ユングとスピリチュアル

ユング心理学について。

光の影に気づかず、危険が迫っている。世界は見るべき内なる光と闇の両方である。

2021-04-04 10:45:49 | 心理学

根底から引き裂かれ、もはや原初のイメージの権威に訴えることができなくなった意識は、確かにプロメテウス的な自由さを持っているが、同時に神をも恐れぬ傲慢さの性質も持っている。それは地球上、さらには人類の上空にまでそびえ立っていますが、転覆の危険は確かにすべての個人に存在するのではなく、そのような社会の弱い人々の集合体に存在します。彼らは再びプロメテウスのように、無意識のうちにコーカサスに縛られているのである。中国の賢者は、易経の言葉で次のように言っています。「陽が最大の力を発揮するとき、陰の暗黒の力はその深みに爆弾を抱えている。陽が分解して陰に変化し始める正午に夜が始まる。- C.G.ユング

Consciousness thus torn from its roots and no longer able to appeal to the authority of the primordial images, possesses a Promethean freedom, it is true, but it also partakes of the nature of a godless hubris. It soars above the earth, even above mankind, but the danger of capsizing is there, not for every individual, to be sure, but collectively for the weak members of such a society, who again Promethean-like, are bound by the unconscious to the Caucasus. The wise Chinese would say in the words of the I Ching: When yang has reached its greatest strength, the dark power of yin is bom within its depths ; night begins at midday when yang breaks up and begins to change into yin. - C.G. Jung

 

コメント

V

人は意識しなければならない。
光と闇、彼と彼女など、二面性はどこにでもある。
光と闇、彼と彼女、互いの影は永遠に生き続ける。
気をつけよう、友よ、光の影に気づかず、危険が迫っている。世界は見るべき内なる光と闇の両方である。
あなたが望むのは、全体的な認識である
aware must one be -
duality is everywhere: light and dark, he and she.
the shadows to each other will they live forever.
careful, my friend, light's shadow unaware,the danger crips along. the world is both the light and dark within to see.
you want in whole aware be

 

アダムとイブの「楽園追放」(ユング心理学辞典p133)深層心理学的な意味

「人類の堕罪の言い伝えには深い教えがこもっている。それは実に、自我意識の解放はルシフェル的(ルシファー→光をもたらす者→意識化→自我意識の拡大→自我の肥大→神イメージとの同一化)な行為だという、おぼろげな予感の表現である。人類の歴史とは、その始まりから、意識を持ったがゆえ(意識に対する)(劣等感と)(意識を誇る(優越感))の放漫の争いである。」

.我々は潜在的な自我が自己との完全な一体性のうちにある、肥大の状態で生まれる。さらに、この原初状態である受動的な肥大への移行を象徴するのが、失楽園の物語である。

知恵の木の実によって、人は、「目が開け、神のごとくなる 創世記3章5節、3章22節」という、自我の誕生は、人間の避けられない宿命である。

ミヒャエル・エンデ ‏@Michael_Ende_jp
まだ名がないものや生物に名を与える―単なる呼称では無く、まことの名を与える、これこそは人間が持つ能力の中で、もっとも人間の根源的なものだ。これにより、はじめて人と周りのものに関連ができ、その人にとり、その存在は初めて現実となる。 『エンデのメモ箱』
 
ミヒャエル・エンデ ‏@Michael_Ende_jp
それぞれ名付けられたものは、それがあたかもそれだけで存在するかのように、名がない全体から切り離される。それは、いわば"必要な罪業"だが、しかし、そうしなければ、人は世界と向かい合えない。つまり、意識ある存在になれない。自分と区別できないものは名付けられないのだ。『エンデのメモ箱』 ↓意識を持つことに対しての(罪業)の補償としての犠牲

犠牲の意味
犠牲は、われわれが意識をもつことにたいして払う代償である。........
(捨て去る、断念する......神聖化する、聖別化する)...我々が人間的であるために支払わなければならない代価の本質として、犠牲の必要性をとりあげた 自己(神イメージ)が私(自我)に犠牲を求めている(ヌミノースp127)のが論理的説明であるが....(ユング心理学辞典)p35 (キリスト教的には、聖霊が犠牲を求めてくる。)

カール・グスタフ・ユング‏ @C_G_Jung_jp

ファウストの罪は、変容されるべきもの、変容したものと同一化してしまった点にある。これに対してニーチェの行過ぎは、超人ツァラトゥストラ、即ち明瞭な意識性に到達しようとした人格部分、これに同一化してしまった点にある。-心理学と錬金術-
(神イメージとの同一化)→神(イメージ)と人間(自分自身)との区別がつかない状態→人間の苦悩(驕り謙虚さを失う)
 
カール・グスタフ・ユング‏ @C_G_Jung_jp
人間の最悪の罪は無意識でいることである。だが人類の教師であり模範でなければならぬ人々でさえ、この罪のために最も熱心に働いている。-元型論-
 

アーノルド・ミンデルbot@arnymindellbot

並行世界とつながれば、症状を緩和することができる。逆に、並行世界の経験を無視したり見くびったりすることは、あなたの気分を不安定にし、身体をいらつかせる。なぜなら、自分の道の一部、自分を誘導する波の一部を無視しているからである。



罪についてユング心理学の立場
ユング「アイオーン」引用
自己の超越的内容が自我に統合されることで引き起こされる「自我肥大」の危険について。

自我肥大は自我が自己に取り込まれて現実感覚を失う場合と、自我が自己を取り込んで我が物としてしまう場合とがあります。前者では一般的な道徳に従うことが、後者では逆に一般的な道徳の枠組みから外れることが重要なことになります。

道徳的な葛藤を人間の成長において重要視することはユングの特徴です。続いてユングは、心の内から現れる衝動(情動、(ヌミノース))を、決定力を持った「神の意志」として捉えることで、元型的なるものとの心理的な調和を取ることができると述べます。さらにユングは、心の問題を扱う上では、知性だけでなく感情も重要視するべきとします。(そして情動も。ヌミノース)そして最後に、我々が歴史を通じて体験的基盤を失ってしまった「形而上的諸表象」に投影されていた心的諸内容を元型的観点を通して自我に再結合することの重要性が説かれます。

第5章「キリスト、自己の象徴」
ユングは現代において、キリスト教が歴史的に培ってきた諸表象が、新たに無意識から湧き上がってくるものを表現できておらず、それが故に受け皿を失った神話の持つ独自の活動力が、ナチスドイツのような社会的に混乱した事象へと流れ込んでいくと考えていました。ユングにとって、キリスト教のイメージをいかにとらえるかと言う問題は、人類の存亡にも関わるような現代的課題なのです。

>心の問題を扱う上では、知性だけではなく感情も重要視するべきとします。( そして、情動も。(ヌミノース)
)
ヌミノースな経験によって、自我の立場を相対化(客体化、対象化)すると同時に、自我の立場から、ヌミノース経験を相対化。
ユング心理学辞典p64自我ー自己軸


「ユングとファウスト」本村詔司p208~

神聖との根源的結合を回復するのに適した一つの存在、すなわち人間が創造された。しかし人間はあらゆる点で神に類似し、否、神に等しかるべき存在であるためにルーツィファー(ルシファー)と同じ立場になり、ルシファーの役を演じることになった。
そこで神自身が、(キリスト)人間の姿をとって地上に現れ、人間と運命を共にし、その苦悩を和らげた。

そこからゲーテは次の様な教訓を導き出す。
「わたしたちが現に置かれている状態は、それがわたしたちをひきおろし、圧迫するように見えても、しかし実際は、わたしたちをより高めて、神の意図を実現する機会を与え、それどころか、それを義務として課するものである。(ヨブの苦悩)
.........しかし神の意図の実現は、わたしたち人間が一方において自我を固執(意識の拡大)するように強いられながらも、他方において規則的な脈動において自我を脱却(犠牲)することを怠らぬことによって果たされる。



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