その壁が崩れる時が来ます。すべてが疑わしくなり、外部の価値観ではどうにもならないので、内なる導きが必要になります。そして、世界の安定は、自分自身の信頼性、つまり自分自身の中の安全性にのみ基づいているのです」。
~C.G.ユング「ツァラトゥストラ・セミナー」より
コメント
※現代AIが進化した時代を迎へその進化についていけてないため混乱が生じていると思います。(道徳、倫理、宗教性の領域)良心、現実直視
A
"非常に素晴らしい法律があっても、全く不道徳なままである。どんな刑法も道徳的な人間を生み出したことはない。
"汝、すべし" という言葉は、あなたがふらついているときにまっすぐ歩くのを助けるレールのようなものでしかありません。
しかし、レールなしで歩けるようになって初めて、まっすぐ歩くことを学んだことになります。そのとき初めて、真の服従と責任を学んだことになります。2つの高い壁の間を歩く限り、そこには自由も責任もその他の特別な美徳もありません。酔っ払っていても真っ直ぐ歩ける。さて、このような安全な壁に囲まれた安全な道という状態は、確立された文明の中で何百年も続いているかもしれませんが、その壁が崩れる時が来ます。すべてが疑わしくなり、外部の価値観ではどうにもならないので、内なる導きが必要になります。そして、世界の安定は、自分自身の信頼性、つまり自分自身の中の安全性にのみ基づいているのです」。
~C.G.ユング「ツァラトゥストラ・セミナー」より
A
武器を恐れるのは、性と感情の成熟が遅れている証拠です。
~ドン・B・ケイツ
(ジグムント・フロイト、精神分析総論(1952)
A
“You can have very wonderful laws, yet remain utterly immoral. No penal code has ever produced moral beings:
"thou-shalt" is only a sort of rail which helps you to keep straight when you are wobbling. But you have learned to walk straight only when you can walk without a rail: only then have you learned the true obedience and responsibility. As long as you walk between two high walls where you simply cannot deviate, there is neither freedom nor responsibility nor any other particular virtue; you can be quite drunk and still you walk straight. You simply cannot go in a zigzag when you are walled in. Now, that condition of a safe road with safe walls may prevail during many hundreds of years in an established civilization, but a time will come when those very walls fall down, and then we suddenly need the dependence upon ourselves. Everything becomes questionable, and we need a guidance within because external values won't give it to us. Then the stability of the world is based solely upon our own reliability, the safety in ourselves.”
~C.G. Jung, Zarathustra Seminars
人生の後半、つまり35歳以上の私の患者の中で、最後の手段として宗教的な人生観を見つけることが問題でない人はいませんでした。彼らの一人一人が病気になったのは、あらゆる時代の生きた宗教が信者に与えたものを失ったからであり、宗教的な展望を取り戻せなかった人で、本当に治癒した人は一人もいないと言ってよいだろう。
~C.G.ユング『心理療法士か聖職者か』。CW11:心理学と宗教。西洋と東洋、para. 509.
Among all my patients in the second half of life — that is to say, over thirty-five — there has not been one whose problem in the last resort was not that of finding a religious outlook on life. It is safe to say that every one of them fell ill because he had lost what the living religions of every age have given to their followers, and none of them has been really healed who did not regain his religious outlook.
~C.G. Jung, Psychotherapists or the Clergy. CW 11: Psychology and Religion: West and East, para. 509.
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A fear of weapons is a sign of retarded sexual and emotional maturity.
~Don B. Kates
(Sigmund Freud, General Introduction to Psychoanalysis (1952)
Google翻訳
A
「あなたは非常に素晴らしい法律を持つことができますが、それでも完全に不道徳なままです。刑法はこれまで道徳的な存在を生み出していません。「汝」("汝、すべし" )は、ぐらついているときにまっすぐに保つのに役立つ一種のレールにすぎません。しかし、あなたはレールなしで歩くことができるときだけまっすぐ歩くことを学びました:それからあなたは本当の従順と責任を学びました。あなたが単に逸脱することができない2つの高い壁の間を歩く限り、自由も責任も他の特定の美徳もありません。あなたはかなり酔うことができます、そしてそれでもあなたはまっすぐ歩きます。壁に囲まれていると、ジグザグに入ることができません。確立された文明では、何百年もの間、安全な壁のある安全な道路の状態が続く可能性がありますが、それらの壁が崩壊する時が来るでしょう。私たちは突然自分自身への依存を必要としています。すべてが疑わしくなり、外部の価値観が私たちにそれを与えないので、私たちは内部でガイダンスを必要とします。そして、世界の安定は、私たち自身の信頼性、私たち自身の安全性にのみ基づいています。」
〜C.G。 Jung、Zarathustraセミナー
人生の後半、つまり35歳以上の私のすべての患者の中で、最後の手段で問題が人生の宗教的見通しを見つけることではなかった患者は一人もいませんでした。 あらゆる時代の生きた宗教が信者に与えたものを失ったために、彼ら全員が病気になったと言っても過言ではありません。
〜C.G。 ユング、心理療法士または聖職者。 CW 11:心理学と宗教:西と東、パラ。 509。
ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp
私はもう第三次世界大戦は始まっていると思うのです。ただ私たちがそれに気づかないだけです。なぜならこの戦争は、従来のように領土を対象とする戦争ではなくて、時間の戦争だからです。それは私たちの子どもや、子孫を破滅させる戦争です。 『エンデの文明砂漠』
ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp
·私たちは、わが子や孫に向かい、来る世代に対して、容赦無い戦争を引き起こしてしまった。私たちは砂漠と化した世界を子孫に残すことになるだろう。子孫がそこで生きることはたやすいことではない。だが、子孫は応戦できないから、私たちはこのまま更に進めてゆく。もはや、これ以外のことは出来ない。
すべての混沌の中に宇宙があり、すべての無秩序の中に秘密の秩序があります。 〜カール・ユング
「元型と集合的無意識」
In all chaos there is a cosmos, in all disorder a secret order. ~Carl Jung
The Archetypes and the Collective Unconscious
全文
「このように、アニマと生命そのものは、解釈ができない限り無意味である。なぜなら、すべての混沌の中に宇宙があり、すべての無秩序の中に秘密の秩序があり、すべての気まぐれの中に固定された法則があるからであり、作用するすべてのものはその反対のものに基づいているからである。このことを認識するには、すべてのものを反語的な判断に分解する人間の識別力が必要である。ひとたびアニマと向き合えば、その混沌とした気まぐれさから、秘密の秩序を疑い、アニマの性質を超えた計画や意味、目的を感じ取ることができるでしょう。あるいは、そのようなものを「仮定」すると言いたくなるかもしれませんが、それは真実とは一致しません。実際のところ、私たちは冷静に考える力を持っていませんし、どんな科学や哲学も私たちを助けてはくれませんし、伝統的な宗教の教えも、限られた範囲でしか役に立ちません。私たちは目的のない経験に巻き込まれており、カテゴリーを持った判断力のある知性は無力であることを証明しています。人間の解釈は失敗し、伝統的な意味づけのどれにも当てはまらない激動の人生状況が発生したからです。それは崩壊の瞬間である。私たちは最後の深みに沈みます。アプレイウスはそれを「一種の自発的な死」と呼んでいます。それは、人為的な意志ではなく、自然に押し付けられた自分自身の力の降伏であり、道徳的な装いをした自発的な服従と屈辱ではなく、士気低下のパニック的な恐怖を伴った完全で紛れもない敗北である。すべての支柱や松葉杖が壊れ、後方からの援護がわずかな安全の希望さえも提供しない場合にのみ、それまではアニマが演じる意味のある無意味なことの後ろに隠れていた元型を経験することが可能になるのです。アニマが生命の元型であるように、これは意味の元型である」。~カール・ユング(著書:『元型と集合的無意識』
Full citation:
"Thus the anima and life itself are meaningless in so far as they offer no interpretation. Yet they have a nature that can be interpreted, for in all chaos there is a cosmos, in all disorder a secret order, in all caprice a fixed law, for everything that works is grounded on its opposite. It takes man's discriminating understanding, which breaks everything down, into antinomial judgments, to recognize this. Once he comes to grips with the anima, her chaotic capriciousness will give him cause to suspect a secret order, to sense a plan, a meaning, a purpose over and above her nature, or even—we might almost be tempted to say—to "postulate" such a thing, though this would not be in accord with the truth. For in actual reality we do not have at our command any power of cool reflection, nor does any science or philosophy help us, and the traditional teachings of religion do so only to a limited degree. We are caught and entangled in aimless experience, and the judging intellect with its categories proves itself powerless. Human interpretation fails, for a turbulent life-situation has arisen that refuses to fit any of the traditional meanings assigned to it. It is a moment of collapse. We sink into a final depth—Apuleius calls it "a kind of voluntary death." It is a surrender of our own powers, not artificially willed but forced upon us by nature; not a voluntary submission and humiliation decked in moral garb but an utter and unmistakable defeat crowned with the panic fear of demoralization. Only when all props and crutches are broken, and no cover from the rear offers even the slightest hope of security, does it become possible for us to experience an archetype that up till then had lain hidden behind the meaningful nonsense played out by the anima. This is the archetype of meaning, just as the anima is the archetype of life itself." ~Carl Jung (Book: The Archetypes and the Collective Unconscious
"I therefore consider it wise to acknowledge the idea of God consciously, for if we do not, something else is made God; usually something very inappropriate and stupid such as only an enlightened intellect could hatch forth Carl Jung
そうしないと、何か他のものが神にされてしまうからです。たいていの場合、悟りを開いた知性だけが生み出すことができるような、非常に不適切で愚かなものです」 カール・ユング
A
[私は、神という概念を意識的に認める方が賢明だと考えています。そうしないと、何か他のものが神にされてしまい、たいていは「悟りを開いた」知性だけが生み出すことができるような、非常に不適切で愚かなものになってしまうからです)。
". . . 神の観念は、非合理的な性質を持つ絶対的に必要な心理的機能であり、神の存在の問題とは何の関係もない。人間の知性はこの問題に答えることはできないし、ましてや神の証明をすることはできない。なぜなら、全能の神の存在という考えは、意識的でなくても無意識のうちに、元型としてどこにでも存在しているからである。精神の中には何か優れた力があり、それが意識的に神でないとしても、聖パウロの言葉を借りれば、少なくとも「腹」なのである。なぜなら、そうしないと、何か他のものが神にされてしまうからです。たいていの場合、「悟りを開いた」知性だけが生み出すことができるような、まったく不適切で愚かなものが神にされてしまいます。私たちの知性は、私たちが神について適切な考えを持つことができないこと、ましてや神が実際に存在するとすれば、どのような形で存在するのかを自分自身で描くことができないことを長い間知っていました。神の存在は、きっぱりと答えの出ない問題なのです。. ."
~カール・ユング、CW7、par.110
A
[I therefore consider it wiser to acknowledge the idea of God consciously; for, if we do not, something else is made God, usually something quite inappropriate and stupid such as only an "enlightened" intellect could hatch forth.]
". . . The idea of God is an absolutely necessary psychological function of an irrational nature, which has nothing whatever to do with the question of God's existence. The human intellect can never answer this question, still less give any proof of God. Moreover such proof is superfluous, for the idea of an all-powerful divine Being is present everywhere, unconsciously if not consciously, because it is an archetype. There is in the psyche some superior power, and if it is not consciously a god, it is the "belly" at least, in St. Paul's words. I therefore consider it wiser to acknowledge the idea of God consciously; for, if we do not, something else is made God, usually something quite inappropriate and stupid such as only an "enlightened" intellect could hatch forth. Our intellect has long known that we can form no proper idea of God, much less picture to ourselves in what manner he really exists, if at all. The existence of God is once and for all an unanswerable question. . ."
~Carl Jung, CW7, par.110
【新共同訳】
ローマの信徒への手紙
16:17 兄弟たち、あなたがたに勧めます。あなたがたの学んだ教えに反して、不和やつまずきをもたらす人々を警戒しなさい。彼らから遠ざかりなさい。
16:18 こういう人々は、わたしたちの主であるキリストに仕えないで、自分の腹に仕えている。そして、うまい言葉やへつらいの言葉によって純朴な人々の心を欺いているのです。
16:19 あなたがたの従順は皆に知られています。だから、わたしはあなたがたのことを喜んでいます。なおその上、善にさとく、悪には疎くあることを望みます。
【新共同訳】
フィリピの信徒への手紙
3:18 何度も言ってきたし、今また涙ながらに言いますが、キリストの十字架に敵対して歩んでいる者が多いのです。
3:19 彼らの行き着くところは滅びです。彼らは腹を神とし、恥ずべきものを誇りとし、この世のことしか考えていません。
【新共同訳】マタイによる福音書◆汚れた霊が戻って来る
12:43 「汚れた霊は、人から出て行くと、砂漠をうろつき、休む場所を探すが、見つからない。
12:44 それで、『出て来たわが家に戻ろう』と言う。戻ってみると、空き家になっており、掃除をして、整えられていた。
12:45 そこで、出かけて行き、自分よりも悪いほかの七つの霊を一緒に連れて来て、中に入り込んで、住み着く。そうなると、その人の後の状態は前よりも悪くなる。この悪い時代の者たちもそのようになろう。」
【新共同訳】ヨハネによる福音書 8:11 女が、「主よ、だれも」と言うと、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」〕
【新共同訳】ヨハネによる福音書 5:14 その後、イエスは、神殿の境内でこの人に出会って言われた。「あなたは良くなったのだ。もう、罪を犯してはいけない。さもないと、もっと悪いことが起こるかもしれない。」
ヨハネによる福音書/ 13章 08節 ペトロが、「私の足など、決して洗わないでください」と言うと、イエスは、「もし私があなたを洗わないなら、あなたは私と何の関わりもなくなる」とお答えになった。
コロサイの信徒への手紙/ 01章 23節
あなたがたは揺るぐことなく、しっかりと信仰に踏みとどまり、あなたがたが聞いた福音の希望から離れてはなりません。
サタン、ヨブを撃つ』 by ウィリアム・ブレイク
ユング心理学を知らない方にとっては誤解を招きそうだったので一部削除しました。
ただし悪(相対的な悪と絶対的な悪)と善そして影との関係が理解されないときは善を行っても逆に悪を行い破壊的な力を招いてしまう恐れがあるためよく理解していないといけないと感じています。
【新共同訳】
ヨブ
◆事の起こり
1:1 ウツの地にヨブという人がいた。無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きていた。
1:2 七人の息子と三人の娘を持ち、
1:3 羊七千匹、らくだ三千頭、牛五百くびき、雌ろば五百頭の財産があり、使用人も非常に多かった。彼は東の国一番の富豪であった。
1:4 息子たちはそれぞれ順番に、自分の家で宴会の用意をし、三人の姉妹も招いて食事をすることにしていた。
1:5 この宴会が一巡りするごとに、ヨブは息子たちを呼び寄せて聖別し、朝早くから彼らの数に相当するいけにえをささげた。「息子たちが罪を犯し、心の中で神を呪ったかもしれない」と思ったからである。ヨブはいつもこのようにした。
1:6 ある日、主の前に神の使いたちが集まり、サタンも来た。
1:7 主はサタンに言われた。「お前はどこから来た。」「地上を巡回しておりました。ほうぼうを歩きまわっていました」とサタンは答えた。
1:8 主はサタンに言われた。「お前はわたしの僕ヨブに気づいたか。地上に彼ほどの者はいまい。無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きている。」
1:9 サタンは答えた。「ヨブが、利益もないのに神を敬うでしょうか。
1:10 あなたは彼とその一族、全財産を守っておられるではありませんか。彼の手の業をすべて祝福なさいます。お陰で、彼の家畜はその地に溢れるほどです。
1:11 ひとつこの辺で、御手を伸ばして彼の財産に触れてごらんなさい。面と向かってあなたを呪うにちがいありません。」
1:12 主はサタンに言われた。「それでは、彼のものを一切、お前のいいようにしてみるがよい。ただし彼には、手を出すな。」サタンは主のもとから出て行った。
1:13 ヨブの息子、娘が、長兄の家で宴会を開いていた日のことである。
1:14 -15ヨブのもとに、一人の召使いが報告に来た。「御報告いたします。わたしどもが、牛に畑を耕させ、その傍らでろばに草を食べさせておりますと、シェバ人が襲いかかり、略奪していきました。牧童たちは切り殺され、わたしひとりだけ逃げのびて参りました。」
1:16 彼が話し終らないうちに、また一人が来て言った。「御報告いたします。天から神の火が降って、羊も羊飼いも焼け死んでしまいました。わたしひとりだけ逃げのびて参りました。」
1:17 彼が話し終らないうちに、また一人来て言った。「御報告いたします。カルデア人が三部隊に分かれてらくだの群れを襲い、奪っていきました。牧童たちは切り殺され、わたしひとりだけ逃げのびて参りました。」
1:18 彼が話し終らないうちに、更にもう一人来て言った。「御報告いたします。御長男のお宅で、御子息、御息女の皆様が宴会を開いておられました。
1:19 すると、荒れ野の方から大風が来て四方から吹きつけ、家は倒れ、若い方々は死んでしまわれました。わたしひとりだけ逃げのびて参りました。」
1:20 ヨブは立ち上がり、衣を裂き、髪をそり落とし、地にひれ伏して言った。
1:21 「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」
1:22 このような時にも、ヨブは神を非難することなく、罪を犯さなかった。
【新共同訳】
ヨブ
2:1 またある日、主の前に神の使いたちが集まり、サタンも来て、主の前に進み出た。
2:2 主はサタンに言われた。「お前はどこから来た。」「地上を巡回しておりました。ほうぼうを歩きまわっていました」とサタンは答えた。
2:3 主はサタンに言われた。「お前はわたしの僕ヨブに気づいたか。地上に彼ほどの者はいまい。無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きている。お前は理由もなく、わたしを唆して彼を破滅させようとしたが、彼はどこまでも無垢だ。」
2:4 サタンは答えた。「皮には皮を、と申します。まして命のためには全財産を差し出すものです。
2:5 手を伸ばして彼の骨と肉に触れてごらんなさい。面と向かってあなたを呪うにちがいありません。」
2:6 主はサタンに言われた。「それでは、彼をお前のいいようにするがよい。ただし、命だけは奪うな。」
2:7 サタンは主の前から出て行った。サタンはヨブに手を下し、頭のてっぺんから足の裏までひどい皮膚病にかからせた。
2:8 ヨブは灰の中に座り、素焼きのかけらで体中をかきむしった。
2:9 彼の妻は、/「どこまでも無垢でいるのですか。神を呪って、死ぬ方がましでしょう」と言ったが、
2:10 ヨブは答えた。「お前まで愚かなことを言うのか。わたしたちは、神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか。」このようになっても、彼は唇をもって罪を犯すことをしなかった。
2:11 さて、ヨブと親しいテマン人エリファズ、シュア人ビルダド、ナアマ人ツォファルの三人は、ヨブにふりかかった災難の一部始終を聞くと、見舞い慰めようと相談して、それぞれの国からやって来た。
2:12 遠くからヨブを見ると、それと見分けられないほどの姿になっていたので、嘆きの声をあげ、衣を裂き、天に向かって塵を振りまき、頭にかぶった。
2:13 彼らは七日七晩、ヨブと共に地面に座っていたが、その激しい苦痛を見ると、話しかけることもできなかった。
おおなむちのみこと。
きさがいひめうむがいひめ
大穴牟知 命 (上) ヨブとその妻(下) 大穴牟知命は,八十神の兄弟神によって二 度殺害が試みられ,盛貝比売,蛤貝比売, 母神の三女神によって,再生する。これは, イニシエーションにおける苦行と試練を,また, 死と再生を可能にする原理としての女性の 存在がテーマになっている。したがって,この 絵の女神は、イシュタル,キュベレー, アプロ ディーテー, イシス, アナトに対応している。 わが国では,観音等にもそのイメージが認め
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られるが,その人間化した形態 (アニマ)とし ては、説経節の乙姫,照手さらに世俗化し, 曾根崎心中の遊女お初等がある。イエスとマ - リア像に認められるこのテーマを、キリスト教 成立において重視するユングは「エロスの欠 如があからさまなまでに浮かび上がってい る」(全集II パラ621) ヨブ記の問題がこのシ ンボリズムへいたる精神史の大転換をもたらし た、と考えている。「知恵」が見いだされない ことを嘆くヨブには、人間界でも,「神を呪っ て死ぬほうがましでしょう」と「愚かなことを言 う」妻しかいない。図では,理解のない妻に 水を浴びせかけられている。なお,臨床におい て、分析の場が保護的なうつわとして母胎の 役割をし, アニマ・アニムスの象徴が分析に よって編集されていく。 受聖母被昇天,癒し, テメノス
ユング心理学辞典 創元社 アンドリュー・サミュエルズ 他 p61-62