イスラム教徒たちは皆、「食べただと?」と激怒しました。すでに宗教間で争いが起きていた時の事です。イスラム教徒がシバ・リンガムに触れることは絶対禁じられていたので、ババがしたことは大罪でした。
ヒンドゥ教徒たちも皆、うろたえました。シバ・リンガムがなくなってしまったのです。これは大きな悲劇でした。ヒンドゥ教徒たちが総出でそのイスラム教徒の養父母の元へ押し寄せ「あなたの養子が私たちのシバ・リンガムを飲み込んだんだ。その子の腹を切り裂いて、リンガムを取り出さなければならない」と言いました。
イスラム教徒の養父母は、シルディ・ババに尋ねました。「おまえは一体何者なの?なぜそのシバ・リンガムを飲み込んだの?」ババはただ笑って、こう答えました。「この家を出る時が来ました」それで、シルディ・ババの養父母は、村人たちにこう懇願しました。
「いいですか、この子は私たちの本当の息子ではありません。誰でも知っている事です。それは不当な仕打ちです。この子がバラモンなのか、イスラム教徒なのか、何の宗教か分からないのですから。養子にしたのは私達ですか、私たちはこの子を手放す事にします」
日本は陰性の国です。最近は気候の変動の為か?朝はストーブが必要で昼はクーラーが必要なおかしな気候です。先日は福島県で35度を超えたとのニュースが流れていました。東北が35度で九州は30度前後とまったくもっておかしな気候であります。陰とは目に見えない世界で陽を支えている意味もあります。体でいえば陰は魂で陽が肉体と言う事になります。魂は目にも見えないし、検査しても見つける事は出来ません。が、あるのは事実なのです。
人間の錯覚は目に見える物が全てと思っていますが、目に見えない世界もあるのです。生があれば死があります。そして死後向かう目に見えない所があります。これを天国と地獄界で教えています。目にみえない世界ですから、皆、信用していませんが、あるのは間違いないのです。人間は目に見える所にお金を使い、人を対象にして生きています。つまり虚栄心を満足させるために生きています。ブランド品を身に着けることで、相手に対して見栄を張る事にお金を使っています。実用性ではなく、相手を対象にしたものを身に着け、欲しがります。
大学に行く目的は、何でしょうか?より良い一生を送るための投資であり、お金を稼ぐための、資本経済の仕組みの歯車の一つになるための道を歩んでいます。人とを対象にして幸せか不幸かを計っています。人の為ではなく、自分の為の学問ですから、どこまで行っても満足することは出来ません。それでもっとお金を稼げば幸せになれるだろうと錯覚して、マルチ商法などの副業に手を出します。
良い商品だからと言って、友達に勧めます。が、その本心は、友達をダシにして自分のお金儲けの為だとは自分が一番知っていますので、お金が入っても虚しさが残ります。なぜ虚しさを感じるのか?そこには目に見えない心と魂と言うものが存在しているから、反省と言う虚しさを感じるのです。その虚しさを感じない人もいます。その人は目に見えない悪魔界に魂を乗っ取られた人なのです。人間には七色の波長のみが見え、それが全てと思っていますが、人間には感じることが出来ない波長もあり、その波長とも繋がっています。犬は人間より嗅覚が発達しており、人間には察する事ができない、臭いを嗅ぐことが出来ます。
見かけは気にせず実用性を求めて、材料費にお金を掛けずコツコツと無理しない程度に運動の為に工事をしています。これが経済という悪魔界が作った仕組みに嵌ると、経済を元にした工事になります。つまり実用性ではなく、如何にしたら儲かるかに変わります。病気治しもそうですが、如何にしたら儲かるに変わり、今の医療になっています。切らないで良い段階でも手術を勧め、一生薬漬けにしています。根本を治そうとする医療は大正時代に終わっているのです。何故なのでしょうか?戦争に負けて合理化と言う経済システムを押し付けられ、皆がそれが先端だと錯覚し、お金を追い求めたからです。それは肉体が主役で魂は無いものと教育されたからです。ゆえに永遠に幸せを掴むことは出来ないのです。知らず知らずの内に、仕掛け人の手先になっていったのです。家もそうですが、実用性ではなく、人を対象にした、虚栄の社になっているのです。つまり、より儲かるための家になっているのです。もっと実用性から考える頭が必要と思います。車もそうですが、実用性一番で考えたら、軽四に乗っていてもベンツに乗っている気分です。ホンダNバン最高!・・・・・「馬の目の前に人参」の幸せを求めている事に早く気が付き、本当の幸せを見つけて欲しいものです。その本当の幸せ・・・とは、何かを探し求めたいものです。
野花が綺麗だと思える心もなくなりつつあります。朝早く起きて散歩すれば、自分の真我が開くかも知れないし、忘れていた魂の存在を思い出すかも知れません。そして人間は自然ともに生き、自然に生かされている事に気づくかも知れません。そのためには、夜更かしをしない事から始める事です。経済の奴隷に成っている人には、路傍に咲く花は目に入りません。