来ず、世界の全機で禁止されることになる。

 

 この後も、私と正観は空港に着くたびにトイレでチップを渡し、吸い続けたので余り困る事はなかった。チップでどうにでもなった時代が懐かしくもあるのだが、空の国境というものがあるらしく、国境をまたぐとその国の法律が適用され、インドに入るといきなり、上から大量の蒸気(殺虫効果のある天然植物の燻煙剤?)が噴出してくる。そして床はゴミだらけである。インド人に言わせると、カーストの低い人の仕事を作って上げているのだという。本当だろうか?

 

 また、びっくりしたのは、当時は重量制限が今ほどは厳しくなく、カウンターに並んでいるインド人の中には、TV・電子レンジなどの大量の荷物を持ち込むために、職員と言い合う光景を度々目にする時代でもあった。一番困ったのは、良く飛行機が欠航になる事である。その理由は決まって故障したので、部品がインドから送られて来ているので、今日は飛べないという。

 

 明日には、飛ばすことが出来るので、今日は近くのホテルを用意するので、ホテルに待機して欲しいという。これが2~3度あったので、突き詰めると押し問答が始まる。お前たちは、何でそんなに急ぐのだ。「大切な行が明日から始まるのだ。それに遅れると参加することが出来なくなる」できなくなったら、何故?困るのだ。「自分にとっては、これは、とても、とても重要な行で大金を振り込んでおり、それが没収され無一文になり、家もなくなるだろう。そして離婚になるかも知れない。「それで、困るのか?」困るじゃないか?あんただったら困らないのか?「私、私はその時考えるので、質問されても答えようがないよ。」

 

 これが、インド人でインド人は、今を大切にする民族で先の事など心配しないので、永遠に押し問答でラチがあかないので最後は根気負けである。聖者も言う「今」が大事で今をいかに楽しく生きるべきかという。霊性修行の奥義は、今をいかに楽しむかであり、将来の事を考えることなく、今の瞬間を楽しめと言う。これも分かるが、日本で生活する上において難しい。明日会社が倒産するかも知れないし、首になるかも知れない。老後はどうなるか、心配で心配で仕方ない。物語にもあるが、いつか空が落ちて来るかも知れないと心配になり、毎日空を眺めていた人もいるという。

 

 つまりは、なった時に考えれば良いと思うのがインド人であり、現実にありえないことまでも心配するのが日本人という事になるのですから、永遠に妥協点はないのであります。何のことはない。インドを知り、多くのインド人を知る事によって分かった事であるが、欠航は、飛行機の故障ではなく、当日の乗客が7割以下だったので、一日送らせて翌日の乗客と一緒にして飛ばす為の方策であった。つまり7割以上になるまでは飛行機は故障なのであります。飛行機に向かっていると、先日の職員と出会う。お前ニコニコしているな~。昨日は苦虫を潰したような顔で俺に文句を言っていたが、今は嬉しいだろう。な~何も心配はいらないさ。すべては、神に任せておけば良いんだよ。今を楽しめ。じゃあ~な。全然反省もしていない。その飛行機のパイロットは神の像にプージャをして出発である。

 

 チェンナイ空港に降り立つと、インド独特の臭いが充満している。外に出ると乞食だらけで糞尿の臭いが漂っている。また空港の前には、アンバサダーという国産のタクシーで埋め尽くされている。アンバサダーは800ccのディーゼルエンジンなので雨の少ないインドでは100年持つという。たまに日本で30年前に製造中止された車も見かける。大概空港に着くのは、深夜であるので、深夜のインドは暗く乞食が徘徊しているので女性の一人旅は恐怖の連続であろう。男でも一人の時は、恐怖を感じる時がある。

 

 チェンナイ空港は、確かドメスティック空港は近にくあったような記憶があるのだが、国内線に乗り換えてバンガロール空港に向かう。バンガロール空港から目的地のアシュラムは約3時間である。空港でプリペイドタクシーに乗り、目的地に向かうのであるが、必ず一番にガソリンスタンドに寄って自宅に行き、それから目的地に向かう。遠い場合は、自宅で食事をして向かう。5分待ってくれが30分は普通である。これも慣れなければインドでは生活は出来ない。

 

 グループで参加していたある時、帰りの飛行機がダブルブッキングで乗れない事があった。バンガロールからムンバイで乗り換えて日本に帰る便に乗れないという。この時国際派弁護士を目指している弁護士の先生が参加していたので、交渉をお願いするがラチがあかない。日本でならどうにでもなるが、インドではどうにもならないという。

 

 向こうの条件は、違う飛行機会社のチケットを抑えているので、そちらで行けと言う。ムンバイ・成田。ムンバイ・関空行きの時間に間に合う最終便を抑えているという。冗談じゃないぞ。こちらはムンバイでホテルを抑えており、シャワーを浴びて休憩して乗るのだ。ボケ!私は、日本語で通訳に言うので罵声を浴びせるが、馬耳東風である。それが、どうした。日本の乗継便に間に合うようにしたのに、何の文句があるか?向こうも負けてない。ホテル代を出せ。オラ知らね~で終わり。

 

 このからくりは、私たちの格安チケットより、当日客の高いチケットでも欲しい客が現れたので、こちらをライバル会社の最終便に回し、差額の利益を得たのです。インドには信用とか約束という文化は無いのであります。その時、通訳をして頂いた弁護士の先生がバンガロール空港で不思議そうに私に打ち明ける。KENZOさん、この箱なのですが、スワミにバラ園に呼ばれ、バラの花を私の目の前で一輪入れたのですよね。そして、次に来るまで開けてはいけないと言われたのです。最初は、振っても花ですから、音はしなかったのですが、空港に着いて振って見たらコロコロ音がするので、我慢できず開けたんですよ~。そしたら、花は無く、指輪が一つあるんですよ。こんな事って考えられますか。?????二人とも、首を傾げながらう~ん。


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NO640・・・コンコルドの行

2022-06-09 | 聖者

 アシュラムの長期滞在者向けの行でコンコルドコース行が始まる事になった。このコンコルドとは、当時世界で一番大きい飛行機で一番早いと言われていたジャンボなヨーロッパの飛行機で注目されていた名前をもじって付けられた。魔界を抜けて神の世界に向かう11アローの完成行で、それまでの行の達成度によって人選され、選ばれた人だけがコンコルドに乗れるという行であった。

 

 ホールの窓はすべて閉じられ、皆立ったまま目を閉じ下を向く、音楽が奏でられる中、スワミは前から後ろに移動して行き、乗れる人の頭を触っていく。みんなのドキドキの気配が充満している。私たちは、スワミの手法を知っているので、別にドキドキもしないし、選ばれないだろうと予測していた。案の定、スワミは私の前をすり抜けて行く。皆が終わった後、窓は開けられ、選ばれなかった者は座るように命じられる。

 

 わ~と、どよめきがホールに響き渡る。スワミの揺さぶりが始まる。約100人の中の半分が選ばれた。この半々の心境をスワミは喜んでいるのであるが、選ばれなかった人は気が気でない。コンコルドの行の真髄はこの時、すでに行われているのであるが、選ばれなかった人は嫉妬心が彷彿している。選ばれた人は天狗になっている。この真我にあるドロドロ(邪気やカルマなど)したものを噴出されるのがスワミの手法である事を知らない外人は、ざわめく。

 

 スワミ何故、私は乗れないのですか?どうしてですか?とスワミに食い下がる。それは、そうでしょう。このコンコルドに乗る事ができれば、一気に悟りの完成である。外人は法を知らない。その知らない外人の修行は聖者に縋るだけである。然し、法というものは、伝授がなければ実はならないのと同じく、実をならせるには種を植えて頂かなければならない。

 

 種がない土にいくら肥料や水をやったり草をとっても、秋には収穫できない。スワミは言う。マンゴという種を蒔けばマンゴしかならない。リンゴの種を蒔かなければリンゴは出来ない。キューリの種を蒔いてナスは出来ないのと同じく。物を作るには、種が必要だと言う。そのコンコルド(悟り)の種を何時、外人は植え付けて頂いたのだろうか?種は買うものである。何時買ったのだろうか?

 

 長期滞在して、スワミと過ごし、瞑想が全てと思っている人に、スワミは種は売らない。それを理解し欲しがる日本人にしか売らない。その日本人の中の半分しか理解してないが、グループで交渉されるので売らない場合にはいかない。その頃アシュラムのアパートは二階の工事が始まっていた。そのアパートが見えるガーデンに移動し、いよいよコンコルドに乗る説明をしている時に、ビルゲイツ風の例の大口献金の大男がスワミに迫る。

 

 スワミ何で俺が、昨日今日来た女・子供と一緒の飛行機に乗らなければならないんけ。おかしいじゃんけ。日本語流に言えばこのような質問をした。ごもっともな質問である。この質問を考えれば分かる事であるが、長年の修行は無駄であるという事になる。この飛行機に乗る事が出来れば20年瞑想した人と同じだと言う事になる。これが法の伝授なのである。その法の伝授を行うには、スワミが魂に蓄えたエネルギーを移すことによって出来る。この伝授に必要なエネルギーがどれだけ必要かで伝法の重さ(大伝法・中伝法・小伝法)が変わる。

 

 例えば、スワミは10トントラックを動かすに必要なエネルギーを持っているとする。私達は軽四のバッテリーである。10年瞑想した人は1000ccのバッテリーになっていると仮定しよう。その1000ccのバッテリーにする伝授があるとすれば、それをして頂ければ、10年分の瞑想と同じになる。コンコルドに乗るには、5000ccのバッテリーを持つ人しか乗れないとしたら、100人分伝授することがスワミは可能であろうか?私たちは、それを知っているので、最初から外人向けの退屈しないようにする行だと思っていたので、選ばれない事は予見したので落胆などなく、外人の動揺する姿を楽しんでいたのであります。

 

 結局は飛ばない飛行機に全員乗る事になったのであるが、例の大男の質問の答えは、一瞬、間を取ったスワミの口から発せられた。大男!お前はファーストクラスで女・子供は貨物室だ。これで大男を黙らせたのはスワミのエネルギーの為す業か?本当に現実的にそれが可能だったら、私は車輪を収めるところでも羽にぶら下がってでも良いと思った。行くまでは苦労するであろうが、着いたところは同じ神の世界。これが法というものなのです。

 


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NO638・・・グルパランパラ

2022-06-07 | 聖者

 スワミミートを使って行われた水中伝法が終わった後、スワミは、アシュラムにトンボ帰りした。アシュラムでは、水中伝法を授かれなかった日本人グループや多くの長期滞在者の外人が待っている。特に外人は、日本人とスワミが居なくなると気になって、気になって仕方なくソワソワする。スワミが肉片を取った後は、ピンポン玉くらいの窪みになっていたが、それでも静養できずに帰らなければならない。

 

 私たちは、ハンピで一泊し、観光する暇もなく、プログラムを次から次に遂行していかなければならない。が私たちより、主役のスワミは大変だったろう。が、これも使命である。ババに与えられた使命である。グルパランパラとは、インドだけの伝統ではなく、日本にも存在している継承の方法であるのだが、多くの方は、霊性修行を誤解している。

 

 ある日、一人の日本人男性が、スワミに質問した。スワミ、霊性修行にはお金が必要ですかと尋ねた。当然、スワミの答えはノーであります。実際、長期滞在の外人は1000ドルの参加費を支払って、何か月も滞在して修行をしている。それに部屋代と食事代を支払えばよい。ようは修行の仕方であろうし、何を目指すかによって違うので、答えはノー以外ないのであります。

 

 サドゥーは乞食同然で修行している人が大半であります。私がヒマラヤで修行していた時、30分水中に潜ったままできる伝授をする聖者がいた。その伝授を完成させるのに半年間グルと生活しなければならない。とのことであった。ホテル代食事代交通費などの全ての経費はこちら持ちである。そして、成功した暁には、それなりの謝礼をしなければならない。これが普通なのです。奥義を習うという事は、そのようにしなければならないのです。

 

 日本でも、同じことが行われている。家元制度で継承されている、生け花や舞踊や弓道・柔道など道で呼ばれるものがそうである。道とは、魂が神や仏に向かう道の事であり、穢れや邪気を抜いていく方法である。変わったものに、任侠道と呼ばれるものがあり、「弱き者を助け、強気者を挫く」と聞けば分かるであろうが、ヤクザの世界である。この発祥は、「テキヤ」と呼ばれる、神社で行われる祭りの店を出してる人たちの組織である。

 

 たこ焼き屋やイカ焼き・焼きトウモロコシや金魚すくいなどを行う人たちの組織であるのです。この「弱気を助け、強気をくじく」精神を養う修行の場所でもあるのです。この組織には、序列があり、新人はトイレ掃除からスタートし雑巾がけ2年が普通で、それを通して精神の重要さを学ぶ。そして、この組織には縄張りというものがあり、違うテキヤが仕切っている場所を犯してはならない事になっている。この縄張りは、インドにも存在しており、後にスワミと私たちは、このしきたりによって命を狙われることになるのです。

 

 家元制度にもグルパランパラ(師から弟子に、そして弟子から弟子へ引き継がる継承方法)にも当然秘密の教えが存在し、それは決して表に出すことが出来ない掟によって成り立っている。特に裏で引き継がれている教えは厳しい。これを裏密教や裏千家と言われるのであろう。ゆえに師匠から表に出てない裏の教えを授かり、それを継承していく人に選ばれた人の修行にお金が必要なのは当たり前であります。

 

 スワミの肉片が50万円でした。これがジーザスやババやブッダだったら貴女はいくら払うでしょうか?この価値が分からない人は、外人グループと一緒に修行すべきと思うところです。何を目的にインドに行くのか?そして、多くの人がインドを目指したのか?正観さんの師匠もインドで修行しました。ただ修行しただけでは無意味なのです。法を求めなければインドに行って修行の真似事をしただけになるのです。

 

 その法をスワミは持っているのですから、当然あらゆる手段を用いて入手すべきなのです。それも短期間に、出来る限りの方法を模索し交渉するべきなのです。法は魂に刻まれた種と同じです。道とは、この種を植えて頂ける聖者や場所にたどり着く道なのです。その種の在りかにたどり着く方法は、心と教えているのです。邪念を捨て我欲を捨て純粋な心を養わなければ、魔に退治される道なのです。ちょっと人より上になると天狗になる人が沢山います。傲慢な人を天狗とも言います。傲慢になる事なく、時期を待ちながら、謙虚に修行し続けなければならないのです。

 

 ゆえに道は永遠に続くのです。その道は世界に通じているのです。ですから、本気で道を求めるなら日本にいても自宅でも出来ます。困った人がいたら、見返りを求めないで助けることも修行(菩薩行=私も一生菩薩行)です。この意味が真髄から理解でき実行できるように行うのが真の修行なのです。ゆえに、スワミはブロックしているのがお金だから、お金の執着を断ち切るためにも無料では教えないと言います。

 

 私は、スワミに尋ねました。スワミ、インドには沢山の神様グッズが売られています。中には法外な値段の物もありますが、私たちがグッズを売る事をしても良いのでしょうか?「OK、何も問題はない。お金がある人は、それを求めるだろう。そのお金を堕落の道に向かわせないためにも、神様に向かわせることが大事だ。」ある時、一人の好青年がスワミに相談しました。

 

 私の将来に悩んでいます。私は今のまま会社に残るべきでしょうか?それとも霊性修行の道に進むべきでしょうか?一流大学をでて一流企業のエリートコースを歩んでいた青年が質問しました。スワミ「分かった。私が面倒を見るので、すぐ会社を辞めてアシュラムに来なさい。」また、ある女性が失恋して死に場所を探しにインドに来ました。スワミ、私は大好きな大好きな人に失恋しました。地球上で最高の人に失恋しました。どうしたら良いでしょうか?スワミ「神を信じなさい。神は将来二人の仲に問題が発生することを知っているために、切り離したのです。捨てなさい。捨てられると思うのではなく、捨てたと思いなさい。そうすれば必ずもっと素晴らしい、貴女に相応しい人が現れます。これが真理なのです。それに逆らえばもっともっと不幸になるでしょう。」

 

 私たちは、神を知るために、高いお金と沢山の時間を使いインドに来ているのです。その真理を魂の底に焼き付けるために修行しているのです。修行の目的や方法は山の様にあるので、どれがおかしく、どれが正しいという事はありません。あなたが正しい真理に巡り合うのが修行なのです。それを会得したら自分の魂に従えば良いのです。すべてを神に任せればよいのです。その時抵抗しない、強い意志をもち、神と共に歩むのです。これを継承させていくのが「グルパラパラン」の目的で、それを継承させることが出来る人が指導者なのです。それを学んでも自分だけに使っている人が大半です。

 

 スワミ亡きあと、弟子も育てず自分だけに使っている人や、ましてヒーリングから神を目指す指導も行われていません。真のグルパランパラの意味を知っているのでしょうか?そして実行されているのでしょうか?スワミの元で学んだ人が、それを行わなければ途絶えるのです。そして人間は堕落の道を歩むことになるのです。特にグルとして認められた16名は何をしているのでしょうか?多くの人はスワミが遺言したグルパランパラの意味を理解していません。唯一グルパランを継承しているのは、私だけです。それを予言していたババは、私に多くの秘伝を与えたのでしょう。スワミがグルに残した遺言は、いずれは、私が辿ったインドの聖地を弟子を連れて巡りなさいでした。誰が実行したでしょうか?

 

 

 

 


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NO637・・・ハンピでの水中伝法

2022-06-06 | 聖者

 私たちは、ハンピ(国際文化遺産)のインドにしては、綺麗な川の大きな石の上にいた。ハンピはペヌコンダから車で2~3時間の所にあり、私たちの第二の修行場でもあった。大概はアシュラムからチャーターしたタクシーで行くのであるが、当時の道路事情は非常に悪く、距離より時間はかかっていたであろう。道路の真ん中だけにアスファルトがあり、そのアスファルトも所々窪んでいる。

 

 そのような道路事情の中、途中の町で休憩をしながらハンピを目指す。ハンピに近づくにつれ、ブドウ園や鶏舎などの田園風景が広がって行く。秋に収穫された豆類は道路に広げ車に雑穀させる。日本の100年前と同じような光景を目にしながら興味津々で車は進む。この真ん中のアスファルトを対向車と奪い合いながら、チキンレースをしながら車は進む。対向車とすれ違う寸前まで双方アスファルトを奪い合う。先にハンドルを切った方がチキンで1Mあたりになるまでハンドルを切らない。

 

 ひやひやの連続でハンピを目指す。ハンピの道路からは、今にも山の上から巨大な岩石が落ちて来そうだ。それは、三角定規の上にパチンコ玉が乗っているような光景で何千年もその雄姿を保っているそうだ。また水が豊富で製鉄の町でもある。その電力を作るために山々には風力の大きな羽が無数に見える。そのような風景を楽しみながら目指すのであるが、命がけでもある。

 

 昼頃アシュラムを出発し到着する頃は、大きな赤い夕陽に照らされる時間である。この夕日は日本では絶対拝めない正に神を思わせる夕日であった。この夕日を2000年前ジーザスも拝みながら、ジーザスケーヴの中で修行したのであろう。私たちも同じ朝日と夕日を見ることが出来る。何か一体になった気分になりホテルに到着する。翌日、昼食を済ませた私たち10人は、車でハンピの川の中にある巨岩石の上でスワミを囲んで説明を受けている。スワミの説明では、今からアメリカ人のドクタークリントンの執刀によりスワミの太ももの内側の肉を大豆くらいの大きさ10個を切り出し、それぞれに渡すので右手で受け取り絶対落としてはならないとの事である。

 

 ドクタークリントンはメスで切開した後、ピンセットで肉をつまみ上げ切り落としていく、痛そうであるが、たんたんと行われる。全員の分を取り終えたら水の中に入り、両手を広げて誰の体に触れないようにしなければならない。そして潜るのであるが、私(スワミ)がマントラを唱え終わるまで、頭は水の中である。そして私が合図したら右手に握った私の肉片を川に流しなさい。私たちは、体が浮かないように、大きな石を探し、それを持って伝授されたのであります。これは大伝法の伝授であり、その後二度と同じ行を授かる事はなかった。※私と正観と外人5名でドワルカマイの中で行われたミート&ミートの秘伝ではありません。が、ミートを使った伝授は2回だけでした。

 

 スワミの太ももは窪んでおり、その後2~3日は足を引きづっていたのであります。スワミがかわいそうと顔をゆがめる人もいたが、これはスワミの使命を果たす為であるから、仕方ない。ババに仕えるという事は、これくらいは覚悟の上であろう。500万円追加の工事費を捻出するために、ババ公認の上か指示かはわからないが行われたのであります。


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NO634・・・相談を受ける

2022-06-03 | 聖者

 私とウッシーがマンディールで瞑想していた時。ウッシーは、若い背の高いドイツ人の女性から声を掛けられる。少し、ウッシーに気がありそうなその女性は「ウッシー、何故日本人は、インタビュールームから手に何かを握りニコニコしながら出てくるの?」私は3か月滞在しているが1回もスワミに声を掛けられたこともないし、ましてインタビューなど受けたこともない。多くのドイツ人やアメリカ人も同じだと何故?何故?日本人だけ。

 

 ウッシーは答える。それは、貴女がスワミにお願いしないからだよ。「どうして、お願いするの?」スワミの日課は、ババ像に挨拶してガーデンで散歩するだろう。それを待ち伏せして、スワミ、私にインタビューをお願いしますと言えば良いんだよ。私はウッシーに言う。はっきり、ドネーションしなければ駄目だと教えろよ。ウッシーはう~んと考える。私は追い打ちでお金、お金だとはっきり言ってやれよ。ウッシーは言えないまま翌日の光景を目にすることになる。

 

 女性は、ウッシーのアドバイス通り、スワミに「私にインタビューをお願いします。」と勇気を振り絞ってお願いした。スワミは、シーッと手を振って犬のように追い払った。彼女は、涙を流しながらウッシーがカバーする暇もなく、走り去った。ウッシー、これが現実なのだ。時には本当の事を教えてあげるのも友情と思うのだがな。

 

 その日の夜。捜索隊が出た。裏山のコブラが住む山の頂上を目指し彼女は死を求めたそうだ。朝方やっと確保され彼女は戻る。多少メンタルシックがある彼女に近づくことは出来ないまま、時が過ぎていく。もちろん、スワミはフォローをしない。その後、彼女は私たちの移動する行場について来るようになった。それでも、スワミはフォローしない。何時の日か、彼女を見ることはなくなった。

 

 これが現実なのです。それを知らない一人の男が、日本人のレクチャーが行われている時に全員の前で、私に当てつけする目的でスワミに質問した。スワミ!スワミ、霊性修行には、お金が必要でしょうか?勿論お金は要りませんよねと、と答えを誘導するように質問した。スワミは、横目で薄笑いをしながら私を見た。スワミと私たちは、すでに見破っていたので、私に合図を送りながら、「必要ない」と言った。誰一人としてざわめきもない。

 

 この頃、アシュラムでは、日本人に対する風当たりが強くなってきていた。私たちのグループが出来るまでは、自分たちの天下だったのに、日本人グループが出来てからは蚊帳の外の扱いで面白くない。外人、特にアメリカ人は幼児性が強く感じる。マリア様、マリア様と甘えるのが修行と思っているゆえか?また大学生は教師を友達と思っているように、師の影を踏まずが、尊しと教育されてない彼らは、時に日本人から見たら奇異な行動を起こす。

 

 ある日スワミは、外人と日本人の合同のレクチャーを行う為にジーザステンプルに全員を集めた。本来なら日本人の為のレクチャーの予定だったが、スワミは何らかの意図を持って全員を集めた。私は誰よりも早く今回初めて参加した人の為に、スワミの前に人数分座布団をおいて確保していたのだが、大男のアメリカ人が、のこのこと偉そうな振る舞いでぎりぎりでやって来て、その座布団を蹴散らし、自分がスワミの前に座った。その行動を見ていたスワミは後ろに行くように促した。

 

 また、この大男(身長190以上、体重120kg以上の一見紳士)はある日、私たちがインタビュールームでの打ち合わせが長くなり、何時までも出てこないスワミに腹を立て、ドアをどんどん叩き出した。アンクル、アンクルではなく、スワミ、スワミと叫びながらドアを叩き続けた。

 

 ウッシーに私は言う。あの大男をいつか締め上げんといかんと思っているのだが、どう思う?やりましょうよ。期待以上の答えが返ってきた。あの男は背が高く体重もあるが、下半身がもろいんですよ。もうすでに研究は終えていた。中国拳法を学んでいるウッシーは続けて言う。私が足を払って倒しますので、正観さんと健三さんでぼこぼこにしてくださいよ。難波の暴走族上がりの正観は勢いづく、私は喧嘩は弱いが、眼力では誰にも負けない。

 

 ウッシーの両親は、どちらも校長上がりで、親父はパジェロ(ジープタイプの車)を乗るようなアウトサイドな人間だそうで、母親は普通より男勝りだそうだ。4人兄弟で姉と下に弟が2人で4人とも京大卒のエリート家族で姉はアメリカ人と結婚している。会社を辞めインドに行くことをお母さんに相談したら、お母さんは、4人いれば1人くらいは、型破りが出るのは何の不思議もない。とケラケラと笑ったそうだ。私が男だったら同じことをしたよ。と賛成して頂く。

 

 正観さんも、お母さんは学校の先生上がりで、父親は南海電鉄に努めていたが、小学生の時に亡くなる。姉が一人おり、その姉は薬剤師になり開業医に嫁ぐ。その開業医に正観さんの消息を教えて頂く為に電話を入れたが、数年前より連絡が途絶えているそうなので心配している。正観さんは500万円を使い切ったあと、今後の事を心配していた。健ちゃん、僕な、姉の病院の運転手になれと言われるんやと淋しいそうな時があったが、・・・・その後、お母さんが亡くなったら家を正観にやるので、あんたは一生好きなタイで暮らして良いよと、姉から言われたと喜んでいた。グループが解散(使命が終わった)した後、インドの友人を頼って四国の久万高原で米作りをしていたが、数年前より新米の案内が来なくなった。

 

 翌日よりウッシーはガーデンで相撲のしこを踏みだし準備に備えたが、その気配を察したか?大男は大人しくなった。のだが、今度は女性が、外人女性に意地悪されるとの報告が舞い込んだ。チキンとか不細工とか言われるそうだ。外人から見れば背の低い、サリーの似合わない女が大手を振って歩いており、そのために自分らはスワミから見捨てられたと思っているのだから、仕方ないと言えば仕方ないが、ほっては置けない。KENZOにいうと一言いいなさい。それから女も大人しくなった。

 

 私は、外人女性の間では、無口で媚びを売らない男と思われていた。そして常に胸を張って歩く姿と眼力に怖さを感じていた。何のことはない。英語の出来ない私は、近寄れないようにしていただけだ。もし、私に英語が出来たなら、今の自分は存在しなかったろうと、神に感謝しているところです。

 

 


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NO631・・・快進撃の始まり2

2022-05-31 | 聖者

 ある日外人を含む全員の前で、正観は世界一のヒーラーだとスワミは紹介した。そして、それを案内文の一部に書いた反響は、多くのプロ気功師や治療家は怪訝な振る舞いや態度を表してきた。私も同じく、多少ではあるが嫌悪感を持ったのだが、私たちが同居するドアの前には、連日外人の特に女性の順番待ちである。一部の女性は、正観さんにドネーションを渡そうとするが、正観は、余りうれしそうな顔をしない。

 

 健ちゃん、僕なお金をもらうより、カップラーメンや食べ物のほうが嬉しいんや。1000円よりカップラーメン1個の方が嬉しいや。そしてある時は・・・アシュラムを訪れる多くの日本人が・・・・正観さん、正観さんといって食べ物の差し入れをしてくれる夢を見たという。これは暗示的に私にそのようにしてくれと言っているのだが、リーダー特権を使うべきでないと、聞いて聞かないふりをするが、一回だけ皆さんにお願いした時がある。

 

 また、ある時、私は急にスワミの呼び出しを受け、食べかけたカップラーメンをそのままにし、部屋に戻った時は伸びきっていた。そのラーメンを何度も何度も覗き込み、もったいないな~。もったいないな~、こんな事を誰がするんかな~と正観さんは言っていた。

 

 この正観さんが世界一のヒーラーになったのです。というより、そのような正観さんだからこそ、世界一のヒーラーになれたのでしょう。スワミに知り合って新人伝法を授かって1~2年後の事であります。それまでは、仏教寺(密教)の師匠の付き人しかしてない。治療に関しては素人の正観さんがなったのです。この事実を側で見ていた私はスワミのヒーラの種を入れる新人伝法は凄いと直感したのです。

 

 ただ手を当てて、マントラを唱えるだけで治す。それ以外の事は何も考えない。五十肩は脂切れで骨と骨がすり合う事によって痛みが発生し腫れる等は一切考えない。手を当ててマントラを唱えれば治る。だけであるのです。私たちが、ナガナンダ、スワミのアシュラムで修行していた時、私は毎日が暇で退屈なのと運動不足の解消に、部屋の前にある木の枝にぶら下がり運動をしていた。

 

 その内、私の左腕が激痛を発生するようになり、やがて上がらなくなる。別に治す必要もないので放置していたら、夜、激痛で目が覚めるようになる。その時は、正観さんのヒーリングなど信じていないので、放置して置く。その時代は、ライフスペース事件がサイババアシュラムで起こっていた時だから、1999年頃だろう。ライフスペース事件とは、シャクティパットグルが率いる80人くらいがサイババアシュラムを訪問し、占拠しようとした事件であるが、当然、警備するアシュラム警察(州警察)に弾圧される。

 

 その一行がナガナンダ、アシュラムに来ると言っていた時、滞在していたので時期は間違いない。このグルはおかしいが憎めないグルだったようだ。たまに動画を見るがとにかく面白い。おかしくなる前は、地元では評判の良い経営指導者で多くの嘆願書も出たようだ。一度動画を見て頂ければ、当時のインドにおける霊性修行の始まりが理解できるかも知れない。

 

 その後、カレスワール、アシュラムに戻った私たちは、同室になり、夜、痛がる私を正観さんがヒーリングするようになるのであるが、当初、正観のヒーリングを信用していない私は断るのだが、やって頂くことになる。結果信用していない私の腕が一回のヒーリングで治ったのです。当時の私は五十肩のヒーリングというより気功治療で治す自信がなかった五十肩を1回で治したのです。

 

 5分くらいして、どう~と正観は尋ねる。治ってなるものかと思っている私は、全然駄目だという。おかしい~なと言いながら更に続ける。10分経た頃だろうか?痛みは取れていた。それでも正観を見下している私は、まあ~まあ~だという。その後正常になり、痛むことはなかったが、正観に凄いとは言わない。なかったことの様に振る舞っていた。

 

 医学を知れば知るほど混乱する。正観さんのように何も考えず、マントラを唱えながら手を当てれば治る。ここがポイントだろし、この心の持ち方を改善する事が出来れば凄い治療法だと直感した私は、メインのプログラムにすることになるのです。純粋無垢で神に向かう心が全てでありましょう。私の様に疑い深い、ドロドロの心の持つ者は、最初から大きなハンディキャップを背負いながらの修行の始まりとなるのです。潜在意識に刻まれた一切の無駄な知識を捨てて私(神)に向き合いなさい。これを完成させるために、ババは私を3人(スワミ・正観・ウッシー)にくっつけたのでしょう。

 

 

 


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NO630・・・快進撃が始まる

2022-05-30 | 聖者

 私たちは、活動を開始する準備でホールで案内状の作成とプログラムをパソコンに打ち込んでいた。当初スワミが目的としたミラクル聖者の道は、いろいろの方面から検討した結果、無理があると結論が出され、断念することにする。働きながら1週間来てスワミに法の種を魂に入れて頂いても、日本に帰って左脳が全壊すれば、種も枯れてしまうだろうし、そもそもミラクルというものは、神の使命を果たすための道具として与えられるもので、スワミも常々チョコレートと言っていた。

 

 または、フックするという言葉が頻繁に発せられていた。つまり、資本主義経済の仕組みの中で生活している者は、常に生活の向上と無駄な消費の中で生かされているわけだから、霊性修行とは、相反する社会という事になる。つまりミラクルを求めるなら、資本主義経済社会の枠からでなければならない事になる。これが、スワミのいうミラクルはチョコレートであり、フックなのであります。 

 

 つまり資本主義経済の枠の中でお金儲けをしたいやより良い生活を望む人たちの間違いを、正すための道具がミラクルという事になる。その人々を神の世界に呼び戻すための道具という事にもなる。「良く手を見てごらん。何もないだろう。と言いながら手を回すと物が出て来る」わあ~凄い。私もやりたい。」「誰にもできるよ。簡単だよ。」これでフックされる。

 

 そのやりたいと思った人は、何故やりたいのだろうか?それを覚えて何に使うのだろうか?自分の心に聞けばわかるが、お金儲けの道具や名誉や地位を得るために使うであろう。お金や地位や名誉や今まで得た知識をすべて捨て、神の世界に来いと言っているのに、どうして真逆の人に神はミラクルを与えるであろうか?この心がエスカレートしていくと、手品まがいの事を行うようになる。

 

 たとえ、できたとしても、誰が信じるであろうか?心も魂も出来上がってない人が信頼を得ることが出来るであろうか?ヒマラヤで修行するサドゥーは、未開の奥地で修行することにおいて、12年後に何らかの力を神より授かり、里に下りることが許される。12年間であります。その間は1回も里に下りる事は出来ないのであり、また降りる必要のない人がサドゥーなのでありますから、親戚縁者の葬式にもお祝い事にも参加する事は出来ない。であるから、自分の葬式を行い、家族や親戚と絶縁して山に籠るのであるが、その人達でさえ、成功することはない。まして、ミラクルは神から与えられるものであるから、自分が希望するミラクルが与えられる可能性は少ないと、多くのサドゥーは言う。

 

 これでおわかりだろうが、カレスワール、スワミは人々をチョコレート(ミラクル)を使って、神の世界にフックする使命でミラクルを与えられているのです。歯が無くなった人に、クリエーション(創造の力)で歯を創って上げたい。ジーザスの様に目が見えない人を見えるようにしたい。冤罪を晴らしてあげたい。理由はいろいろだが、相反する事を同時に行うという事は、車のアクセルとブレーキを同時に踏むようなことだと、スワミは言う。

 

 お金や名誉を求める人は、相反する事を求めている事になる。ブッダやジーザスやババがどのような環境で生活していたか、考えたことがあるであろうか?家族を持ったことがあるであろうか?高級な家に住み、愛人を囲って贅沢三昧をしていたであろうか?考えれば、わかる事が現生にどっぷり浸かると脳は麻痺して分からなくなる。このような事を目的な人は無駄な時間とお金を使う事になり、どちらも逃がす事になる。

 

 密教の教えに、「金の草鞋、3足履いて里探せ里探せ」という、教えがある。つまり、自分の足で3足の金の草鞋代を使うくらい、努力して里を探せと言う。里とは豪華な神社仏閣や金襴緞子の法衣に包まれた僧の所にあるのではなく、里に隠されているという。インドでも同じことが言い伝えられている。今、あなたが買い物をした店主が法の持ち主かも知れない。今、貴方が追い払った乞食が法者かも知れない。向こうで畑仕事をしている人が法者かも知れない。

 

 老婆が畑仕事を終えた後、川の側の道を歩きながら、家路に着いていた。「おむすび、コロコロおむすびさん」と何度も歌いながら家路に向かっていた。本人は知ってか、知らずかは、わからないが、川の中の小石が歌に合わせてコロコロと調子を取っていたとの、嘘のような本当の世界があるのであります。この農婦はボロをまとって、何の欲もなく、ただ黙々と神が決める天候や災害の中で一生を過ごすのであります。

 

 ババは服装はどうであったろうか?ジーザスはブッダはどうであったろうか?これらから考えてミラクルを募集要項に加える事は邪道であると考え、目的をゴッドヒーラ要請となるのでありますが、参加者の多くは、ミラクルを見ることと、神の側にいるだけで良いという人が大半を占めていた。特に外人には、自分が聖者になる考えはなく、聖者の側にいることが幸せなのであります。

 

 空海さんは、中国の恵果阿闍梨から法を受け継ぎ、日本で数々のミラクルを行い。真言宗という宗派を興した。ジーザスは脇の下から生まれた。西洋人と日本人の違いがここに在るのであります。生まれた次元が違うと教えられる。神は手を合わせて拝むものだと教えられる。ゆえに修行の目的が違うのです。スワミは宗教の奴隷制度を解放すると言っているのに、自分たちが進んで奴隷になっている人たちと混同した中で修行することになるのです。

コロナ後遺症の倦怠感は慢性疲労症候群・筋痛性脳脊髄炎?

私たちの疲れは、これか?パッドで抜く以外なそうです。


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