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令和と万葉集

2019-04-17 05:44:55 | 時事問題

 

「令和」と万葉集と漢文  

 

永井津記夫(ツイッター:https://twitter.com/eternalitywell)

 

  私は英語の教師で英語の文法に興味があり日本語の文法にも興味を持ち勉強していましたが、20代の中頃から万葉集も研究してきました。とくに、その中の難訓歌を研究してきました。万葉の難訓歌を解読するためには当然のごとく万葉集を原文で読む必要が生じます。万葉集の歌はいわゆる「万葉仮名(漢字を音と訓で読むだけではなく、その他に数種類の漢字の読み方用字法あり)」で書かれ、歌の前後に付いている「題詞」と「左注」は漢文で書かれており、漢文が読めなければ「万葉集」は理解できないことになります。

  万葉集を研究しその難訓歌の解読 (これは暗号解読のようなところがあり私にとっては限りなく面白く楽しいものですに取り組むと同時に、『日本書紀』や『古事記』も現代語訳だけではなく、原文の漢文も読むように努めてきました。高校時代は「漢文」は苦手な科目で、点をある程度とれる程度の勉強しかしませんでした。が、日本書紀や古事記を原文で読むとなると、苦手なものと避けているわけにはいかず、漢文を原文で読み進める訓練をしてきました。返り点のない白文でも時間をかけ、辞書を使えば読めるようになりました。これには英語の学校文法が大いに役に立ちました。SVOCなどの五文型を用いる、いわゆる学校文法(School Grammar)”は漢文解読にも役立ちます(注1)

  私は英語の教師として学校文法はいちおう完全にマスターしていたので、これを語順が英語とほぼ同じ漢文に応用することはそれほど難しいことではありませんでした。ただ、SVOC英文法には弱点もあり、それに関しては「英語の話」などで言及しています。 古代の漢文を解読するのに一番困る点は、良い辞書がないことです。英語の辞書(英和辞典)では中辞典程度でも「語義」を示し「例文」と「熟語」も示し「それらの和訳」も載せています。が、漢和辞典は良質のものでも「語義」と「字源」と「音訓の読み」と「熟語とその意味」を示すくらいで、和訳付きの例文を載せる辞書は見あたりません。英和辞典のように和訳付きの例文を豊富に載せている辞書はないのです。

  2009年に公益法人・日本漢字能力検定協会の当時の理事長らが協会が得た利益を何十億も流用したとして逮捕され、その後、懲役刑が確定しました。獲得した利益を新しい有益な漢和辞典作りに使えばよいのに、と思ったものです(先行辞書のコピペをするのではなく全く新しい辞書をつくるには莫大な資金と人材と時間が必要です。理解のない者には暇つぶし・金食いの極道のように見える仕事ですが、不屈の忍耐力がないと出来ない仕事です。『大漢和辞典』を完成させた著者の諸橋轍次と出版元の大修館書店は立派です)。諸橋轍次の『大漢和辞典』や藤堂明保の『学研漢和大字典』など優れた漢和辞典は存在しますが、日本の英和辞典の優秀さを知っている私の目からは、先覚の優れた(おそらく血のにじむような研鑚から生まれた)漢和辞典には不満な点が多いのです。

  新元号「令和」が発表され、「令」の意味について不満を述べる人がいます。私は「漢文」を勉強(研究) してきたものとして、一言したいと思います。

  「令」は令嬢令夫人のように“good(良い)”“excellent(優れた)”の意味で用い、「和」は“harmony(調和、協調)”の意味で使うので「令和=excellent harmony=優れた協調」の意味になります。が、「令」は出典の万葉集の「梅花歌32首」の題詞から離れれば動詞(助動詞)的意味合いが強い、つまり、英語で言えば、“to make(~させる)”“to order(命令する)” という意味になり、万葉時代の言葉でいえば使役の助動詞の(~せ)しむ」の意味としてよく用います。もちろん、万葉集中でも用いられています(注2)。「和」は動詞で使うと「和して同ぜず」と言うように「和す=仲良くする」という意味になります。

  そうすると、「令和」は「令v=せ令む=makeget on with each other」です。漢語は分かっていれば主語や目的語は省略できるので、「神仏」と「諸国民」が省略されているとすると、「神仏令諸国民和」となります。つまり、「神仏が(世界の)諸国民を和せしむ=God and Buddha make all the nations get on with each other」という意味になり、これを祈願文とすると、

   May God and Buddha make all the nations get on with each other!(諸国民が仲良く暮らしていくように神仏がしてくだしますように!)

ということになるでしょう。

  私は日本政府やマスコミ、与野党の政党などを米国のWGIP(戦争犯罪意識埋め込み計略)に洗脳・汚染された腰抜け・内弁慶の集団と非難しているのですが、今回の新元号「令和」が意図的なものなら、暗に“Pax Nipponica(日本の平和を世界に)”を宣言したものとなり、大したもので腰抜け・内弁慶には使えない言葉です。

  一神教が支配する国や一党独裁政権が支配する国の平和が世界に広がるのは世界の人々の幸せにはつながらず、私は反対です。神仏習合の国、日本の平和が世界に広がるべきだと考えています。

  中国は文化大革命で文化人(学者)を大量に殺戮したことと(当時50代の学者で生き残ったとしても現在では百歳を超えていることになる)、簡体字を普及浸透させたことによって古代漢文を正確に読める人は皆無に近いのではないかと思います(意見を述べようにも意味を正確にとらえることができなければ述べられません)。

 

(注1) 漢文を英語の五文型で読むことを提唱するサイトを数年前に見つけました。青蛙亭漢語塾 (https://www.seiwatei.net/)というサイトです。今後の活動を期待していたのですが、残念なことに、管理人(亭主)の方が亡くなられて、サイトは存続していますが今後の活動はないようです。
(注2 ) 「塩乎(塩を干れしむ)(万葉集巻三・388)…万葉集では令を動詞の前に付けて「しむ」と読む例はいくつかあります。

 

※※ 「令和」の持つ意味を最終的に示したいと思います(コメント欄も参照してください)(2019年4月25日追記)

*新元号「令和」には三つの意味が考えられます。

 ① 令和  令(よい good, excellent;うるわしい beautiful)  和(平和、調和、協調 peace,  harmony)

令和=excellent peace(優れた平和); beautiful harmony(美しい調和)

※『学研漢和大字典』(学習研究社刊 藤堂明保著)に“令”と“麗”は同系の言葉とされ「清く美しい」意味を持つとの説明があります。“令”は英訳すれば、“good, excellent; beautiful”が適当でしょう。もう少し、意味を強めると“marvelous(素晴らしい、驚嘆すべき)”がいいかもしれません。“marvelous peace(驚嘆すべき平和)”を日本がつくり出せれば素晴らしいことです。(2019年4月25日追記)

  

 ② 令和  令=make(~させる); 和=get on well(仲良くする)

令和=令v和=和せしむ=make~get on well (with each other)=~を仲良くさせる

cf. (May) God and Buddha make all the nations get on well with each other!

  

 ③令和  令(よい good, excellent;うるわしい beautiful)  和=倭=大和=日本(Japan)

令和=beautiful Japan (美しい日本→麗しの国・日本[美しい国・日本])

“美しい国・日本”は第一次安倍内閣のときの安倍首相が掲げたスローガン。「和」はもちろん純粋の漢字ですが、この意味に「やまと、日本」を当てるのは“和訓”と言われるもので一種の和製漢語です。

 

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  gooブログを開始してまる二年になりますが、最初のブログは「万葉集」に関するものでした。それを以下に再掲したいと思います。すこし追加修正した部分があります。(2019年4月17日記)

 

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  『万葉難訓歌の解読』
  春登上人の「延訓」の謎を初めて解明できたと思います。拙著『万葉難訓歌の解読』の自序の中に「春登上人のまぼろしの用字法“延訓”を解明した」という内容がありますので、その自序をここに載せ、後に「万葉難訓抄録」を載せたいと思います。この抄録は『万葉難訓歌の解読』の中で示した新説を簡単に説明したものです。

    自  序
 万葉集の難訓には二種類ある。一つは、諸注釈書が難訓として解読できないでいる、いわば〝公認された〟難訓であり、 もう一つは、先人が訓をつけていて、すでに「訓(よ)まれた」と考えられているが、実際には訓みそこなっているもの、つまり、難訓には見えない難訓である。
 後者の代表は、本書の第一章でとりあげた、二五六番の歌の「留火」であろう。同歌は、
   留火(ともしび)の 明石大門(あかしおほと)に入らむ日や漕ぎ別れなむ家のあたり見ず
と訓まれている。「留火」をトモシビと訓んでいる。諸説は「留火」をなぜトモシビと訓むのかについて苦しい説明をしているが、トモシビト訓むことを疑うことはない。
 しかし、「留」という文字を「ともし(橙)」と訓むことは、どう考えても無理があり、私はその疑問を出発点として、熟考した結果、留=流(同音借意)で、
   留火=流火=アンタレス=あかほし(赤星、明星)
となることを示した。
 そしてこの論考を起点として万葉集中、最も有名な歌の一つとされる四八番の柿本人麻呂の、
 東(ひむがしの)(のに)(かぎろひの)(たつ)所見(みえ)(て)(かへり)見為者(みすれば)(つき)西渡(かたぶきぬ)
 東の野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ
という歌の「炎」をカギロヒと訓むことに疑問を示し、カギロヒという訓をつける古辞書の判断も誤りとし、前の「野」と「炎」を結びつけ、この炎を〝野焼きの火〟とし、「野炎」でハルノヤクヒノ(春野焼く火の)と訓み、全体として、
  東(ひむがしに)(はるの)(やくひの)(たつ)所見(みえ)(て)

  反(かへり)見為者(みすれば)(つき)西渡(にしわたる)

 (東に春野焼く火の立つ見えてかへり見すれば月にしわたる)

と訓んだ。先例のない新訓である。
 そして、同時に一〇四七番の「炎(乃春)」も野焼きの火であるとして、ノヤクヒ(野焼く火)と訓むことをも示した。このように一見、すでに解読されているように見えている歌も訓みそこねている場合がある。
 また、前者の難訓歌、万人の認める難訓歌である額田王の九番の歌にも取組み、
  莫囂円隣之(しづまりし) 大相(おほみ)七兄爪(なせさ)湯氣(し)
を、「静しづまりし大水瀬指おほみなせさし」と訓んだ。なぜ、このように訓めるのかは本文を見てもらえばよいのであるが、私は、これらの二種類の〝難訓歌〟を追究してゆく過程において、
 隠れ熟語、重用文字、背景用字法、構成要素用字法、明頭文字、活用形の二重用法
などの未発見の用字法などを発掘し、提唱した。これらの〝新〟用字法は、私が難訓歌を解読する中から随伴的に見いだし、命名したものである。この命名は、一回的で個人的な認識にとどまりがちな「特異な用字法」を全体の知識として継承させ、他の歌(二種類の難訓)を解読するのに大いに貢献するものと確信している。
 また、万葉集全体の用字法も整理して提案する中で、従来の用字法にはなかった「義音字」という用字法を新たに付加し、さらに、「加訓字」という用字法の観点から、春登上人が『万葉用字格』の中で述べている「延訓」を、
   延訓=加訓字=正訓字と義訓字に読み添えを付加したもの
と推定した。現在の用字法は春登上人が『万葉用字格』の中で示した用字法を少し修正したものに過ぎないのだが、一つ不思議なことに、彼の示した「延訓」について触れる研究者は誰もいない。そのため、彼の「延訓」は〝幻の用字法〟となっていたのであるが、今回はじめて、その正体を明らかにすることができたように思う。(※春登上人にすれば“山”を“やま”と読めば正訓であるが、歌中ではテニヲハなどがつき、「やまノ」「やまヲ」「やまハ」となるのであり「“延訓”は読み添えを付け加えたものにすぎない」のだから説明をするまでもないことである。彼は『万葉用字格』の中で「延訓は初学者には難しいのでことさら分類項目を立てず全ての用例の訓みの中に含めて載せている」と述べているが、“読み添え”は歌中(文中)での前後の言葉の関係で決まるので規則的に説明するのは難しいが、用例の訓みを見ればすぐに分かることなので延訓の説明をしなかったのであろう。というより、春登上人にすれば“どの場合はどうなる”と文中で示しているではないか、ということであろう。「初学者には難しい」という彼の言葉に研究者は惑わされていたのだ。※の部分、2019年4月17日追記)
 本書は第一章から七章までは、私が日本語語源研究会で発表した論文をほぼそのまま掲載したものである。それらの論文の中に出てきた用字法等をまとめて整理したものが、第八章の論文である。従って、本書は私が万葉の難訓歌を解読してきた順序どおりに論文が配列されており、一つの論考が次の論考に結びついていくプロセスがよく分かるはずである。
 本書の刊行について、日本語語源研究会代表の吉田金彦先生に非常にお世話になった。万謝の意を表するとともに、今後ますます万葉の難訓の考究に精進することをここに表明しておこうと思う。     
   平成四年十一月吉日                    永井津記夫

※※48番の歌はこの後の「万葉難訓抄録」でも説明しますが、現在、「入日哉」の部分は「入らむ日や」ではなく「入日かも」と訓んでいます。


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 万葉難訓抄録
 『万葉難訓歌の解読』と『語源研究』に載せた私の難訓の語句に対する新訓や通常、すでに訓み解かれていると考えられている語句に対して新解釈をここに簡単に載せておきたいと思います。言い切りが「です・ます」調ではなく、「だ・である」調になっていますが、御了承ください。

(* は筆者が新訓をつけた歌で、◇ は訓みはそのままですが新解釈をほどこした歌で、△は異説のある訓みに筆者が根拠を示して訓みを決定した歌です。しるしのない歌は本文中に出てくる歌です。歌番号の後の数字は『万葉難訓歌の解読』に該当語句が載っているページを示しています。)


*九番 53,68,69
莫囂円隣之 大相七兄爪湯気…しづまりし おほみなせさし(静まりし 大水瀬指し)。『万葉難訓歌の解読』でも言及したが「相」は「フ」と訓むこともできるので、「大相七兄」は「おほふなせ=大船瀬」とも訓める(ただし、「相」をフと訓むのは先行する文字の母音がアの場合で、「大相」の「大(オホ)」ではオになり、この点で不適当とも考えられる)。「船瀬」は万葉集に「船瀬(巻六・935)」と出てくるが、「水瀬」という言葉は出てこない。

◇一三 番 148
嬬乎相挌…「妻を争う=妻になろうとして争う=妻の座を争う」
歌意:香具山(かぐやま)(女)は畝傍(うねび)(男)を雄々しいとして、耳成(みみなし)(女)と(妻の座を)争った。神代よりこのようであるらしい。昔もそうだったからこそ、現世でも(一人の男をめぐって女たちが)妻の座を争うらしい。
※『日本書紀』安閑天皇元年十二月「国造を争う(=国造の座を争う)」という表現がある。

◇一五番 150
入日弥之…いりひみし(入り日見し)
 「豊旗雲に入り日見し」の「入り」は二重に重なっており、重なりを元に戻せば本来的には「豊旗雲に入り入り日」となるが、意味の連接を考慮して前の連用形を連体形として「豊旗雲に入る入り日」ととらえる(このように前を連体形にすると語句の意味をとらえやすい)。この形では連用形「入り」の中に連体形「入る」が伏在しており、二重になっていて、一種の掛詞と見るのである。連用形の二重用法=二重用法連用形と命名。 ※二四九の「隠江乃(こもりえの=隠り江の)」の「隠り」と同じ用法。

※「掛詞」は現在のところ「同音異義語」と定義されており、この定義が、「同音同義語」の「掛詞」の存在を無視する結果を生んでいる。「二重用法連用形」(または、「二重用法連体形」など)は連用形を中心に見た命名で、修辞法の観点から見ると、「同音同義の掛詞」と言うべきものである。拙著『万葉難訓歌の解読』(165175)において、「二重用法連用形」などの活用形の二重用法について詳述しており、同音同義の掛詞については「同音同一語の掛詞」として言及している。「同一語」はこの場合、「同義語」と同じである。

*四七番11, 173, 186, 187
眞草刈 荒野者雖有…ま草刈る 荒野(あらの)は有れど黄葉の過ぎにし君が形見とそ来し 
  定説は「荒野はあれど」と「に」を読み添えている。四五番から四九番の歌は柿本人麻呂の連作で、他の歌では助詞の「に(尓、丹、二など)」の省略はないのにこの歌では省略されていることになる。一七九七番の歌「塩気立つ 荒磯(ありそ)丹(に)者(は)雖在(あれど) 行く水の過ぎにし妹(いも)が形見とそ来し」があり、「(荒波がうち寄せて)塩気のする(普通ならあまり来ない)荒磯ではあるけれども死んでしまった妻の形見と思ってやって来た」という意味であり、断定の助動詞「なり」の連用形とされる「に(丹)」が使われているのはよく理解できるが、四七番の歌は趣旨が異なる。一二六八番の「子らが手を巻向山(まきむくやま)は常にあれど過ぎにし人に行き巻かめやも」という歌では、「巻向山は常に有るけれども死んでしまった人に逢いに行って手を巻くことはあるだろうか」という意味で、大自然に属する「巻向山」はかわらずにある(存在)のに、(人の命には限りがあり)死んでしまった愛しい人には逢えない、ということを述べている。
  一二六八番の歌を勘案すると、四七番の「眞草刈 荒野者雖有」も「ま草刈る荒野は有れど」と「に」を入れずに訓み、「荒野はかわらずに有るのに、(短い命の紅葉が散り去るように)亡くなってしまってもはやおられない皇子の形見の地としてやって来た」という意味を表しているのであろう。つまり、「荒野はかわらずにあるのに、皇子はもう亡くなっておられない。(今回は)皇子の形見の地としてここにやって来た」という趣旨の歌である。四四六番の歌「吾(わぎ)妹子(もこ)が見し鞆(とも)の浦のむろの木は常世(とこよ)にあれど見し人そなき(吾妹子之 見師鞆浦之 天木香樹者 常世有跡 見之人曽奈吉… 私の妻が見たむろの木は永久にあるけれども、見た妻はもはやいない)」も一二六八番の歌と同趣旨で「(自然に属する)ムロの木は変わらずにあるけれども、妻はもはやいない」という意味である。四七番の歌は、一七九七番の「~にはあれど」を参考にするのではなく、一二六八番や四四六番の「~はあれど」を参考にすべきである。
  「狩り」は権力者に好まれた。仁徳紀に鷹甘部(たかかいべ)を設けたことが記されている。桓武天皇や徳川家康も鷹狩りを好んだことが知られている。狩りは人の(とくに、男の)心を高揚させるものであり、狩りの場所に行くことは楽しいことである。「ま草刈る荒野にはあれど」と「に」を入れると「狩りをする場」が“行くのに躊躇する(嫌な)場所”になってしまう。「ま草刈る荒野」は狩り好きの男にとって“行きたい場所”であるから、この点からも「に」は入れるべきではないと考える。

*四八番 10,11,14,15,19,20,26,112,186,187,256
 東野炎…ひむがしにはるのやくひの(東に春野焼く火の) 
 月西渡…「かたぶきぬ」ではなく「月にし渡る」と訓む。
 「東野炎」の「東」を重用文字と見ると、「東野炎=東・東野=東(ひむがしに)東(はる)野(の)」となる。

cf.朝東風(あさごちのかぜに)=朝(あさ)東風(ごちの)・風(かぜ)  淡海(あふみのうみ)=淡海・海=淡海(あふみの)海(うみ);  東宮=春宮、陰陽五行思想によれば、東=青=春、西=白=秋。

 歌全体:東に春野焼く火の立つ見えてかへり見すれば月にし渡る。
 一〇四七番の歌にある「炎乃」は「かぎろひの」と訓まれているが、誤り。十一世紀末に成立した『類聚名義抄』という字書に「炎 カケロフ」とあり、これに基づいて万葉集の編者も考えもしなかった「炎乃=カギロヒノ」という訓みが生まれたと思われる。九世紀中頃にもたらされた唐の大詩人白居易(772~846年)の白氏文集のなかに「陽炎」が「かげろう」の意味で使われており、これをもとに万葉集訓点作業者が「陽炎→ (陽)炎→炎=カギロヒ」と訓んだとも考えられる。また、当時、万葉集に訓点をほどこしている中で、

蜻火之(かぎろひの)燎留(もゆる)春(はる)(一八三五番)→炎乃(かぎろひの)春(はる)(一〇四七番)→東野(ひむがしののに) 炎(かぎろひの)(四七番)

という思考過程によって、「炎=カギロヒ」という訓みが生じた可能性もある。しかし、「炎」だけの用字(四七と一〇四七番)を除くと他はすべて「もゆる」にかかる枕詞となっている。「蜻火(かぎろひ)のもゆる春」から「もゆる」を消して「蜻火の春」を取り出して「炎乃春」を「かぎろひの春」とするのはやや飛躍しすぎている。また、七世紀後半に活躍した人麻呂が九世紀の白居易の「陽炎」をもとに「炎=陽炎=カギロヒ」とすることはあり得ない。一〇四七番の「炎乃」を「かぎろひの」と訓むことは誤りであろう。

*一四五番 117
鳥翔成…とりかよひ(鳥通ひ)
鳥かよひ あり通ひつつ 見らめども 人こそ知らね 松は知るらむ…「(有間皇子の魂の乗り移った)鳥が通ってきて、ずっと通ってきて(自分が結んだ松を)見ているのだろうが、(そのことを)人は知らなくても(結ばれた)松は知っているだろう」

◇一四八番 128,134
 青旗乃…あおはたの(青旗の) 意味:青旗の立てられている…神域、聖域に立てる「旗」のこと。
 青旗の木旗の上を通ふとは目には見れどもただに逢はぬかも…「(天皇の御霊を乗せた鳥が)青旗の立てられている木幡山の上を通うのは目には見えるけれども(この世の人として)直接には逢えないことだ」 ※(原文) 青旗乃木旗能上乎賀欲布跡羽目尓者雖視直尓不相香裳。諸家、この歌の「通う」ものを天皇の御霊としているが、靈的能力(霊視能力)がなければ御霊は見えない。目に見えているのは「天皇の御霊を乗せて運ぶ鳥の姿」と考えるべきである。

◇一五三番 131,132,133,134
若草乃嬬…若草の妻  若草乃嬬之念鳥立…若草の妻の思ふ鳥立つ=「若草の妻(私=倭大后)の愛している(夫の魂の乗り移った)鳥が飛び立ってしまうから」
※一四八番と一五三番の歌を理解するためには、「鳥が死者の魂を運ぶ」という思想が古代日本にはあったということを理解することが必要。「嬬」を「妻」とするのは私の新説ではなく、武田祐吉氏が『万葉集全講上』ですでに述べている。

*一五六番 204,221,264
已具耳矣…三諸之 神之神須疑 已具耳矣 自得見監乍共不寝夜叙多 (三諸(みもろ)の 神(かみ)の神杉(かみすぎ) 過(す)ぐのみを 蔀(しとみ)見(み)つつも いねぬ夜ぞ多き)
三諸の神の神スギ (あの人は)スギ逝くだけであることよ。蔀(からあの人)を見ながら共寝をしない夜が重なっている。

*一六〇番(智男雲) 79,267
 智男雲…ひじりをくも。智=知V日(日を知る→ひじり)・男(を)・雲(くも)

燃火物(もゆるひも) 取而裏而(とりてつつみて) 福路庭(ふくろには) 入澄不言八面(いるといはずやも) 智(ひじり) 男(を)雲(くも)  (燃ゆる火も 取りて包みて 袋には 入ると言はずやも 聖(ひじり)招(を)くも)

 燃えている火でも取って包んで袋に入れるというではないか。(そのような法力を持った)聖 (仙人)が欲しい。[そのような法力のある聖(ひじり)なら、亡くなった夫をよみがえらすことができるのに。そんな聖がいてくれたら!]

*一六一番(向南山) 111, 267, 271
向南山…かみやま=神山  向(カ)+南(みなみ): 向南(カみ)  ※南の「み(mi)」は甲音で、神の「み(mI)」は乙音で音がことなるが、これは「向南」という用字で「神」を表すのであろう。
「君子(王者)は南面す」という言葉があるが、
   南面→向南→王者→天皇(大王)→神
というような連想から「かみ(神)」の用字として甲乙音を無視して「向南」を用いたのではのではないだろうか。

*二五四番(留火之) 1,177,188,248
留火=流火=アンタレス=あかぼし(赤星、明星); 入日哉=入日(いりひ)かも
留火之明大門尓入日哉榜将別家當不見(明星(あかぼし)の 明石大門に 入日かも! 漕ぎ別れなむ 家のあたり見ず)
 (明星の)明石海峡に沈んでゆく夕日!(まもなく)漕ぎ別れてしまうことだろう、家のあたりも見られないで。
 ※入日かも= (明石大門に)入り 入り日かも=(明石大門に)入る 入り日かも=明石大門に沈む夕日! 「入日」の「いり(入)」は二重用法連用形(連用形二重用法)。

◇五〇九(青旗之・・・多奈引流) 175,176
青旗の葛城山にたなびける白雲隠る…「青旗の」は恐らく山頂などの神域に立てられている幡のこと。枕詞というより実質的な意味を持つ語と考えるべき。つまり、
    青旗が葛城山にたなびいている。
   (その)葛城山にたなびいている白雲に隠れている。
というように重なっていると見る。いずれも実景を表現していると考えられる。

*一〇四七番(炎乃春) 23
炎乃春…「野焼く火の春」、または、そのまま「ホノホノ春」と訓む。立春ごろに行われる「野焼き」の意。「炎」をカギロヒと訓むのは誤り。
 蜻火のもゆる荒野に(二一〇番)  香切火のもゆる荒野に(二一三番)  
 蜻蜒の心もえつつ(一八〇四番)  蜻火のもゆる春へと(一八三五番)
というように他の「かぎろひの」という枕詞は「もゆる」にかかり、「春」にはかからないし、「炎」の文字も用いていない。一八三五番の歌から強引に「蜻火(かぎろひ)のもゆる春」というように「もゆる」を消して「春」にかかる枕詞とするのは無理がある。この一八三五番の「蜻火のもゆる春」からの連想が「炎乃春」を「かぎろひの春」と訓み誤らせたと考えられる。
  
*一一二一番(我通路・・・我通)
妹等所いもらがり 我通路 細竹為酢寸しのすすき 我通われしかよはば 靡なびけ細竹原しのはら (妹らがり 我通路 篠すすき 我し通はば なびけ篠原)
「我通路」を「我(わ)が行(ゆ)く道(みち)の」と訓む研究者が多いが、「我(わ)が通(かよ)ひ道(ぢ)の」と『万葉集略解』などは訓んでいる。この「かよひ」は“二重用法連用形”で「(妻のもとへ)我が通(かよ)ひ通(かよ)ひ道(ぢ)」であり、ここから前の連用形の「通(かよ)ひ」を便宜的に連体形と見なして「通(かよ)ふ」とし、「(妻のもとへ)我が通(かよ)ふ通(かよ)ひ道(ぢ)」の意味を持っていると考える。
 現代語の「通い路」は名詞で「通路(ツウロ)」と同様で「通い」は動詞としての力を失っていて、「わが通い路」は「わが通路」と同じ意味になってしまうが、「我(わ)が通(かよ)ひ道(ぢ)の」の連用形「通(かよ)ひ」はまだ動詞としての活力は持っていると考えられる。拙著『万葉難訓歌の解読』にある「かわいあの娘にかよい舟」という表現では、「かわいあの娘に通う通い舟」の意味になる。連用修飾語として「かわいあの娘に」が「かよい」にかかるのと同様に「我が」も「通ひ」に対して主格としてかかると考えられる。「我が」はいわゆる「所有格」ではない。

*二〇三三番(磨待無) 136
磨待無…磨待無(ましまたなくに)=麻石(まし)待た無くに
磨=麻(マ)+石([い]し)=マし=汝(まし)

*二四九五番(母養子) 154
母養子…母がかひこの=母が飼(か)ひ蚕(こ)の→母がかふ・かひこ。 二重用法連用形と見て「母がかいこの」と訓む。

*二九九一番(母我養蚕乃) 154
母我養蚕乃…母がかひこの。  二〇三三番と同じ。

△三〇四六番(安蹔) 224,262,263
安蹔…あし(葦)。 安蹔=安(ア)+蹔(しまし)=ア・し=葦(あし)。 「蹔」は「斬(きり)+足(あし)」=斬り葦で、根元から斬られた短い葦を示す背景文字。

△三二四二番(吾通道) 182
吾通道…わが通(かよ)ひ道(ぢ)の。 一一二一番の「我通路」参照。

*三二五八番(母之養蚕之) 154
母之養蚕之…母がかひこの。 二〇三三番と二九九一番の歌参照。

◇三五九六番(印南都麻之良奈美) 171,172
我妹子が 形見に見むを 印南都麻(いなみつま) 白波(しらなみ)高み よそにかもみむ
 印南都麻は地名、兵庫県加古川河口のこと。「しらなみ」が二重用法で、「しらな・しらなみ=知らな・しら波→知らない白波」と考えることができるのはないか。「いとしい妻の形見として見たいのに、(妻の名を持つ)イナミ妻を知らない白波が高いので近づいて見ることができない」という内容。「知らな=知らぬ→知らn-」で未然形の二重用法であろう。

**紀歌謡・・・(鳥往来) 126,128 
鳥往来…鳥かよひ。従来、「鳥かよふ」と連体形でよまれているが、「かよひ」と連用形でよむべきであろう。

**記歌謡・・・(布那阿麻理) 107,109
布那阿麻理…ふなあまり=舟(ふな)・余(あまり)=艅=呉(王)の大船

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 以下は『万葉難訓歌の解読』以降に日本語語源研究会にて発表した論文に掲載した説です。

*一番(家吉閑名告紗根)
家吉閑名告紗根→家(いへ)(のら)(し)(な)(のら)紗根(さね)…家のらし、名のらさね。諸本に「吉」とあるが、「告」を正字と見る。「閑」の字音は「カン」で多数の研究者は、
 吉閑→きカナ=聞かな。 「な」は希求の助詞「な」。「聞きたい」の意。
とするのであるが、「吉」と「告」はひじょうに類似した文字であり、筆で書くとどちらにも読める文字となることが少なからず起こる。よって、「告」を正字と見る。「閑」は“閑静”という熟語があるように「静」と同じ意味を持つ漢字である。
  閑=静=しずか…し(略訓仮名)
そうすると、「家吉閑名告紗根」は「家いへらし、名らさね」と訓める。この「し」は尊敬の助動詞「す」の連用形。後の「のらさね」の「さ(尊敬の助動詞「す」の未然形)」と連動して使われている。最後のいわゆる希求の助詞「ね」によって統括されている(私は希求の助詞「ね」は希求の助動詞「ぬ」の命令形と考えている)。「家をおっしゃいなさい、名前をおっしゃいなさい」と言う意味で、雄略天皇が「菜摘む娘」に丁寧な口調で言い寄っている歌であろう。 (『語源研究 31』[日本語語源研究会 1997年]所載の拙論「万葉集一番の歌と大友家持」に詳述)

*一六番(冬木成)
冬木成ふゆきなす。「ふゆき」は、冬(ふゆ)+木(き)=柊=ヒイラギの木の意。「フユキ(冬木)」は漢字「柊」を構成要素に分解して訓んだ言葉。「冬木成」をフユコモリと訓むのは誤りと考える。
冬木成は春にかかる枕詞であるが、これは「ヒイラギを飾る春」ということだと考えられる。今でも節分の夜に魔よけとして鰯の頭をヒイラギの小枝に指して門戸に立てる風習が各地に残っており、「冬木=ヒイラギ」が春の枕詞になることはよく理解できる。
「なす」は通常「~ような、~ように」という意味を表すとされているが、格助詞の「の」と同様に多様な意味を持っている(ように見える)と考えている。
 「冬木成春=ふゆきなす春」は「冬木の春」と同じであり、「クリスマスツリーの十二月」が「クリスマスツリーを飾る十二月」を意味するように「ヒイラギ(=柊)を飾る春」の意味となる。

 ※一九九番、三八二番、一七〇五番、三二二一番の歌に出てくる「冬木成」もすべて「ふゆきなす」と訓む。
(『語源研究 33』[日本語語源研究会 1998年]所載の拙論「万葉『冬木成』の意味と用法」に詳述)

*二一一三番(手寸十名相)
手寸十名相…すきとなへ=鋤き唱へ:
手寸十名相(すきとなへ) 殖之名知久(うゑしなしるく) 出見者(いでみれば) 屋前之早芽子(やどのはつはぎ) 咲尓家類香聞(さきにけるかも) 

*六五五(邑礼左變)
邑礼左變むらのかみさへ=村の神さへ。 「礼」=礼拝する→礼拝の対象→神(かみ)。 cf. 國之常立(くにのとこたちの)神(カミ)(古事記)=國常立(くにのとこたちの)尊(ミコト)(書紀) 神(カミ)≒尊(ミコト)→尊ぶ→尊ぶ対象=神。
    不念乎(おもはぬを) 思常云者(おもふといはば) 天地之(あめつちの) 神祇毛(かみも)知寒(しらさむ) 邑(むらの)礼(かみ)左變(さへ)
   (思はぬを 思ふと言はば 天地(あめつち)の神も 知らさむ 村の神さへ)
思っていないのに思っていると言ったら、天地の神様が思い知らされるでありましょう。村の神様でさえ(そうされるでしょう)。

※※「雨(rain)」は通常は空から降って来る小さな水滴の集まりのことであるが、類聚名義抄の古訓の中に「フル」という訓を付けているものがある。名詞の「雨(あめ)」が動詞の「フル(降る)」の意味で使われるのである。つまり、「雨る」という動作を「雨(あめ)」という主体となる名詞が表しているのである。漢字の訓は古い時代(万葉の時代、つまり、奈良時代より前の時代の飛鳥時代)にはかなり融通無碍に用いられていたようである。時代が下がるほど音訓の固定が厳しくなり、明治時代に学校制度が整い、学校教育が普及するにつれて音と訓の固定が強くなった。今、小中高で「おもう」という言葉に「念おもう」とすれば✕をつけられる。六五五番の歌の中では「礼」を「かみ(=神)」と読むのが一番すなおで意味がとりやすい。

(『語源研究 22』[日本語語源研究会1992年12月]所載の拙論「万葉の『邑礼左變』の訓について」に詳述)