魂がいう事を聞くことができるようになると、自動的に崇高な思考を受け取る事ができるようになります。それらは自動的にやって来ます。たとえば、あるグループに話しをしなければならないのに、直前になっても何を言うべきか、何を表現すべきかまったく思い付かなかったとします。
ところが、その時になると自動的に湧いてくるのです。そういうチャンネル(経路)を持っている人々がいます。それはつまり、静寂との繋がりを持っているという事なのです。静寂は驚くようなメッセージを教えてくれます。
この雑草(ワルナスビ)と石の除去を毎日行っているのですが、ふと思いました。台湾に中国が攻め込み、同時に北朝鮮が韓国に攻め込むことがあったなら、私たちは生きていけるのであろうか?衣食住は憲法で保障されているが、できないものは、出来ないになるのではないだろうか?先の戦争の時は、人口も今ほどは多くなく、食料自給率も高かったので何とか凌げたが、今の食料自給率では、5,000万人以上餓死すると言われています。
ぞっとした、戦後ばい煙をまき散らし工業主体の経済システムに移行した日本は、自動車などの工業製品の輸出の見返りに、農業を犠牲(命の源)にした結果が今である。食料自給率40%と言うが、政府の試算などまったく信用できない。都合の悪い事は改ざんして発表しているのではと疑うのが普通になっている。牛や豚や鶏を生産するには、食べ物を与えなければならない。その飼料の大半は輸入である。
米の自給率は100%であるが、現状何かあると直ぐ品不足になる。たとえ米があってもそれを焚く燃料はどうするのか?ガス、水道、電気が来ないマンションでどう生活するのか?私は薪を焚くのでまったく問題ないが・・・・・・そこで考えたのが、サツマイモを植えようと思って種を調べたが、売っていない。ならきな臭い臭いがし出したら、一番にサツマイモをゲットして、種芋を作ろうと思った。
この20年以内に起こらないと断言できる人はいるであろうか?備えあれば憂いなしである。エレベータが使えない。電車は走らない。会社はなくなる。・・・・・・下の川にヤマメの稚魚の放流も考えている。この考えはマイナス志向なのだろうか?悟った人は、何とかなるだろうと、このような心配もしないのだろうか?河川敷の乞食の動画を観ながらそう思った昨日でありました。・・・いざ本当(まこと)になれば、人間は残酷になるであろう。鹿を捕まえて食べるかも知れない。氷点下に生きる人々を残酷と言えるだろうか?