ユングスタディ報告
ユング「心理学と宗教」を読む 12月2日【第4回】
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12月のスタディでは、全集パラグラフ41-55(邦訳書p.31-37)を読み進めました。ここでユングは、現代人の無意識に存在する宗教的傾向を伺うため、自身の患者であった男性知識人(ノーベル賞物理学者パウリ)が見た夢を取り上げていきます。その夢とは、教会の中で厳粛な宗教行事が執り行われた後、その同じ場所で、参加者たちの要望に応えて陽気で享楽的な第二部の集まりが始まるというものでした。
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ユングはまず最初に、自身の夢の扱い方について説明をします。ユングによれば、夢は自然な現象であり、意味深い動機を直接に表現しているので、その内容は額面通りそのまま受け取るべきものです。これは、フロイトによる夢の扱い方との違いを意識した発言です。
ユングと協働していた時期のフロイトは、神経症の原因を、抑圧された性的願望にあるとしました。この願望は夢の中において、意識の検閲をかいくぐるよう、それとは気づかれにくい変形したイメージで現れます。この変形したイメージを、抑圧された元の願望に還元して意識化することで、神経症の症状は消失するとフロイトは考えました。つまりフロイトは、一見して性的に見えない夢であっても、その背後には性的願望があり、その願望に至るような解釈をしなければならないと考えていました。
フロイトの立場であれば、宗教的に思える夢であっても、必ずしも宗教について語った夢とは見なさないことになります。ユングはこれに異を唱え、宗教的な夢をそのまま宗教的なテーマを扱うものとして受け取ることを、ここで明言したことになります。
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またユングは、一つの夢は単体で解釈するものではなく、連続した無意識過程の系列の一部であるとします。実際ユングは今回の夢について、重要な意味を帯びた二つの夢の間に挟まれて、そこに現れた課題から逃げ出したいという試みであると理解しています。この夢は、道徳的葛藤の苦痛と悲嘆を忘却しようとするものであって、夢の中に現れている女性(アニマ像)はこの態度に対して抗議しているとされます。
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もっともユングによれば、この夢に現れているのは、当時における宗教の状況そのものです。夢に現れている大衆の重視と、異教的理想(ディオニュソス=ヴォータン的祝祭)の浸透は、ヨーロッパで今日実際に起こっているとユングは言います。世俗性と群衆本能によって変質していることは、生き生きとした神秘を喪失してしまった宗教のよく知られた特徴だ、とも指摘されます。
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この箇所をもって、ユングの一日目の講義は終わります。続く二日目以降では、ユングが重要な意味を持つと捉えている幾つかの夢についての解釈が述べられていきます。宗教的なるものの本質の問題の話に、いよいよ入っていくことになります。
ディオニュソスは、ギリシア神話における豊穣と酩酊、祝祭、狂気の神です。ニーチェの『悲劇の誕生』(1872)では、理性的なアポロンと情動的なディオニュソスとが対比されます。ヴォータンは、北欧神話の神オーディン(戦争と死の神)のドイツ語表現です。ユングは比較的な観点から、この二神は多くの共通点を持ってるとしています。ユングは「ヴォータン」というタイトルの文章も書いていますが、これはユングのナチスへの接近を示す根拠に挙げられることもある文章です。この文章の扱われ方の妥当性も含め、課題のあるテーマです。
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これらの神々は、通常、男性像として描かれていますが、ソーシャルゲームの「ファントム オブ キル」では、ヴォータンは女性キャラクターです。画像は公式ツィッターから。こうした女性化には、現代人のどんな無意識的過程があるのでしょうか。